49.紙の首輪 ①
連絡室は、局の会議室より静かだった。
バルドは案内の矢印に従い、廊下を折れた。
背後に、ジェーンの気配がついてくる。
随行資産のふり。頼んだのは自分だったが、少し心許なさを感じる。
だが、それでいい。ここから先、誰かに頼ることはできない。
扉の前で警備が止めた。視線が、バルドの腕章と顔、次にジェーンへ移る。
「同席者は認めていないはずですが」
バルドが答える前に、警備の視線がジェーンの胸元へ向かう。黒い資産タグ。それを見て、警備は言葉を畳むように頷いた。
「ああ。《随行資産》でしたか。失礼。では、どうぞ」
扉が開く。
中は簡素だった。机と椅子。壁には窓があるらしいが、分厚いカーテンで閉じられている。
机の上には紙とペンが整列している。机の向こう側に、政府財団・渉外窓口担当者――渉外係が一人、座っていた。
「お待ちしておりました」
声は丁寧だった。丁寧過ぎるくらいだ。
渉外係の視線が、ジェーンに一度だけ向かう。
「その方は?」
「随行資産」
バルドは言い切る。渉外係は、「そうですか」とさえ言わない。ただ、書類に視線を戻した。まるで興味がないようだった。
「では、本題に入ります」
渉外係は書類を一枚、指先で押し出した。
「貴殿に、死霊術専門魔術士としての出動を要請します」
要請という言葉が笑顔と一緒に出る。それは「命令」の言い換えだ。
渉外係は続ける。
「対象は、コンスタンティノス・アルギロス」
「屍体か?」
「ええ。残念ながら、一ヶ月前に。ある共同プロジェクトの出資評議員でしてね」
バルドが失笑する。
「どうせ《キャンセル・プロジェクト》だろ」
「正式名称は、書面のほうでご確認いただけます」
回答は、ほとんど肯定だった。そのことに動揺して、バルドは咄嗟に立ち上がってしまう。
子供じみた反射だ。そもそも、水を向けたのは自分だ。そう言い聞かせるが、身体は頑なに立ったまま、渉外係を睨みつけた。
感情を表に出したら負けると、頭ではわかっていた。
「断る」
わかってはいたのに、口から勝手に返事が出てきた。
早すぎる。自分でも笑いそうになる。今度は笑い飛ばせなかった。
渉外係は表情を変えない。笑顔のまま、紙を一枚めくった。
「話を聞いてからでも遅くはありませんよ」
こちらの拒絶を手順の一部に落としている口ぶりだった。
「……私情だけで断っているわけじゃない」
それはほとんど嘘だったが、バルドは唇を開いて次の拒否を提示した。
「命令系統が違う。そういうのは死後資産管理局から来るべきだろ」
「その点は整理済みです」
渉外係は穏やかに言い、別の紙を示した。
そこにあるのは、管理局の印ではない。財団の印と政府の連絡室の印が両方押してある。
つまり、名義の二重化。片方が止まっても、もう片方の名義で続行できる。
「貴局を経由すると、照会番号が立ちますから。記録に残りますし、関係部署に通知が行く」
「……隠したいのか」
「報告はしますとも。ただ、必要以上に手数を増やしたくないだけです。共同運営ですから」
「責任は分散して、権限は集中させるわけか」
「おや、人聞きの悪い」
丁寧な言い方で、否定も釈明もしない。ただ、手続きを前へ進めるだけだ。
バルドは奥歯を噛みしめた。
「馬鹿な話だ。聞くまでもない」
「合同プロジェクトにて確立した秘術を、対象に《施行》します」
「施行ね。……やっぱり〈死者蘇生〉か」
バルドが吐き捨てる。
「ええ。あなたの専門領域でしょう?」
「違う……」
「違いませんよ。あなたが師と仰いだ死霊術士は、キャンセル・プロジェクトの中枢にいた。〈死者蘇生〉研究の第一人者でしたね」
「関係ない!」
バルドは叫んだ。
感情的になれば相手の思うつぼだとわかっていたが、止められなかった。怒りが向いているのは相手ではなく、言葉そのものだった。
専門領域という言葉が、禁忌を職能に、冒涜を技術に変えてしまう。それが耐えがたい。
「確かに、関係はないでしょう。しかし、そんなことは重要ではありません。貴殿は〈死者蘇生〉ができる。そうですね」
言い返そうとして、言葉が出なかった。
――できるか、できないか。
渉外係の言葉は、すべてを実務にすげ替える。
反論を、ただの感情論に差し代える。
「貴殿は施行できる。そうですね」
問いの形をした命令に、身体が先に答えを出しかける。否定する言葉を探している間に、相手のペースがこちらの胸郭へ滑り込む。
「〈死者蘇生〉がどんな技術か知ってるのか?」
「存じております」
「うそだ」
バルドは依然として立ったまま、両手をテーブルの上に叩きつける。
「知ってて使おうなんてありえない――あんな技術!」
「ほう。なぜです?」
短い問い。
バルドはそこでようやく、ゆっくり椅子に座り直して、肘掛けを握り込んだ。上品な木目の滑らかさが、今はひどく腹立たしい。
「……不完全な技術だからだ。本人性が保証できない。蘇ったのが本当に本人かどうか、未だ検証する手段がない。〈蘇生〉というには致命的だろ」
事実だった。言えば止まる、と思いたかった。
渉外係は頷いた。理解ではなく受理するようだった。
「ええ。その点については、もちろん承知しております」
「承知している?」
渉外係は薄く笑うだけで、その質問への回答とする。そして、口を開いた。
「成功の定義は既に定めています」
「話を聞いてなかったのか? 〈死者蘇生〉はそもそも、成功しているかどうか判断する手段がないと……」
「記憶があり、対外的な本人確認が成立すれば成功とします」
バルドは一瞬、硬直した。目の前の人間が何を言っているのかわからなかった。
いや、わかりたくなかった。
「……本人じゃなくてもいいっていうのか? 見た目がそれっぽくて、記憶と、署名の筆跡が同じなら、それで……」
「とんでもない。本人に蘇ってほしいと、切に願っております」
いけしゃあしゃあと放たれる言葉に、バルドは今度こそ言葉を失った。
こいつらは、技術の限界から避けられてきた〈禁忌〉を、制度で塗り潰そうとしている。
本人かどうかは判定できない。だから、「本人確認」のルールを先に作る。
蘇った〝それ〟を本人として運用するための手続きだけを整える。
そんなのは、死者の蘇生じゃない。――偽造だ。
目の前の書類に、署名欄があった。
名前を書くための空白。清潔さすらある白。
ペンは、すでに置かれていた。




