44.気怠い報告
課長室は、現場の騒音から切り離されていた。扉が閉まると、廊下の反響が遠のく。
グレイヴスは机の向こうにいた。書類に目を落としたまま、ペン先で一度だけ机を叩く。
「座れ」
バルドはソファに腰掛けて、憮然とした表情で頬杖をつく。
ジェーンはそのさらに後ろ、扉のそばに立った。椅子の数は足りているが、彼女に椅子は勧められない。
グレイヴスは顔を上げた。先にバルドを見て、それから壁際のジェーンを一瞥する。
「報告を」
バルドは頬杖をついたまま、口を開く。
「《出力なし》の搬送中に触媒汚染が起きた。搬送具のクランプが起点になった可能性が高い」
「『可能性』で逃げるんじゃない」
バルドは動じない。グレイヴスとの付き合いは長い――怒っている声ではない。単に、曖昧さを弾いているだけだった。
「真面目に答えろ、バルド。誰がそう言った?」
「封印班の見立てだ。金具に触れたやつの手首に刻印が出たからな。あのまま放置してたら、あいつも死んで《触媒》として汚染をまき散らしただろう。……ずいぶん進行が早かった」
「何が原因だ。封印がぬるかったのか?」
「いや。封印は規定通りだった」
グレイヴスの眉がほんの少しだけ動く。呆れに近い動き。
言葉にはしない。だが「それで、事故が起きたのか?」とでも言いたげな視線がバルドに刺さる。
「……封印の追加で収束したそうだな。だが、途中で一度『触媒反応が止まった』とある。――これはなんだ?」
そう言って、テーブルを爪で叩く。そこには報告書が一枚。封印班の走り書きだろう、字は乱れてぬたくっている。
問われたバルドの表情が、わずかに固くなる。
グレイヴスは椅子にもたれない。ため息も落とさない。沈黙のほうが圧になる状況をよく知っている。
「途中で反応が止まったのは、なぜだ?」
バルドはしばらく黙っていた。そして、彼が出した答えは、グレイヴスにとっても意外な答えだった。
「偶然」
バルドの背後に佇んでいたジェーンが、驚いたように身じろぐのが見える。
この随行資産は真っすぐに感情が出るのでわかりやすい。
はあ、とグレイヴスは深々とため息を吐いた。胸に湧き出た言葉――特に罵詈雑言をいったん圧縮し終えた後の排気だった。
またこれだ、とグレイヴスは思う。
バルドがこういう頑なな答え方をするのは、今に始まったことじゃない。
知らないのではない。知っているから「偶然」と白を切るのだ。矢が飛ぶ先を逸らすために。
しかも当人は、それを「庇っている」とすら思っていない。
「馬鹿なことを。偶然で触媒反応が止まるとでも? ジェーン・ドゥが関わってるんだろうが。封印班が計測した。――そこの《呪具》が反応を抑えた可能性がある」
「そうだな」
悪びれもせず認めたバルドを、グレイヴスは軽く睨みつける。
「手のひらを返すな、まったく。……それがどういう現象だったのか、お前の言葉で話せ」
バルドは顎を引いた。
グレイヴスの目は冷えている。その冷たさの奥にあるものを読み取って、バルドはすぐ嫌そうに視線を外した。いたずらをした子どもを見るみたいな間合いだ。隠してるつもりだろうが。
「ジェーンが屍体に触れたら、触媒反応が止まった。接触すると止まるらしい」
グレイヴスの視線が、また壁際へ滑る。随行資産は不安そうに眉を寄せてバルドの背中を見ている。
「なぜそうなる?」
「知らない」
グレイヴスがペンを置いた。
机の角に、局章の封蝋が一つ、転がっている。誰かが剥がした痕だ。蝋の割れ目が乾いて白い。
「お前は、いつから『それ』を知っている?」
バルドの表情に疑問が浮かぶ。
「どういう意味だ?」
「ジェーン・ドゥの肉体が《出力なし》だと気づいたのはいつだ?」
バルドの口が、一度閉じる。
「……記録を見た」
「覗き見したのか」
「正規の手続きは踏んだ」
グレイヴスの口元が、ほんのわずかに歪む。笑いではない。呆れだった。
「それはいつだ」
「ネクロマンサー連中でやった会議のあとだ」
グレイヴスは一拍だけ目を伏せ、言葉を飲み込む。
「私に報告はしてないな」
「するわけないだろ」
グレイヴスの眉が上がる。それを無視して、バルドは淡々と引用する。
「おまえはこう言った。――『ネクロマンサーとしてのお前に命じる。監視しろ。観察しろ。研究しろ。何ができるのか。何を求めているのか。どこまで制御できるのか。調べろ』と。
確証が出るまでは何も断定できない。ジェーンの能力は、少々強力過ぎる。条件もわからないのに、仮説をあてにされたら困る」
「だが、確証は出た」
グレイヴスがばっさりと切る。
「封印が効かない条件があったが、〝それ〟が触れて止まった。十分だろう」
バルドは反射で視線を落とす。グレイヴスは彼を正面から見据えた。
「いいか、バルド。次はないぞ」
グレイヴスは机上の紙束を一枚引き抜いた。白紙に近い、通達の雛形だった。
ペン先が紙を走る。
「暫定で運用条件を出す。引き続き、ジェーン・ドゥの監督者はお前だ。お前の判断で動かせ。それが《呪具》として魔法を使ったなら、事後に必ず報告しろ」
ペンが止まる。
「お前が同行していない状態で《呪具》が使われたと発覚した時点で、即停止処分とする」
壁際で、ジェーンが胸に手を当てる。
——これでいい。そういう安堵のようにも見えた。
「……好きなように言い換えていい、とは言った」
グレイヴスは壁際からすぐ視線を切る。
「観察でも研究でもいい。だが、『監視』であることに違いはない。……それを忘れるなよ」
バルドは頷いた。
「以上だ。行け」
グレイヴスは書類に視線を戻す。扉の外の騒音は、まだ遠い。
バルドは一歩下がり、扉に手をかけた。




