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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第二章 死者問答(ダイアログ)

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34.ごくありふれた要請 ②

 翌朝、さっそくリメンから《フロント》への応援を告げられた。聞きなれない言葉に、ジェーンは首をかしげる。


「フロント?」


「正式には《遺族支援課》だ」


 答えたのはリメンではなく、見慣れない男性だった。《遺族支援課》の名札をつけている。

 四十代半ばほどか。灰色のスーツを着て、こめかみに白いものが少し混じっている。穏やかそうな雰囲気こそあるが、目の奥にうっすら疲労が張り付いていた。

 男にちらりと目をやり、リメンは口を開く。


「死後資産の登録や変更、遺族からの申請受付をやっている課ですよ」


「ふうん……」


 男は最初、普通の新人を見るような目でジェーンを見ていた。だが、胸元の黒タグを見た途端、表情に何か思い出したかのような緊張が走る。足を引きかけたが、すぐに一歩近づいた。


「ああ……君が《ジェーン・ドゥ》か。昨日、そちらの死霊術士(ネクロマンサー)が出した〈死者問答(ダイアログ)〉の結果を、遺族に伝えることになってね」


「へえ。仕事の早いこと」


「君には、今日は記録係と、ついでに防波堤になってもらいたい」


「うん。いいわよ」


 軽い返事に、男は眉をひそめる。そんな顔を見て、ジェーンは無邪気に笑ってみせた。

 男は保全課に踵を返して進む。ジェーンは男の後についていった。


 しばらく廊下を進むと、一昨日(おととい)ダイアログ申請書を持ってきた新人くんが、応接室のドアの前に立っているのが見えた。


 新人くんは、明らかに緊張していた。通りがかりの先輩と思わしき人に、「おっ。がんばれよ。今回のご遺族は〝著名〟でいらっしゃるから」とささやき声で脅かされていた。応接室の中に聞こえてもクレームにはつながらないギリギリだ。


 新人くんは、こちらに気付いた瞬間にびっと背筋を正す。そして、驚いたようにジェーンを見た。男のほうが口を開く。


「管制官リメンより、随行資産の使用許可が出た。《ジェーン・ドゥ》だ。保全課に行ったなら、見たことはあるだろう?」


「は、はい」


「また会ったわね、新人くん」


 ジェーンはにこりと笑って片手を振った。そして、男を横目に質問を投げる。


「で、わたしは何すればいいの? 具体的には」


「遺族が暴れそうになったら止めてくれ。発作でも起きたら、そのまま抱えて廊下まで運び出せ」


「はあい」


「結構。では、失礼する。……後で状況を教えてくれ」


 男はそう新人に言うと、去っていった。新人くんは少し名残惜しそうな、すがるような目をその背中に向けていた。


「書類渡すだけって言われましたけど……だけって感じじゃないですよね、これ」


「そうかもねえ」


 応接室のドアの向こうからは、まだ何も聞こえない。

 ふと、バルドの言葉を思い出す。


 ――質問の中に、『どう答えさせたいか』という意図は最初から含まれてる。


 ジェーンは首をかしげる。


「それでも、都合の悪いことだって平気で出てくるのにねえ……」


 新人くんが応接室のドアノブに手をかける。

 ジェーンはドアの横に目をやった。「ご遺族の皆さまへ」「苦情受付のご案内」のポスターが貼られている。ずいぶん前から掲示されているらしく、うっすらと色落ちしかけている。


 *


 応接室には、紙とインクと安いコーヒーのにおいが漂っている。そこに、香水と整髪料がごちゃ混ぜになったような、人間の匂いが薄く混じっている。屍体のにおいによく晒されているが、ジェーンにはこちらのほうがずっと生々しく感じた。


 ジェーンは壁際に控える。

 空調が直接当たる位置らしく、ジェーンの顔に冷気がかかる。


 新人職員が、テンプレートどおりの説明を始める。


「これは生前の記録と、局が保持する情報をもとに統計的に推定した、最もありそうな最終発話です。絶対の真実ではありませんが、ご遺族の参考になればと……」


 視線が一瞬だけ遺族側をかすめて、すぐに紙に落ちる。声は思ったよりよく通るが、抑揚が妙に平板で、読み上げる感じが隠せていない。だがこの場で着席している人間は気にしたようすもない。


「まず、財産の分け方についての基本的なお考えです」


 ここから先は、ジェーンが実際に〈死者問答(ダイアログ)〉で耳にしたとおりの内容を、かなりオブラートに包んだような話だった。


 すべての子が生活に困らないよう、うまく分けてもらいたいこと。

 家計管理は現妻に任せており、文句はなかったこと。

 お金のことで争わないでほしいという願いを持っていたこと。


 新人くんの視線は紙から離れない。誰の顔も見ないようにしていた。


「……以上が、死者問答から読み取れる故人のご意向です。こちらは、法律上の遺言書のような効力は持たず、参考資料として扱われます」


 現妻の口元だけがわずかに上がる。勝ち筋を見つけたときの反応。


「ほら、見なさい。生活のことは私に任せてたって書いてあるじゃない。そのくせ、子どもたちに良い顔しようとして『平等に』なんて言ってたのよね」


 そういって、横の幼い少年にそっと肩を回す。少年は足をぶらぶら揺らしながら、紙コップの縁を押し潰して遊んでいた。


 向かいに座る長男が拳を膝の上で握りしめる。親指の爪が手のひらに食い込むほど力が入っている。前のめりになりながら、唸るように言った。


「……こんなの、父さんの言葉じゃない」


 長女は文書から目を離せない。行間を睨みつけるように読み続けながら、「そんな人じゃなかった」と呟く。何かを探すように、指先で文字の上をなぞっていた。


 次男は、この中では誰よりも冷静だった。腕を組んだまま、視線だけ新人職員とジェーンのあいだを往復させる。首を少し傾けて真正面から質問をした。


「そもそも、この『生前の情報』とやらを出したのは誰なんですか?」


「そうだ。不正に作られたものなんじゃないのか?」


「いえ、入力に使われる情報は……屍体と、事前にご家族にご記入いただいた質問票と、戸籍や登録簿などの公的記録です。その……職員が、故意に内容を改変することはできません」


(わお……)


 ジェーンは目を瞬かせながら、そのやり取りを聞いていた。


 紙の上の言葉は、あくまで「きれいに整えられた答え」に見える。目の前の家族は、それをそれぞれの立場から自分の武器にしようとしている。

 もはや目の前の遺言は、生者同士の殴り合いの道具になっていた。


(ここでは、誰も「父親のために」怒らないのねえ……気に入らない人間が得をするのを防ぐために、彼の言葉を引用してる)


 嫌悪感はたしかに湧く。だが、すぐにしぼんでしまった。


(ああ……。やっぱり)


 屍体だからだろう、とジェーンは思う。

 この肉体は感情を長く抱えていられないらしいと、最近ようやく分かってきた。


 表向きの締めくくりは、「この文書をもとに、あとは家庭裁判所とご相談ください」という一言だった。


 誰も、本当の意味で納得した顔はしていない。

 ただ、公式な「父の言葉」が成立してしまったという事実だけが残った。


(『やっぱりそうだ』『そんな人じゃなかった』ね……。どっちも、自分の中でこしらえた《死者》を盾にしてるだけよねえ)


 *


 面談後、廊下に出る。

 新人くんは封筒を胸の前で抱えるように持って、「絶対また揉めますよ、あれ」と項垂れたまま言う。視線は床の一点を見つめている。


 ジェーンは壁際にもたれ、先ほどの部屋を顎で軽く指すようにして、「紙に残るだけ、まだマシなのかも」と、軽い調子で言った。それから、天井の配線カバーをぼんやり眺める。


 そこに、小休憩を終えたバルドがやってきた。眠気を身体から引きはがそうとするような、少し()いた足取りだ。

 新人くんのほうに一瞬だけ視線をやって、ジェーンを見る。


「終わったか。どうだった」


 ジェーンは軽く笑う。


「ぜーんぜん納得してなかったわよ。あれなら、どっちかに肩入れしたほうがよかったんじゃない? それだったらすぐ決着がついたのに」


「モラルまで死んだようだな。倫理研修が必要か?」


 新人くんは、ついて行けないという様子で、ジェーンとバルドを交互に見る。


「あの……」


「そのダイアログを担当した死霊術士(ネクロマンサー)だ」


 途端に新人くんが背筋を伸ばす。


「あっ。この度は、誠に、ありがとうございました」


「おまえの目から見て、遺族はどうだった?」


 新人くんは言いよどんだ。


「その……納得は、していらっしゃいませんでした。結局、裁判所で揉めて終わりそうです」


「終わりそうなら良かった。死者問答は、生きてる連中が、自分の都合を正当化するための〝台詞〟として出してるだけだからな」


 バルドがうっすら笑う。


「裁判で済むなら、安い台詞代だ」


 それでも、何もない沈黙よりは、こういう〝偽物の言葉〟のほうが人を前に進ませるのかもしれない、とジェーンは一瞬だけ考えた。

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