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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第一章 憑依(オーバーレイ)

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31.揺れない者と祈る者

 午前の礼拝を終えたばかりの聖堂では、まだ香炉の煙が天井近くに薄く留まっていた。

 ステンドグラスの色が、石床にうっすらと落ちている。


「アシェルさま、局からの通達です」


 若い書記が、封蝋の割られた書類束を手に、控えめに近づいてきた。


「ご苦労」


 アシェルは頷き、手渡された書類を受け取る。

 ブドウと月桂樹の枝。見慣れた《死後資産管理局》の印章。

 その下に、規定の文言がきっちりと並んでいる。

 最後の一行には、こうあった。


 ――本人および遺族の意向により、頚椎(けいつい)一番を〈鉱物置換パーミネラリゼーション〉のうえ、タフィオ第一区教会へ返還予定。


 アシェルはふっと息を吐いた。


「頚椎のオパール化。やはり、そう来るか」


 書記が不安そうに彼の横顔を見る。


「あの、受け取るのですか? それとも……」


「『死後資産として扱われた遺体は、教会として受け入れを拒否するべきではないか』という話か?」


 アシェルは、自分の言葉をなぞるように小さく笑った。


「それについては、今日、結論を出すことになっている」


 *


 礼拝堂に隣接した司祭館の一室は、応接室になっている。普段は来客対応や、教会内の打ち合わせに使われる部屋だ。

 テーブルには、死後資産管理局からの資料が何部か並べられていた。

 その場にいるのは、大司祭、会計を兼ねる壮年の司祭、納骨堂を預かる老修道士、信徒評議会の代表として呼ばれた中年の婦人。そしてアシェル。

 五人だけの小さな会議だ。


「まず、事実の整理からだな。それにしても、《A17》とは……。なんと悲しい呼称か」


 大司祭が老眼鏡を押し上げ、静かな声で言う。


「何度も礼拝に訪れていただろう。そのうえで、金タグの契約を結び、自分の肉体を都市の維持に差し出したのだ。……だが、その契約は途中で踏みにじられた。地下に落ちたのだろう?」


「はい」


 アシェルが短く答える。


「局は内部犯を摘発し、献体を回収し――契約どおり死後資産として処理しなおす、と」


「その『処理』の一部が、教会への返却というわけですか」


 会計司祭が眉をひそめる。


「骨をオパールにするのか?」


変成術専門魔術士(トランスミューター)の仕事です。管理局から返還される《遺品》の形式としてはありふれていますよ」


 納骨堂の老修道士が、静かな声で補足した。


「すでに何柱か、うちの納骨堂にも納められていますよ。金タグの信徒は珍しくありませんからな」


「そうだ」


 大司祭はゆっくりと頷く。


「屍体は危険物。献体は都市インフラ。その理屈は、我々もとうに飲み込んでいる。問題は、『死後資産として扱われた遺体を、どこまで()()に受け入れるべきか』だ」


 視線が、自然とアシェルへと向く。


「提案を出したのは、おまえだ。アシェル」


「ええ」


 アシェルは短く息を吸い、胸の内を整理するように言葉を選んだ。


「私はずっと、迷いを抱えています。屍体を危険物として扱う現行の法は、理解できます。死を公の管理下に置くことは、都市のためでもある。ですが……《死後資産》という言葉には、どうしても引っかかりがあるのです」


「資産は、神の所有物ではないからか?」


 大司祭が尋ねる。

 アシェルは、わずかに笑った。


「ええ。魂は神のもの。肉体も、本来は神の手を経て土に還るべきものだと、私は教わってきました。死後資産管理局の仕事は、いわば『神が沈黙したあとに、あらためて死を管理しなおす試み』です」


 彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ネクロマンサーたちは、『やり直し』をしようとする。死んだはずの者に声を与え、止まるはずの線を延ばす。……私は、それを、神への異議申し立てだと思ってきました」


 老修道士が、静かに腕を組んだ。


「だが、都市はそれで回っている。葬儀も、処理も、感染症の封じ込めも、だ」


 代わりに口を開いたのは会計司祭だった。


「現実問題として、献体は新たな技術の礎となり、インフラを支え、そこで得られた対価が教会にも流れ込んでいる。寄付という形でな」


 アシェルは目を伏せる。


「神の沈黙のあとを人間が埋めている。それそのものが罪だと言い切る自信は、もはや私にはありません。だが『資産』と呼び、切り刻み、売り買いするところまで行ってしまえば……」


 そこまで言ったところで、信徒代表の婦人が、おそるおそる口を開いた。


「……素人の意見で恐縮なのですけれど」


 全員の視線が向く。彼女は手を膝の上でぎゅっと組み直した。


「理屈はわかります。都市のために管理が必要だということも。ですが、『一度、屍体加工屋に落ちたあとで戻ってきた骨』を、普通の遺骨と同じ棚に置いていいと言われたら、正直、戸惑う人は多いと思いますわ」


 老修道士が小さく頷いた。


「導線の問題もありますな。説明なしに並べれば、信徒は皆、同じ《墓》だと思うでしょう」


「説明すればいい、という話でもなかろう」


 会計司祭がため息をつく。


「『一度、値札をつけられかけたあとに戻ってきた信徒です』と毎回言う気か?」


 アシェルは、胸の奥で別の光景が浮かび上がるのを感じていた。

 地下の屍体加工屋。値札、使い道の並んだ書類、切断面……。

 首を振って、その想像を追い払う。


「……少なくとも、信徒が行った『自分の死を都市に役立ててほしい』という決断が、途中で利得のためにねじ曲げられたことは、はっきりと罪だと言える」


「そこは、局も認めているようだな」


 大司祭は書類の一枚を指で叩いた。


「『違法な用途外利用を阻止した』。それがやつらの言い分だ」


「教会としてはどうする?」


 会計司祭が問いかける。


「死後資産の扱いそのものを拒むのか。それとも、『信徒が生前に明示的に希望した献体』に限って例外とするのか」


 アシェルは答えなかった。

 代わりに、礼拝堂の片隅で膝を折った青年の姿を思い出していた。

 祭壇ではなく、屍体安置室への扉に向かって膝を折った男。


 ――ジェーン・ドゥは勝手に歩いてるんだ。あんたの言葉でいえば《魂》が入ってるんだろ。


 どこまでも冷静で、どこまでも誠実な否認。

 祈りの言葉を覚える気はまるでなさそうなのに、あの青年はときどき神学の核心を突くようなことを言う。


(……あの誠実さは、おそらく、我々の神学にとっても試金石なのだろう)


 アシェルは顔を上げた。


「私は、こう考えます」


 アシェルの視線が四人に向けられる。


「原則として、教会は『死後資産としての扱い』を積極的には受け入れない。都市のインフラであること、それ自体は理解しますが……我々にとっては、何よりもまず『神に委ねられた器』なのです」


「ふむ」


「ただし、信徒本人が、生前に明示的に当教会への《納骨》を望んでいた場合。もしくは、教会へ事前に献体契約が共有されていた場合。今回のような《オパール化》のような形であれば、例外として受け入れる。それをもって、神に返されたものとして扱う」


「途中でどれほど加工されようと?」


 老修道士が問う。アシェルは、少し間を置いて頷いた。


「信徒が下した選択も、死を利に換えようとした者たちの罪も、この都市の都合も……。そのすべてを抱えたうえで、『ここから先は神の領分です』と言える場所が、我々の納骨堂であればよい」


 信徒代表の婦人が、小さく肯いた。


「……それなら、信徒にも説明できましょう。『資産として切り刻まれた屍体』をそのまま置くのではなくて、『本人が望んだ』から預かったのだと」


 会計司祭は肩をすくめた。


「経理上は、何の得にもならんがな」


「得にならぬ方が《教会》らしいだろうに」


 老修道士が、わずかに笑った。

 大司祭はしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。


「……管理局も、充分に譲歩している。この辺りで矛を収めるのがよいだろうな」


 静かな結論だった。


「拒絶だけを掲げていれば、我々はただの抗議者になる。信徒たちの決断も、見なかったことにはできまい。……死霊術士たちの誠実さもな。『本人が教会への納骨を望んでいた』場合には受け入れる。教会としては、その方針で行こう」


「了解しました」


 会計司祭がうなずき、メモに方針を書き込む。


「では《彼》の頚椎は、通常の献体信徒と同様に、納骨堂に安置する手続きを」


「納骨堂側で準備しておきましょう」


 老修道士が静かに応じた。


「信徒側への説明は、こちらで引き受けても構いませんが……」


「遺族への説明は、私が行います」


 アシェルはそう申し出た。

 会議が終わるころには、昼の光が聖堂の中庭に差し込んでいた。


 アシェルは一人礼拝堂に戻り、短く祈りの言葉を口にした。揺れない答えはまだなくとも、祈ることだけはやめまいと、自分に言い聞かせながら。

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