4.処遇の決定
その日は状態の悪い屍体が立て続けに搬入され、バルドは安置室に貼りついたまま処理に追われていた。
すべてを文字通り捌き終えて、やっと着替えができた。腐乱屍体に長らく晒された服は臭いが取れないので、専用の廃棄容器にまとめて突っ込む。休憩室――担当者を屍体から逃がさないための部屋――で一晩を明かしてから、地上を目指す。
エレベーターの白い魔法灯がきつくて、思わず目を閉じてしまう。そのまま生命視覚に切り替え、エレベーターに乗った。
そのまま、保全課のフロアへ入る。
消毒薬の匂いを薄くまとったルツが、真っ先に声をかけてきた。
「あ、バルド。昨日のしゃべる屍体、まだ下にいるの?」
「いる。上からの判断待ちだ」
バルドはそこでようやく目を開けた。光に焼かれた目がまだ痛い。目元を揉みながらコートを椅子の背に掛け、札束みたいなノートを机に置く。
「へえ。普通ならとっくに焼却なのにね」
ルツは興味津々という顔だ。バルドはノートをめくりながら言う。
「昨日、簡易検査をしたようだが、どうにも魔法の痕跡が見つからないらしい。〈看破〉は空振りだったしな。誰にも操られてない」
「ありえないでしょ、それ」
「だから調査中なんだろ」
そこに、リメンが口を挟む。
「グレイヴス課長が呼んでいますよ、バルド」
言い終えると同時にリメンはタイプライターから用紙を抜き、キャリッジを戻す。
バルドは小さくため息をつき、課長室へ向かった。
ドアノブを握りこみ、押し開ける。
課長室はいつも簡素だ。壁に地下路線図、机上には黒い決裁簿。
窓を眺めていたグレイヴスが振り返る。窓、と言っても強化ガラスの向こうは壁と換気ダクトしかないのだが。
「座れ」
バルドは一人掛けのソファに沈み、頬杖をついた。
差し出されたファイルを開く。フォーマットに従ってジェーン・ドゥの情報がまとめられていたが、内容はほとんど空欄だった。
「自律する屍体について報告は受けた。屍体への憑依者。術者不明。意思疎通は可能。それだけしかないが」
「破格ってやつだな。正常ではない、と言ってもいいが」バルドはファイルをめくりながら、慎重に答える。
「今のところ危険性は低いと思う」
「根拠は?」
「暴力的じゃなかった。こちらを攻撃するよりも、逃げようとした。混乱してたんだろ」
グレイヴスは少し考えるそぶりを見せた。
短い沈黙。換気ダクトの唸りがやけに耳に届く。
「上は、焼却を主張している」
「簡単に言ってくれる。燃やすのも大変なんだぞ」
バルドの表情が苦いものに変わる。
「私は反対した」
「なぜ?」
「性急すぎる。それに、前例がないからな」
グレイヴスは立ち上がった。
「ネクロマンサーとしてのお前に命じる。あの屍体を監視しろ。――もしくは、観察、研究、お前の好きなように言い換えてもいいがね。
何ができるのか。何を求めているのか。どこまで制御できるのか。調べろ」
「わかった」
「危険だと判断したら、即時破棄していい」
バルドはゆっくりと頷く。
――だが、危険とは、どこまでを指すのか?
自律か。意志を示すことか。拒絶か。悪意か。執着か?
死の技術は、いつだって判断の『線引き』から生まれてきた。
〈魔法〉という名を付けられるずっと前から。
魔法。
この語を最初に使ったのは、皮肉屋の研究者たちだった。彼らは神の存在を疑ってはいなかったが、神の手際にはたびたび不満を覚えた。
創造主が下した不具合を、少しだけ修正したい。そんな傲慢と好奇心の産物が、いま人々が使う〈魔法〉の原型である。
この相克は、死霊術の領域で最も顕著に表れている。
ネクロマンサーたちは、神の領域である『死』を研究対象に引きずり込んだ。
死霊術を修める動機は千差万別だ。動物解剖や食肉解体の趣味が高じることもあれば、それしか生きる道がなかったものだっている。
だが、人間がいずれ《死》に集約されるように、ネクロマンサーの目的も最後には必ず一つになる。
すなわち、死のキャンセル。
一度確定したはずの「死」という事実そのものを、なかったことにする試み。
*
ジェーンは壁に背を預けて座っていた。
彼女がまず感じたのは、甘い果実の香りだった。
何が近いだろうか、熟したナツメの実?
考える間もなく、ムスクと白檀が混じったような、重たくまろやかな香りが追いかけてくる。
その香りで、ジェーンは昨日繋げてもらったばかりの頭を上げた。
「来たのね」
「約束だからな。繋げに来た」
バルドは格子を開け、担架を足で寄せる。
「横になれ」
言われたとおりに横たわると、彼はジェーンの体の下に腕を差し込むと、ひょいと持ち上げて帆布に移す。
「ちょ、ちょっと……」
「黙って力を抜け。いま自力で動こうなんて考えるなよ」
そのまま処置室へ。
アルミのシートを敷き、ジェーンの体を中央へ運ぶ。
バルドは腕と足の服を鋏で切り開いた。
脛骨のあたりには段差ができていて、折れた腓骨が皮膚を貫通している。
前腕は橈骨が折れているようで、手首が不自然なほどぐにゃりと垂れ下がっていた。
「思ったよりは酷くないな。これならすぐ済む」
バルドは短く言いながら手袋をはめて、ひやりと光るトレイに器具を並べていく。手繰り寄せたピッチャーには、温めた生理食塩水がなみなみと入っている。
彼はメスの持ち手を取り出すと、鉗子でメスの刃の根元をつまみあげ、持ち手に差し込んだ。
器用だなぁ、とジェーンが考えていると、バルドはそのメスでジェーンの首をザクザクと切り始めた。
「え?」
ひょい、と首が持ち上げられる。
「あとで首も繋げなおすと言ったろ。まずは手足をやるから、そこで見ておけ」
処置台がよく見える位置に首を立てて置かれる。その声が妙に楽しそうで、ジェーンは無碍にできなかった。




