27.ネクロマンサーの有用性
保全課のフロアは、夜間用に照明が半分落とされ、静かだった。
昼間のざわつきはすっかり消えている。執務机の多くは空で、椅子には外套や上着が無造作に掛けられ、テーブルは文具やゴミでとっちらかったままだった。この場所で作業をしていた人間の痕跡が転々と残されている。
薄暗い空間で、打鍵音が規則的に響いていた。
奥の卓上ランプだけが灯っている席に、リメンがいた。分厚いファイルを片手で支えながら、タイプライターで高速にメモを打ち込んでいる。
ジェーンは彼に近づいていく。足音はほとんど立ててないつもりだったが、リメンはすぐに顔を上げた。
「ああ、ジェーン・ドゥ。ご苦労さまです」
声は静かだが、完全な無機質でもない。深夜シフトに慣れた者特有の、こんな時間に顔を合わせる同僚へのうっすらとした同情と労いが滲んでいた。
「その……報告です」
ジェーンはぺこりと頭を下げる。
「本来わたしは《随行資産》なんですが……ネクロマンサーが連れ去られそうだったので、いろいろ動きました。えっと……。間違ってなければいいんですけど」
「素晴らしい成果ですよ。えらいですね」
リメンは微笑んで顔を上げる。
「あなたの、戦闘態勢への適性は確認されました。次の出動までには《正式登録》が可能でしょう」
ジェーンは戸惑い気味に聞き返した。
「正式登録……? わたし、資産ですよね?」
資産。便利に使える《危険物》。自分では苦々しくそう定義していた言葉を、改めて口に出してみる。
「ええ。君はバルドの随行資産ですが、高危険度案件では置いて行かざるを得ませんでした。今回は一時的に《呪具》として同行させましたが、君を連れていくことの正当性が問われていたんです。
今回の件で、彼にとって必要な《呪具》であると示せましたね」
ジェーンは押し黙る。
リメンはやや表情を緩めて、言葉を続けた。
「万一バルドが攫われていたら、追跡は困難を極めたでしょう。君の判断は正しかった」
タイプライターのキーから、リメンの指が離れる。眼鏡の奥にある瞳が、ジェーンを真正面から捉えた。
リメンは一度だけ時計を見上げ、それから卓上のメモ用紙を引き寄せた。
「せっかくなので、このまま聴取ログも起こしてしまいましょう。君の記憶が新しいうちに」
「わたしの聴取も必要なの?」
「ええ。バルドのログと突き合わせます。あなたがどのタイミングで何を判断したか、正確に残しておきたいのでね」
ジェーンは隣の椅子に腰を下ろし、言われるままに地下での出来事を口にしていく。紙の上に自分の行動が固定されていくのは、なんだか不思議な気分だった。
聴取を終えると、リメンがタイプライターに起こす。正式な報告書となったそれを抜き取り、ざっと目を通した。
「……バルドが連れ去られかけた場面で、君はまず指示通りA17を防護し、そのうえで犯人を近接戦闘で制圧。献体保全と死霊術専門魔術士保護を同時に成立させた点は、武装班からも高く評価されていましたよ」
「そんな、大したことじゃないと思うんですけど……」
謙遜ではなかった。ジェーンの中には「好き勝手に動いてしまった」という反省があった。褒められる行為ではなかったと感じていた。
だが、リメンはそうは受け取っていないようだった。 淡々とした口調だったが、声にわずかな肯定の色が滲んでいた。
「ふつうは、実力不足で最悪の状況になるんですよ。欲張りすぎてネクロマンサーも献体もどちらも盗られる。
でも、君はやり遂げた。命令違反もしなかった。優先順位をつけて、それでも最後まで諦めない人が、現場ではいちばん頼りになるんです」
ジェーンは返す言葉を見つけられず、リメンが打ってくれた報告書の文字を目で追う。しばらく口を結んでいたが、やがて問いかけた。
「……どうして、バルドは狙われたの?」
リメンは一度だけ視線を机上の書類に落とし、それから改めてジェーンを見た。
「理由が多すぎて、どれとは断言できませんね」
タイプライターを、人差し指が軽く叩く。
「まず、単純にネクロマンサーへの需要が異常に高いんです。特に《地下》では。屍体も証拠も都合よく処理してもらえる。殺したい、自白させたい、生まれてくる前の命にさえ手を加えられる、と噂されている。
それを本気で信じている者たちがいるんですよ。死霊術は全部の近道だと考える人たちがいる」
「全部の近道……。本当に?」
リメンは小さく肩をすくめる。
「さすがに、全部は無理でしょうけどね。ですが、死霊術専門魔術士が生命の〈出入口〉に関わる魔法の専門家であることは事実です」
「だから、『そうであってほしい』と願う人には、そのとおりに見える……」
「ええ」
生命の出入口。――死と誕生。
ネクロマンサーに対する噂話として聞いていたなら、軽く受け流せたかもしれない。だが今は、名前と顔を知っているただ一人の姿が、どうしても重なってしまう。
ジェーンの頭によぎったのは、病室でバルドが発した言葉。「死の付与」という乾いた言葉。
そんなふうに死を「処理」せざるをえなかった人間の技術を、《地下》はもっとも乱暴で便利な形で欲しがっている。
「実際、《地下》の診療所、拷問部屋、違法な産科には《闇ネクロマンサー》とでもいうべき存在がいるはずです。そうでなければ説明のつかないような犯罪が、いくつもある」
リメンは手元のファイルを一冊抜き出し、ぱらぱらとめくった。そこに並ぶ事件記録の羅列を、ジェーンは斜めからちらりと覗く。じっくり読めるほど近づく勇気はなかった。
「その……。ネクロマンサーは、地下では高値で売れるの?」
声が、思った以上に小さく出た。問いながら、最悪の想像をしてしまう。暗がりに鎖で繋がれ、血の滴る頭を垂れているバルドの姿を。
「地下じゃこう言われてますよ。『ネクロマンサーが一人いれば、百の商売が回る』」
リメンは目を伏せ、キーボードから外していた手を再び机に置く。
「ネクロマンサーは戦力でもあり、資源でもあり、脅威でもあります。だから彼は常に、守られるべき存在なんですよ。──バルド自身は、自覚が薄いんですけどね」
「だからわたし、彼の護衛なのね」
ジェーンは自分の胸元に下がった黒タグを見下ろした。
リメンはうなずく。
「局としても、ネクロマンサーの単独行動は原則禁止しています。業務時間内の外出は送迎車の利用が必須。護衛か随行資産をつけることが定められています。……嫌になりましたか?」
ジェーンは首を振った。
「彼、あのままだと本当に攫われそうだから」
リメンはわずかに口角を動かした。微笑と言うには控えめだったが、愛想笑いよりはずっと柔らかい表情だった。
「助かります」
それが、局のためなのか、バルド個人のためなのか、ジェーンにはわからない。
だが、自分を必要としてくれたように聞こえた。
病室のベッドで、淡々と書類を起こしていたバルドの姿が浮かぶ。その《手》を奪おうとする者たちは、もっと露骨に、それを〈道具〉として見るのだ。
(わたしのことを「道具じゃない」って言ったくせにね)
だが、あの男自身は、数えられている。
戦力、資源、脅威。よく考えれば、人間に対する評価としては、あまりにも冷酷で、無機質だ。
(退院したら、彼はきっとすぐ現場に出ようとする)
ふと、病室で交わした会話を思い出す。安楽死の話を振ったとき、彼は嫌悪も誤魔化しもなく、ただ淡々と、自分の言葉で答えてくれた。
バルドは、ジェーンを人間として特別扱いしてはいない。ただ、同じ「死の側」に立つ者として扱っているだけだ。おそらく、死の話を率直にできる相手としては、誰よりも信頼してくれている。
それだけでも十分すぎるほど丁寧な扱いだと感じてしまう自分が、少しおかしい。
だがそのことは、彼女自身が思っている以上に、ジェーンの支えになっていた。
アンダーグラウンドと呼ばれていた地下の、冷え冷えとした空気が蘇る。
バルドは、重症でありながら痛みを訴えることはなく、真っ先にジェーンの傷を気にした。自分の存在を留めておこうとする気配が薄かった。
明日には、彼がいなくなっているのではないか。――そう思わずにはいられない。
この先も彼があのように削られ続けるのを見るくらいなら、便利な《盾》として扱われるほうがずっとマシだ。
そう腹をくくると、夜の保全課の空気が、さっきよりほんの少しだけ、軽くなった気がした。
少なくとも、自分がここにいていい理由がひとつ、できたと思った。




