33.ごくありふれた要請 ①
保全課フロアの空気は粉っぽい。消毒薬と紙のにおいが混じっている。死んだあとの始末は、たいていこの二つで成される。
ジェーンが相変わらず書類ラックの隣に立っていると、保全課に見慣れない人間がやってきた。やけにきちんとしたスーツの、若い局員だった。
あたりをきょろきょろと見渡す。
フロアはいつもより静かだった。あいにくと昼休みにかぶっていて、保全課の面々は全員が出払っている。グレイヴスはいるのだが、新人くんが課長室のドアに気付く気配はない。
おろおろと歩き回り、手元の封筒を握り潰さんばかりだ。
そんな姿に少し同情して、ジェーンはできるだけ優しく声をかけた。
「こんにちは。新人さん?」
いきなり話しかけられた局員は、びくりと肩を震わせてジェーンを見た。
「えっ、いつの間に……あ、いえ、その……保全課の方ですか?」
「保全課所属の《随行資産》、ジェーン・ドゥよ」
その自己紹介を聞いて、彼の視線がジェーンの胸元にかけられた黒タグに吸い込まれる。
「あ……え。……《資産》?」
ジェーンの顔とタグを、交互に確かめるように見る。ラフに喋る女と《危険物》の札とが、うまく結びつかないようだった。
「保全課に何かご用?」
苦笑しながらジェーンが聞くと、彼は慌てて手元の封筒を差し出した。
「あの、保全課宛てに『死者問答要請書』を……」
ジェーンはその封筒を受け取り、一枚取り出してみる。件名と理由欄だけざっと目で追う。
遺産、現妻、前妻、子どもたち……。
死亡診断から日数が経ちすぎている、という欄外メモも目に入る。
なんだか一筋縄では飲み込めない気配がして、すぐに紙を戻す。
「ま、課長に見せればいいか」
そう言って、新人局員を伴って、グレイヴスのいるはずの課長室のドアをノックする。
グレイヴスは椅子に浅く腰かけていた。ジャケットは椅子の背に投げかけてある。机の上には、潰れた紙煙草の箱がいくつも転がっていた。
「何だ」
「ダイアログ要請書? を持ってきたんだって」
「ああ……」
慌てて封筒を差し出す新人から、グレイヴスは気だるげにそれを受け取る。中身をそっくり取り出して、ぺらぺらとめくっていく。その姿勢のまま、グレイヴスは口を開いた。
「ジェーン・ドゥ。バルドを呼んで来い。そろそろ休憩上がりの頃合いだ」
「はあい」
命じられて、ジェーンは軽やかに課長室を後にする。
仮眠を取っていたバルドを起こして課長室に戻ってくると、新人局員はもういなかった。
バルドはまだ眠気と戦っているような顔で、白すぎる魔法光に目をきつく閉じていた。それでも足取りは迷わず、まっすぐグレイヴスのもとへ歩いて行った。
「死者問答か」
「そうだ。いつも通りだな。相続で揉めてる」
グレイヴスが皮肉混じりにぼやく。
「まったく。遺書くらい書いておけばいいのにな。後始末が面倒だ。たかが紙切れ一枚も用意できないとは、よほど人生が楽しかったとみえる」
「先んじてまともな遺書を書ける奴だったら、そもそもここまで拗れてないだろ」
バルドは冷静に言うものの、その声にほんの少しだけ呆れの色がある。
グレイヴスは「それもそうか」と失笑した。
「自分で埋めなかった穴を、あとから誰かに始末させる。それが今回は〈死者問答〉だったわけだな。
で。最短でいつ入れる?」
「明日午前に差し込む」
そこでようやく、バルドの目が開く。
グレイヴスは、「優先度」「着手期限」だけちらりと確認してから、事務的に承認印を捺した。
*
バルドの宣言通り、〈死者問答〉は午前に差し込まれた。
空気の中に、今しがた掃除したばかりの洗剤の匂いがかすかに残っている。
質問票の余白に、バルドが鉛筆で項目の先頭に記号を書いていく。
横線で黒丸が消された項目は、それ以上触れられない。家族が力を込めて書いていそうな部分ほど、簡単に取り消し線が引かれる。
相続絡みの生々しい文言が並んでいるのをジェーンがざっと目で追った。
用紙の罫線からはみ出したボールペンの線。勢いだけで書かれた「金目当て」の文字。一部は鉛筆で上書きされている。「平等に」「子どもたちへ」だけ、別の人間の筆跡で書き足されている。丸っこい字と、角ばった字。
この時点で、書かれていることはやや食い違っている。
前の〈死者問答〉と同じ要領で、胸郭と手首に線を留め、真鍮装置のダイヤルを規定値へ回す。針が一定の揺れに落ち着いたところで記録帳を開く。そこに今日の日付と番号を書き入れながら、バルドが口を開いた。
「平等に、が口ぐせだったようだ。この言葉を信用するのはそれこそ不平等だけどな」
「何を質問するの?」
「両方の弁護人から、質問案が山ほど届いてる。『前妻の子には一銭も渡すな』『後妻は金目当てだと認めろ』だの……。紙の上でなら何とでも言える。それを〈死者問答〉に耐えられる言葉に直すところからだ」
「前妻は亡くなってて子どもさんが三人、現妻は存命でちっちゃい子がいるんだっけ」
「そうだ。まずは、死んだ本人に『平等』が何を指しているのか、定義させる」
バルドは屍体に向き直って、抑揚のない声で質問を行う。
「――『生前、あなたは自分の財産を、前妻との子どもたちと、現妻およびその子のあいだで、どのように分けるのが「平等」だと考えていたか。』」
屍体が口を開く。
ジェーンは、もはや屍体の喉が動く様子や声が出ることに驚かない。
「……みんな、俺の家族だ。子どもらには、前のも今のも関係なく、誰一人ひどい目には遭わせたくない。腹が減って泣くような真似だけはさせたくなかった。細けえところは……まあ、うまく分けてくれりゃそれでいい」
「結構だ。幸先は悪くないな」
バルドは記録表にメモを書き上げてから顔を上げる。
「次は何を聞くの? 『現妻は金目当てでは?』とか?」
「いや。誰に、何を託す前提で生きていたのかを聞こう」
そう言って、バルドは記録表を屍体の枕元に置いて、その顔を無表情で覗き込む。
「――『生前、あなたは自分の財産管理や生活のやりくりを、主に誰に任せていたか。その相手をどの程度信頼していたか。』」
針の振れが変わり、喉がまた小さく動く。
「細けえ金の出し入れは、みんな、あいつだ。支払いも、家賃も、病院も……俺は稼いでくるだけで、あとは任せっぱなしだった。よくやってくれてたよ。文句はなかった」
出力紙には、〈生活費の管理を現妻に一任〉〈家計運営に対し高い信頼〉といった文言が、冷たく要約されて並んでいく。
「なるほどな。これは現妻に都合がいいか。はあ……」
なぜかバルドは苦々しそうにため息を吐いた。
「すでに、両陣営にそこそこ顔を立てられるバランスができてきたな。……まあ、情報は揃った。あとは『敗戦処理』でいい」
「敗戦処理?」
「――『これからの家族の暮らしについて、あなたが一番望んでいることは何か。』」
ジェーンは思わず、バルドの横顔を見た。
(そんな聞き方を? ずいぶん情緒的じゃない)
いつもの冷えた口調のままなのが、かえってちぐはぐに思える。
最後の問いかけに合わせて、喉が動く。
「……金で、揉めるな。腹を立てるのは勝手だが、家族同士で、金で口をきかなくなるような真似は、やめてくれ。 ……いちばん下のちびは、見捨てないでやってくれ。あいつ一人じゃ、まだうまくやれん」
ジェーンは、胸の奥をひとつ撫でられたような気がして、わずかに息を呑む。
よくできた弔辞の一節として読むなら、申し分ない文句だ。声色のせいで、なおさら。
バルドが、その感傷ごと切り捨てる。
「こう聞いておけば、生前よほどイカれてないかぎり、両方が自分の主張の裏付けに使えそうな無難なやつが出てくる」
「……質問した時点で、回答がわかるの?」
「ある程度はな」
言いながら出力紙を引き出し、バリバリとちぎる。その音が、妙に暴力に聞こえた。
「質問の中に、『どう答えさせたいか』という意図は最初から含まれてる。だから言葉尻を調整して、都合のいい方向に寄せるんだ。質問とは、本来そういうものだからな」
「それじゃ、証拠にならないんじゃない?」
「忘れたのか? タリエンに〈死霊術〉は証拠にならないって言われただろ。主観だからと。その通り、せいぜい『参考資料』だ。
だからせめて、一方にだけ都合のいい《主観》にならないように整える。それが死霊術士の腕の見せ所ってやつだな」
バルドが淡々と回答候補を拾い、言い回しを整え、形式文書に落とし込む。
生前の人柄、家族への感謝、財産の扱い……。
無難に、しかしそれっぽくまとまっていく。
ジェーンから見るとよくできた弔辞にしか見えないが、本人の口調が反映されていて、それなりの説得力を感じる。
些細だが、ごく個人的な言葉遣い。
たったそれだけで、「本人が言いそうだ」と思えてしまうとは。
バルドは封筒に手早く〈死者問答〉文書を収める。封筒の表には、「死者問答記録」のスタンプが機械的に押されていた。空白の番号欄にさらさらと数字を書き足して、テーブルに載せる。
似た封筒が、すでに何通も積み上がっていた。
「『生前のデータ』を『家族の期待値』で強引につなぎ合わせて、観測統計式で整合性を取る。――これで『父親の遺志』は出来上がりだ」
それだけ言って、バルドは次の封筒を開いた。




