2.内側からの侵入者
バルドはホルスターの安全装置を外した。
「背が高いな。成人女性だろうけど……念のため、六発入れる」
そんなつぶやきとともに、金属の小さな音が鳴る。取り出したのは魔術焦点具――フリントロック式の拳銃だった。時代遅れの型だが、魔術士にとっては大した問題ではない。要は、魔法の触媒を詰める隙間があり、矛先をコントロールできさえすればいいのだ。
「それで、屍体にしてから尋問か?」
「お願いします」
リメンの同意に、バルドはぼやく。
「仕事が増える……」
女が焦ったように声を上げる。
「待って! わたし――」
引き金が引かれた。
重い音が六度、立て続けにロビーに響く。
銃口から走った黒い閃光は、すべて女の胸に着弾した。その身体がよろめく。
だが、女は倒れなかった。
「な……なに……?」
女は自分の胸を見下ろし、呆然とつぶやく。それでも、まだ地を踏みしめて立っている。
「妙だな。死の付与ができない。確かに六発入ったよな?」
バルドのつぶやきに、ルツが息を呑む音が聞こえた。
横から銀色の閃光が走る――リメンが放った力術――斬撃魔法。
それは女の首を正確に捉え――断ち切った。
女の視界が、ぐらりと傾く。
天井が見え、床が見え、自分の身体が見えた。
女の頭部は床に転がり、ゴトリと音を立てて止まった。
彼女の視界から見えるのは、横倒しになったロビーの光景。
そして、自分の身体。
バルドが呆れたように首を振る。
「なあ、やっぱりおまえがやったほうが早いんじゃないか。リメン」
「動かない的の首を撥ねただけですよ。ご冗談を」
しれっとリメンが返す。
二人は、そのまま女の身体に視線をやった。
身体は、まだ立っていた。
だが、それよりも奇妙なことは――
「血が噴き出さないな。……断面を見てみよう」
バルドが一歩踏み足した途端、びく、と女の腕が上がる。首を失った身体が、何かを探すように、おろおろと両手を動かしている。やがて床に転がった自分の頭を見つけると、慌てたようにそちらへ駆け寄った。
「うそ! なんでまだ動くの!?」
ルツの悲鳴じみた声。
女の身体は床にしゃがみこみ、自分の頭を抱え上げた。頭を正面に抱えたまま、身体は立ち上がる。
そして――走り出した。来た方向、廊下へ戻ろうとする。
「止まれ!」
バルドが再び引き金を引く。今度は金の閃光だった。
着弾。女の足と肩が撃ち抜かれる。
だが、止まらない。
リメンが女の進路を塞ぐように立ちはだかり、蹴りを放った。
正確な一撃。女の身体は吹き飛び、床を転がる。
それでもなお、女は体勢を立て直そうとする。
頭を抱えたまま、膝をついて、立ち上がろうとする。
バルドは走った。
女との距離を詰めながら、意識を切り替える。視界が変わる――生命視覚。世界が色を失い、輪郭だけが浮かび上がる。
生者と死者。その境界を見極める魔法。
女の姿が、視界に映る。
――光はない。生命の気配が、まったくない。
「屍体だ!」バルドが叫ぶ。
それから、鼻を刺すアルコールと樹脂の匂いに気付いた。
床に転々と滴る赤い液体は血だと思い込んでいたが、近づいてみると奇妙に明るい色をしている。ピンクというほうが近かった。
――防腐液だ、とバルドは即座に悟る。
ただの屍体ではない。加工済みだ。
「まあ、アンデッドでしょうね」リメンは平然と答える。
「首が取れてもこんなに元気なら」
「わかってるならさっさと〈魔法の看破〉をしろ! 誰が操ってる!?」
バルドは女の周囲を警戒しながら問う。
屍体が動く。それは魔法によるものだ。ならば術者がいる。誰かが操作している――はずだ。
「もうやってます」リメンは女を凝視しながら言う。
「でも、引っ掛からないんですよね。阻まれているという感じもない。誰の支配下にもない」
「じゃあなんだ? これは魔法じゃないって? 冗談だろ」
バルドの声に、苛立ちが滲む。
リメンは答えず、女に向き直った。彼の手が、複雑な軌跡を描く。
拘束魔法の印。
「〈拘束〉」
見えない力が、女の四肢を掴む。女の手足が、ぐにゃりと曲がる。
骨が折れる音。
それを聞いたバルドの顔が、はっきりと歪んだ。
「おい、やめろ! 手荒に扱うな」
「四肢を潰しておかないと、また逃げるでしょう」
「それでもだ。屍体を必要以上に壊すな」
やれやれ、という表情で、リメンが拘束魔法を止める。
「あなたの〝流儀〟は知っていますよ、バルド。ですが、今回は例外です。部外者は捕えなければならない。それが規律ですからね」
「……わかってる」
女は痛がる素振りさえみせない。女の身体は床に伏し、完全に動きを止めている。
頭だけが、床に転がったまま。茫然とした目が、自分の身体を見つめている。
女の頭が、か細い声を出した。
「あ、あの。わたしは……」
バルドはため息をついた。女の頭を、そっと持ち上げる。
思ったより冷たい。確かに、これは屍体だ。
「とりあえず、喋らないでくれ」
バルドは疲れた声で言う。
「余計に混乱するから……」
「もう十分、混乱してますけど……」
女の頭が、バルドの腕の中で答える。その声は震えていた。
リメンが淡々と報告する。
「グレイヴス課長。屍体を捕まえました。性別は女性。件の逃げた屍体ですか?」
『ああ、おそらく』通信機から低い声。
そのやり取りに、女の目が僅かに揺れる。意味を掴もうとするように、こちらを見つめる。
「見るな」
バルドは布を取り出し、女の頭にかぶせた。
魔法的な反応を遮断する特殊な布だった。
女は魔術士ではないといったが、それを鵜呑みにするわけにはいかない。眼球を使わなくても、ものをみる方法はある。先ほど彼が使った生命視覚のように。
しかし、この女はいったい何なのか。
魔術士から魔力を供給されずに動く屍体なんて、前代未聞だ。
未知の術式か。あるいは、違法な改造物か。
バルドは短く息を吐く。
「まずは首と骨をくっつけないと……」
『勾留しておけ。――バルド、首を繋げるのはいいが、手足はそのままにしておけ』
通信機越しの命令に、バルドは苦い息を吐く。
「……。バッグを取ってくる」
バルドは女の頭をルツに渡して、さっさと搬送路へと向かった。
ルツが女の身体と頭を回収用の袋に入れる。リメンは伝声管で清掃係に指示を出している。
ロビーに残された赤い防腐液が、まだ生々しく光っていた。




