29.事後処理
朝の局舎は、まだ少しひんやりしていた。
地下階でA17の魔術汚染検査と再防腐処置を終えたばかりのバルドは、コートを羽織りながら保全課のフロアへ向かうエレベーターに乗り込んだ。検査の結果、A17に目立った魔術汚染はなかった。
バルドは手にしていた検査票を一瞥し、数字を確かめると、紙片を無造作にポケットへ押し込む。
例のごとく後をついてきて――ついでにさんざん手伝わされたジェーンは、呆れたように首を振った。
「にしても、保全課に顔を出す前に検査なんてねえ。根っからの仕事人間」
バルドは、こちらを見もせずに応じる。
「いちいち戻るほうが面倒だろ。それに、どうせ後回しにはできない」
「まあ、そうかもしれないけど」
言ってることは正しいのだが、出勤前に済ませるのは普通ではない。ジェーンの呆れもあながち間違いではなかった。
「それより、昨日繋いだ部位に異常はないか」
ジェーンは右腕をぶらぶらさせてみせた。
「ないわ。まあ、あったとしても問題ないかな。課長との約束もあるし」
「約束?」
「死なない限り欠勤しないって」
初めてグレイヴスの前に引きずり出されたときも同じようなことを言い、バルドはソファで笑い転げた。あのときは、ネクロマンサーの笑いのツボに困惑したものだったが。
「ああ、そうだった」
今の彼は、口元だけでにやりと笑うだけだった。声の調子はほとんど変わらない。言ってすぐ真顔に戻る。
「おまえがいないと、雑用が増えるからな」
「わかってるわよ。ちゃんと使い倒してよね」
「壊すつもりはない」
バルドはそれだけ言って、保全課のドアを押し開けた。いつもの席の前を素通りして、まっすぐブリーフィングルームのほうへ歩いていく。
「あ、そうか。今日は『会議』か」
ジェーンも慌てて後を追った。
ほどなくブリーフィングルームに着き、バルドの一歩うしろに立つ。
やがて扉が開き、タリエンの声が彼らを中へと招き入れた。
ブリーフィングルームは、朝の光から切り離されたように薄暗い。
長机をはさんで向かい合うように、タリエンとグレイヴスが座っている。端にはリメンがタイプライターを持ち込んで、すでに何かを打ち込んでいた。
バルドは椅子を一つ空けてグレイヴスの隣に腰を下ろした。そのすぐ後ろにジェーンが立つ。彼の背中越しに、テーブルの上のファイルが見えた。
「……では、献体A17案件について、暫定だが結論を共有する」
タリエンの声は、いつも通り淡々としている。
話の中身は、すでにジェーンも知っていることが多かった。
第一区治癒院から第二冷却庫への搬入。封印照合は形式上問題なかったこと。
第二冷却庫から本局搬送までの間にある荷役用シャフトが「生きていた」こと。
そこを使って、冷却庫の管理者が《地下》の屍体加工屋にA17を引き渡そうとしていたこと。
「内部犯は第二冷却庫の管理者。動機は債務の延滞」
タリエンの要約を、リメンがカチカチとタイプライターに落としていく。
「ねぐらはもぬけの殻だった。押収できたのは加工途中の屍体、器具一式、A17本人の献体。襲撃者の身柄が三体。うち一体は屍体だがね。それ以外は、きれいさっぱり消えている」
「《頭》までは行けなかった」
グレイヴスの言葉に、タリエンが短くうなずいた。
「いわゆるボディ・スミス網の末端だ。上層も、A17を欲しがっていた依頼者も、特定には至っていない」
まだどこかで、誰かが屍体を切り刻んでいる。そのイメージが、ジェーンの頭にありありと浮かぶ。
……仰向けに寝かされた屍体の胸骨の上あたりにメスの刃が沈み、へそを通るように恥骨の上あたりまで滑る。皮膚やら皮下脂肪やらをめくると、〝中身〟があらわになる。それを、芋ほりでもするみたいにまるごと引き上げて……。
(うーん……。ちょっと、解剖を見過ぎちゃったかな)
ジェーンはイメージを振り払うように、会議室を視線だけでぐるりと見渡す。ちょうど、タリエンがバインダーを持ち上げて口を開こうとしていた。
「軍医療局向けの高品質献体を横取りしてまで、何をするつもりだったのか。そこから先は、推測の域を出ない」
「わかっている範囲では?」
グレイヴスの促しに、タリエンは紙を繰る。
「転売目的が可能性としてはもっとも高い。死霊術を用いれば、より細かい用途もあり得るがな。そこは、専門魔術士の見解を聞こう」
タリエンが視線だけでバルドに合図した。彼はファイルに視線を落としたまま口を開く。
「A17の死因は急性心不全、外傷はゼロ。薬物汚染なし。魔術汚染なし。生前の魔術治療歴は軽微。――要するに、どこを切り取っても、安定した魔力伝導率が保証されている」
バルドは書類をめくり、平坦に述べる。
「A17の脊柱は、まるごと北方治癒院区の結界に中枢触媒として組み込まれる予定だ。これから十年単位で、病院街の患者を守る……」
そこまで言って、バルドは口元を手で押さえる。
すぐに離した。
「話が逸れたな。……つまり、これほどの触媒であれば、死霊術的にはそれこそ何でもできる」
「何でも」
タリエンが眉をわずかに動かす。
「《試験機》として使うのが手っ取り早いな。なにせ、倫理基準をすっ飛ばした実験ができる。毒でも呪いでも胎芽でも、何を流し込んでもいい。一体で百の商売が回せる《万能触媒》というやつだな」
「百の商売ね。ネクロマンサーとセットで売る算段だったのかもしれんな」
グレイヴスが椅子にもたれ、紙煙草を指先でいじりながらぼそりと言った。
「あり得る。それなら、どれほど強気な価格設定にしても一瞬で捌ける」
他でもない自分がその《セット》の当事者であるはずだが、バルドは相変わらず抑揚のない声で応じた。
グレイヴスは紙煙草を取り出し、指先で弄ぶ。火をつけることはない。
「まあ、この辺が落とし所だろう。これ以上派手に暴れると、軍医療局との契約にヒビが入りかねん。なにせ、上のお気に入り案件だからな」
「ああ。事件としては、いったんここで畳む」
タリエンが締めるように言い、ひと呼吸おいてから別のファイルを開いた。
「次は、保全課の《随行資産》、ジェーン・ドゥについてだ」
自分の名前が呼ばれて、ジェーンはタリエンに視線を送った。
リメンが内容を読み上げる。
「今回の高危険度案件において、随行資産ジェーン・ドゥを、《呪具》扱いで試験運用。現場での情報収集および戦闘で有用性が確認されました」
「……危険でもあったがな」
タリエンが口を挟む。
「〈憑依〉は術者の負担が大きい。数日かかる儀式を数分に短縮するなら、なおさらな。禁止してもいいくらいだ」
「過去の覗き見ができれば、それだけ早く事件を畳める。その儀式を圧縮できる手段は得難い。そうでなくても、ネクロマンサーの護衛と献体保全については、十分すぎるほど貢献している」
グレイヴスが断じる。
ジェーンは、バルドの背中越しに資料を覗き見た。
自分の名前が、《呪具》《媒体》《運用》なんて言葉と同じ顔で並んでいる。
そこまで考えて、彼女は思わず苦笑を漏らした。
(まあ、名前といっても《ジェーン・ドゥ》だもんね。そんなに変わらないかも)
「いまの枠組みでは、随行資産は荷役や軽作業に限定されている」
タリエンが続ける。
「だが今回は、『高危険度案件に限り呪具の携行を認める』条項を適用し、《自律屍体》を呪具として持ち込んだ。監査局としても、完全否定はしない」
「は。めでたく前例入りだ」
ちっともおめでたくなさそうにグレイヴスが言う。
リメンはその言葉を拾って、簡潔かつ適切な文に変えた。
「記録上は、こう整理します」
紙を持ち上げて、リメンが読み上げる。
「随行資産ジェーン・ドゥは、高危険度案件における呪具扱いの試験運用、その第一例となります。主に、死霊術専門魔術士を伴う現場で用います」
ジェーンはなんとなしにバルドの背中を見る。自分が《呪具》になった実感はまだ薄い。ただ、書類の上ではそう記録された。
バルドは書類に視線を落としたまま、何も言わなかった。
「運用責任は保全課でいいな、グレイヴス」
「もちろんだ」
タリエンの問いかけに、グレイヴスが短く答えた。
「随行資産を使うのはだいたい保全課だ。ぜんぶこっち側の判断と責任でやる。監査局には、事後に文句をつける権利だけ渡しておけばいい」
タリエンがわずかに眉をひそめたが、訂正まではしなかった。
「……では、監査局には《試験運用》として報告しておく。今後、同様の使用例が増えるようなら、正式な内規に格上げできるだろう」
「最初からそう言ってくれれば楽なんだが」
「それは、死後資産管理局で決めることだろう」
「ま、急ぎじゃない。搦め手を使うほどではないな」
グレイヴスが肩をすくめると、場の空気が少しだけ緩んだ。
「他に、何か」
しばしの沈黙の後、タリエンの手に載ったバインダーがぱたりと閉じられる。
「内部犯は特定・拘束済み。献体は回収し、契約どおり処理ラインに戻した。ラインの穴も塞いである。
──事件は、これで片付いた」
片付いた、という言葉が妙に強調され、ジェーンは少しだけ眉を寄せる。
「軍医療局との契約は保たれた。都市も、遺族も、守られた」
(守られた。本当にそうなの?)
ジェーンはひっそりと訝しむ。
アンダーグラウンドの奥では、A17を欲しがった誰かが、今も息を潜めているはずだ。
だが、もうそれ以上の話は出てこなかった。
事件は、完全に終わったことになった。
少なくとも、紙の上では。
――そういう決まり文句を、今度はA17の遺族に向かって伝えなければならない。




