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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第三章 死者蘇生(リザレクション)

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46.夜勤

 夜勤の廊下は、昼より静かだ。静かなぶん、音がよく聞こえる。


 足音。扉の締まる音。台車の車輪。金具の擦れる耳障りな音。

 死後資産管理局に夜はない。死の搬入が忙しくなるのは、むしろ日が落ちた後のほうだ。


 安置室の手前――搬送路の線の外側で、バルドは記録板を持って立っていた。

 線の内側では封印班が、手順をなぞっている。


 銀紐を掛け直し、結び目に蝋を垂らす。月桂樹とブドウの局章が、薄く光を弾いた。


「……はい。搬送よろしく」


 封印班の女が言う。言い慣れた声だった。


 台車が動く。屍体袋は、封印に守られた黒い塊として、淡々と搬送路へ吸い込まれていく。

 バルドは線の外側から、ラベルを一度だけ目で追った。


 心停止。外傷なし。搬入元――第一区治癒院。

 その下に、小さな付記がある。


終末保全(エンバーミング):実施』


 ラベルのさらに端に、押印のような小さなコードが並んでいた。

 局章ではない。治癒院側の印。――施行管理、という文字列が一瞬、視界の端で引っかかる。


 終末保全は、いまや珍しくない。最近は特にそうだ。


 背後で衣擦れがして、リメンの声が落ちた。


「……また《出力なし》ですか」


 バルドが振り向くと、リメンが背筋を伸ばして歩いてくるところだった。保全課の管制官。今夜は現場の確認がてら、記録の回収に来ているらしい。


「頻度は上がってるな」


「物騒な世の中になりましたねえ。あんなに軽々しく触媒反応が出るような危険物が、街中に()()()()()だなんて」


 軽口の形を取っているが、目は笑っていない。

 バルドは少し首を逸らせて笑った。笑うところではないとわかっていたが、止められなかった。


 ――キン。


 耳鳴りと呼ぶには薄い。気のせいと切り捨てるには、妙に鋭い。

 搬送班も気づいたのだろう、角を曲がる前に、ぴたりと足を止める。そして、ゆっくりとバルドを見た。

 バルドは線の手前に立ったまま、声を落とした。


「――封印を追加する。搬送は止めろ。封印班が来るまで、そこで待ってろ」


 封印班が道具を持って台車へかけていくのを、バルドは線の手前で見送る。その後ろで、リメンが声をかけた。


「そろそろ休憩してください、バルド」


 バルドは頷き、ジェーンに視線だけで合図する。

 彼女は無言でついてくる。


 *


 保全課の休憩室は、椅子とテーブル、仮眠用の狭い寝台が二つあるだけの、簡素な場所だ。


 リメンが記録板を受け取る。

 それを横から見ていたジェーンが、ふと言った。


「あ、これ。さっきも見た」


「どれですか?」


 リメンの問いに、ジェーンは記録の一部を指差す。


 終末保全(エンバーミング):実施


 リメンはそれを見て、小さく頷いた。


「ああ、〈終末保全(エンバーミング)〉。最近よく見ますね」


「実際、効果はあるしな」


 バルドが口を挟む。ジェーンが首をかしげる。


「エンバーミングってなに?」


 バルドが答える。


「死後の肉体を『崩れにくくする』ための魔術的措置だ」


「死んだ後に?」


「どちらも。――これは、生前処置だな」


 途端に、ジェーンが眉を寄せた。


「ええ? 死ぬ前に、屍体になった後のことまで考えるってこと?」


 バルドは理解できずにジェーンを見る。

 死ぬ前に考えないで、いつ考える。死後に? ――確かにこの女は、いまそれをやっているのかもしれないが。


「そりゃあ、死んだ後に話はできないからな。〈死者問答(ダイアログ)〉も本人の言葉とは言い難い」


「……まあ、そっか」


 リメンが淡々と補う。


「局に来る屍体は基本すぐ処理します。長くは置かない。ですが例外が増えているんです。遺族都合、法的手続き、相続争い、遠方移送――それと、研究提供」


「研究って」


「とにかく理由をつけて、『一定期間、保全しておけ』という指示が増えてしょうがないんです」


 愚痴が隠しきれていない。

 バルドは記録板の署名欄を指でなぞった。仕事の手つきに逃げる。


 扉が開いて、ルツが入ってきた。濃い色の外套。髪を結い直しながら歩いてくる。検案――死後診察を一通り片付けてきたらしかった。


「まだ起きてるの。えらいえらい」


 軽い調子で言ってから、ルツは机の上の記録簿を覗き込む。


「あー。〈終末保全(エンバーミング)〉?」


「ええ。定着しましたよね」


 リメンが言う。ルツは鼻で笑った。


「定着って言うと聞こえはいいけどねえ。結局、『扱いやすくする』ための儀式でしょ」


 ジェーンが顔をしかめる。


「儀式?」


 ルツが頷く。


「そう。生前に合意して、死後にある程度〈保存〉が効くようにしておくの。そしたら死後しばらく経っても『きれい』なままだし。それに、死後にやるのは面倒なのよ。それはもう……ものすごく大変なの」


 ルツの「大変」に多大な実感が滲む。バルドも横で一度だけ頷く。


死霊術士(ネクロマンサー)がいれば楽なんだけどね〜。〈終末保全(エンバーミング)〉なしでも、腐敗をかなり遅らせられるから」


「冗談だろ。そこまで手が回らない」


 ジェーンは納得したようで、納得していない目をする。


「『きれい』っていうのは、やっぱり生きてる人が気にするのね」


「そりゃそうよ」


 ルツは言い切ってから笑った。


「にしても、最近、生前の〈終末保全(エンバーミング)〉が増えてるのよねえ」


 ルツが、雑談のように言った。雑談の(てい)でしか言えない話だった。


「増えてるの?」


 ジェーンの問いに、ルツは肩をすくめた。


「債務滞納で、自分を担保にすると、終末保全(これ)やらされたりするのよ」


 リメンが目を細める。


「それにしては過剰すぎませんか。よほど金額が大きくなければ」


「高額治療だと滞納額も大きいからね〜。標準条項が発動するの。終末保全を付けるって。AATでよく見る」


 ルツが言った瞬間、バルドの指が止まった。


「AAT」


 繰り返す言葉が、初めて口に出す単語みたいにぎこちない。

 ルツは一瞬だけバルドを見た。


 もともと治癒師(ヒーラー)でもあったバルドが加齢促進療法(AAT)を知らないわけはない。

 肉体の時間を一気に進めて治療の選択肢を広げる、奇跡のような治療。

 知っている。だから口にしたくなかった。


「まあ……同意は取るわよ。でもね、断れるわけないじゃない? 公的扶助を受けるのに必須条件だって言われたら、そりゃ同意するわよね」


 リメンが思い出したように続ける。


「ああ、A17の横流しをしようとした保冷庫の管理人。彼の妻もAATでしたね」


「珍しくはないだろ」


 バルドが目を伏せたまま言い捨てる。ルツは肩をすくめた。


「そう。珍しくないの。だから厄介なのよ」


 バルドは黙っていた。思考が、前頭骨(ぜんとうこつ)のあたりに張りついていた。


 ――出力が消える条件。

 ――生前の保全措置。

 ――治癒院と、研究と、債務と……。


 そこで、考えるのを止めた。


 *


 席に戻ると、机の上に封筒が一通置かれていた。

 局内便の紙は、どこまでも事務的だ。白い紙。黒い印字。差出人の部署名がきっちり揃っている。


 契約管理者変更のお知らせ

 タフィオ・アセット管理株式会社 債権管理部 第二窓口


 バルドは封を切らなかった。

 封筒を持ち上げ、引き出しのいちばん奥へ放り込む。


 引き出しが、静かに閉まった。

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