40.棚卸しの口実
朝から保全記録庫の手前に立っている時点で、今日はまともな日じゃないな、とバルドは思った。
ジェーンは当然のように後ろにいるが、何も聞かされていない顔だ。少し困惑したように訊いてきた。
「ねえ。ここなに?」
「保全記録庫。屍体のタグ控えと、貸出と閲覧の記録を全部収めてある場所だ」
バルドは淡々と答える。
「なんでそんなところに?」
「まだ推測だ。黙ってついてこい」
扉の横に、「閲覧申請は窓口へ」の掲示が貼ってある。受付の窓口には、当直が一人。棚の前には封緘用の糊が置かれ、受領印のスタンプ台が黒く光っている。当直が閲覧・貸出用の記録簿をカウンターの上に出して、半分眠そうに訊く。
「棚卸しでしたっけ?」
「照会だ。例外が出たからな。鍵をくれ」
バルドは短く言い、カウンターに広げられた記録簿を引き寄せる。手慰みのように記録簿をぱらぱらと遡り、三ヶ月前の日付が書かれたページを、ほんの一瞬だけ視界に入れた。
廊下の壁時計は、まだ早朝を指している。
当直交代までは十五分。いま鍵を借り損ねたら、もう一回説明からやり直しだ。説明すればログが増える。ログを増やすことは、リスクの増加を意味した。
「では、署名をお願いします」
記録簿の署名欄の上に、細い注意書きがある。
——閲覧・貸出の記録は監査局に送付されます。
バルドは視線を上げないまま、署名欄にペンを落とす。
ここから先は、探したぶんだけ記録が残る。
「……何を調べるの?」
ジェーンが小声で問いかけるが、バルドは答えない。
当直は変わらず眠そうに、鍵を取り出していた。金属の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「あ、鍵の戻しはちゃんとお願いしますね。未返却で跨ぐと面倒なんで」
「わかった」
生返事をしながら、バルドは鍵を受け取った。
保全記録庫の中は、古い紙と、埃のにおいがした。酸化したインクか防腐液を彷彿とさせる薄い残り香が混ざっていた。
搬入搬出台帳は、同じ背表紙が何列も並んでいる。背表紙には、文字と数字が印字されている。
三ヶ月前の記録簿をちらと確認した際、サウィンの字で書かれた数字の羅列がいくつもあった。その数字と近いものから探す。さすがにすべては覚えきれなかったが、そこまでやる必要はない。数字の当たりをつけられれば充分。
バルドは棚の番号を追い、目的の列に手を伸ばした。
——案件番号:K-03-0208
ジェーンが横から覗き込む。バルドが台帳を開くと、結果票の控えが挟まっていた。
——ダイアログ結果:出力なし
——識別不能につき『身元不明』
白紙の欄と、赤い《完了》の印だけが、やけにくっきりしている。
さらに一枚、紙が挟まっていた。薄い控え。
——屍体タグ控え:7A-402
書類の番号の下に、物品の番号がぶら下がっている。
バルドの視線はそこで止まった。
「これが一回目?」
ジェーンが言う。バルドは答えない。代わりに、ジェーンを呼ぶ。
「ジェーン」
「なに?」
「タグを見せろ」
バルドの言い方はほとんど命令だった。
「……いいけど」
ジェーンは少し嫌そうに、胸元の黒いタグを見せる。バルドがそれを掴んで裏返す。手袋越しの指先が、ほんの一瞬だけ止まる。
7A-402
バルドの呼吸が、一瞬だけ遅れた。
ジェーンが何か言いかけるが、それが声になる前に、バルドは黒タグを離した。触れてはいけないものから手を引くような所作だった。
台帳を広げなおす。
視界の端で、廊下の壁時計の秒針が進む。——当直交代まで、あと十分もない。
——搬入:第三屍体安置室 ◻︎列◻︎番/タグ 7A-402(身元不明)
——異常:自律起動※警備当直報告 添付
——措置:焼却保留/身元照会 K-03-0208
ジェーンが、行を追って呟く。
「自動起動。焼却、保留……」
彼女の脳裏に、バルドと初めて言葉を交わした地下での会話が蘇る。
——報告って。なんて言うの?
——『下手に介入せず様子を見るべき』って体にしておく。いきなり焼却処分にされるとかなわない。書類上の都合だ。
——搬出:随行資産区画(仮)/登録名:ジェーン・ドゥ
バルドはようやく顔を上げ、ジェーンを見た。
「一回目の《出力なし》は、おまえだ」




