39.ネクロマンサーの会議
《出力なし》が出た翌日、朝から早々にタリエンが保全課フロアの敷居を踏んだ。
紺のスーツに表情の薄い顔。ジェーンの前に立っているからか、まるで備品の一部かのようだ。
そんなジェーンの視線には気づかないように(あるいは黙殺して)、タリエンは口を開く。
「『実施不能』が重なった。昨日、お前が片づけた分まで含めてな」
タリエンは挨拶を省いた。今日はそういう日だ、とバルドは思う。
バルドは目を逸らさずに言い放った。
「ちゃんとおまえの指示通りに書いておいた。『技術的理由により』実施不能と」
「それは問題ない」
タリエンは即答する。
「いいか。『出力なし』を掘り返したいわけじゃない。《形式》の話だ。死後資産管理局がよこす死者問答報告書の形式がまるで揃っていない。但し書きが落ちれば、監査の目には『隠蔽』に見えるだろう」
それは脅しではない。免責の線引きでもあった。監査はとかく『事件』を嫌がる。
「遺族支援課は、例外処理が増えると燃えるものだ。燃えれば、必ず誰かのせいにしなければならない。それはわかるな」
バルドは返事をしない。飲み込むのが前提の話だった。視線だけで先を促す。
「監査指示だ。口を揃えろ。余計な言葉を足すな。抜くのも駄目だ」
バルドは頷いた。頷くしかなかった。
*
タリエンが先に歩き、扉の前で止まる。
ノブを回す。会議室の冷えた空気が漏れてきて、バルドは一瞬だけ眉をひそめた。
中はすでに半分埋まっていた。ネクロマンサーたちが、ぽつぽつと椅子に沈んでいる。人数は多くない。どの顔にも、眠気の混じった慣れが厚く塗られている。
真ん中の席にシュラウドがいた。ポケットから細い検印器を出して弄んでいる。
「おお、監査局さまが直々に。俺たち出世しちゃうの?」
「黙ってろ」
タリエンが即答する。けらけら笑ったのはシュラウドだけだ。
いちばん端には、サウィンが座っていた。紙束を開く指が、必要以上に丁寧だった。振り向かずとも疲労が色濃く見える。
ジェーンは会議室の入口付近で立ち止まり、椅子の背を見比べた。
どこにも自分の席はなさそうだった。当然だ、と自分で思いなおす。席があるのは生きている者だけだ。
バルドが、空いている椅子に腰を下ろす。ジェーンは壁際に立った。
タリエンが紙束を机の上に置く。
「監査指示の確認だ。《出力なし》案件の記録例を配る」
紙が配られていく。
同じ欄が並ぶ定型の様式。しかし、書かれている言葉が揃っていなかった。
『技術的理由により実施不能』『参考情報に留まる』『確定的出力なし』『装置不調のため中止』
「同じ現象を、別の言い方で書くな」
タリエンは、指先で文言をとんとんと叩いた。
シュラウドが、わざと軽く言う。
「でもさあ。フロントの人たちって、それをちゃんと読むわけ?」
「読むかどうかは関係ない」
タリエンの声は冷たい。
「監査は読む。裁判資料になれば読む。そこに穴があれば、穴を作った奴が悪い」
沈黙が落ちる。
誰も反論しない。反論の余地がないからだ。
タリエンは紙束の一枚を引き抜き、定型文の行を示す。
「必ずこの文言を入れろ」
紙面には、乾いた活字が並んでいる。
《技術的理由により〈死者問答〉は実施不能。代替手段の有無は監査局照会。記録は参考情報に留まる。》
サウィンが小さく息を吐いた。
「……出力なしは、珍しいのに」
声は低く、小さい。空調音のほうが大きく聞こえるくらいだ。
「なのに、この数ヶ月で二回も」
ジェーンの視線が、思わずサウィンに向いた。
タリエンもサウィンを見やる。問い詰める目ではない。「余計なことを言うな」という目だった。
だが、サウィンは気にしない。もともと誰の顔色も気にしない。ネクロマンサーとはそういう人種だ。
「改竄だとか、そういう話じゃない。……針が、まったく動かない」
シュラウドが、笑いを引っ込めたまま言った。
「へえ。サウィンが『珍しい』って言うレベルなんだ。〈死者問答〉の大ベテランがねえ。じゃあ、マジじゃん」
その軽口が、会議室の温度を一段だけ下げた。
冗談にしていい類ではない、と全員が同時に理解した顔になる。
タリエンが短く言う。
「——だから、なおさら勝手に書くな。勝手に閉じるな。揃えろ」
バルドは口を開きかけて、やめた。
それでも、喉の奥に引っかかるものがあった。
この数ヶ月で、二回も。
自分の白紙は昨日だ。なら、もう一回は。
バルドは視線を上げずに言った。
「一回目の案件番号は?」
タリエンの目が、ほんの一瞬だけ冷える。
「現場で追う必要はない。必要なら、こちらから渡そう」
つまり、今は渡さないということだ。バルドは背もたれに身体を預けて足を組んだ。
――物事に不服を覚えているとき、彼はより不遜な態度になる。
「頻度くらい教えてもらわないと現場で困る。一度目はいつ起こった?」
「三ヶ月前」
ぽつりと言ったのはサウィンだ。
「自分が担当だった。身元照会のために。だが、やむなく……」
「そこまでだ。この件は監査案件になる。むやみに探るな」
タリエンが事務的に言葉を切る。
ジェーンはバルドの背中越しに、タリエンの顔を見た。
三ヶ月前。ちょうどジェーンが動き始めた時期と重なる。
「今日の目的は書式統一だ。——以上」
言い切って、タリエンは椅子から立った。
終わった、と誰もがわかったのに、誰も席を立つタイミングを掴めなかった。
ジェーンが小さく囁いた。
「……お役所仕事も大変ねえ」
バルドは返事をしなかった。
机の上の定型文を、もう一度だけ見た。
《技術的理由により実施不能。代替手段の有無は監査局照会。》
照会。
——前例も、案件番号も、ログも、監査局の棚に戻される。
照会先は、目の前で背を向けている男か。
そう思った途端、ダイアログの出力紙を取ったときの、あの妙に頼りない手応えが戻ってきたような気がした。




