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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第一章 憑依(オーバーレイ)

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20.危ない橋を渡る動機

 バルドはしばらく夜勤に入るということで、睡眠のいらないジェーンは日中、グレイヴスの横に立っていることにした。ここにいれば、何かしら仕事を見つけられそうだと思ったからだった。


 グレイヴスは最初こそ彼女を無視していたが、翌日には彼女を使い始めた。


「誰か来たら名前と用件を聞いておけ」と命じて離席する。帰局するときには自分の帽子をジェーンの頭にぽんと乗せ、腕にはコートを引っかける。


 埃をかぶっていたハンガースタンドが、たまたま歩き出したとでも言わんばかりに――完全に《家具》として扱っていた。


 ジェーンは小声で抗議しながらも、廊下の隅に据えられたコート掛けや書類立てと同列に立ち続けた。


「わたしはコート掛けじゃないんですけどねえ?」


「使い勝手がいい備品で大変結構」


 グレイヴスは顔も上げずに答え、ジェーンはため息ひとつで受け流す。


 グレイヴスの話し方は、バルドに似ている。

 いや、バルドが上司であるグレイヴスに影響されているのだろうか。


(それにしても、あのバルドのほうが()()だなんてねえ……)


 ジェーンは心の中でぼそりと思う。

 バルドは口が悪いし、朝から晩までジェーンをこき使う。多忙な彼の傍には人手がいくらあっても足りないらしい。


 だが――バルド自身がどこまで自覚しているかはわからないが――彼がジェーンを指すときには、必ず「彼女」や「こいつ」と呼ぶ。「おい、ジェーン」と名を呼びかけてから指示を飛ばす。

 屍体を丁寧に扱いこそしても、決して人間扱いはせず、話しかけさえもしない、あの男が。


 だがグレイヴスは、それすら省略する。

 ジェーン・ドゥを()()()屍体と認識しているのは、今のところ、グレイヴスだけだった。


 *


 保全課エリアの共用デスクの上に、分厚いバインダーが三冊重ねられる。それを置いたタリエンは、肩に雨粒を付けたままのコートを脱ごうともせず、すぐさま口を開いた。


「第二冷却庫を洗った」


 顔はいつも通り無表情だが、声にはわずかに疲労が滲んでいる。


 《家具》としての扱いに慣れてきたジェーンは、グレイヴスの肩越しに身を乗り出した。ルツとリメンも、手を止めてこちらを見る。バルドはいなかった。


「封鎖されていることになっているシャフトだが、実際は鍵さえあれば誰でも使えた。昇降機の封鎖は形式だけ。荷下ろし通路から昇降機を経由して、地下三階の駐車場までの間に、監査ログの空白があった」


 タリエンは淡々と言いながら、バインダーを開いた。ページをめくり、一枚を指先で叩く。


「第二冷却庫の管理者。こいつでほぼ確定だろう。シャフトの鍵を使うのもログの改竄も、容易な立場だ」


 タリエンは結論だけ先に言う。ジェーンはあの時に出会った、妙に青い顔で書類を差し出してきた男性を思い出す。


「すでに『尋問室』に通して、一通りの聴取をさせている。黙秘の構えだが、軽く叩けば吐くだろう」


「A17は?」


「おそらく《地下》に」


 タリエンの表情に、はっきりと嫌悪の色が浮かぶ。グレイヴスは資料に視線を落としたまま訊いた。


「だが、なぜ金タグを《地下》に流した。なんだってわざわざ危ない橋を渡る?」


「あとで吐かせるが、どうせ金目当てだろう」


 タリエンは、別のバインダーからおもむろに紙束を抜き取った。

 契約書の控えに、おびただしい明細書が挟まっている。


「奴の妻がAATをやっているからな」


「ああ、なるほどねえ……」


 ルツが苦々しく吐く。その様子を見て、ジェーンは首を傾げた。


「AATって?」


「加齢促進療法。()()()()()()治療のこと」


 ルツは椅子の背もたれにもたれかかる。やや投げやりな口調だった。


「歳を取らせる? なんで?」


「例えば、子どもの外傷や臓器不全の場合、『もう少し身体が育っていれば治療できるのに』というケースがあるのよ。そういうときは、強制的に『治療可能な年齢』まで引き上げたら、ありったけの治療をぶち込めるわけ」


「えーと……奥さんは大人なんじゃないの?」


「臓器単位なら、成人にやることもあるわよ。あまり推奨はされないんだけどね。臓器を再生させてから、一気に時間を進めて、出来立ての臓器を〝使い物〟にするの」


 そこでタリエンが口を開いた。


「だが、副作用として寿命が削れる。老化を促進するわけだからな。寿命の切り売りだ。その前借り分が、そっくり医療債務として残るわけだが」


 紙束を指先で叩きながら、続ける。


「見ろ。延滞通知だ。『延滞が続く場合は死後資産に対する先取特権が発生します』――まあ、親切なほうだな。この取り立て屋には、わずかばかりの良心があるらしい。

だがあいつは、少しでもこれを緩めたかったんだろうさ。金タグの情報を売ってな」


 そこで言葉が切れた。それ以上、深掘りする気はないようだった。


「取り調べはどうする」


 グレイヴスが話を戻す。


「家族の医療債務が絡んでいる以上、扱いを間違えると面倒だぞ」


「尋問は監査局に回す。保全課からは一人いれば十分だ。

――ところで、死霊術士(ネクロマンサー)バルドの姿が見えないな。どこにいる?」


 タリエンが、表面上は何気なく、一切の含みなく名を挙げる。

 グレイヴスは一瞬黙り込んだが、すぐに口を開いた。


「まだ来ていない。今日は夜勤だ」


 そう答え、タリエンを見る。話を決然と打ち切ろうとするような、冷えた視線だった。


「バルドは調査官である以前に死霊術士(ネクロマンサー)だ。いつまでも尋問室に張りつかせておく人材じゃない。

……A17の行先にあたりがついたら、武装班と《地下》に行かせる。確実にA17だと判定するために、屍体鑑定のできるネクロマンサーが要るからな」


 タリエンは、グレイヴスを見下ろすようにその視線を受け取った。


「了解。()()()()()()。監査局も文句は言わんだろう」


 *


 『尋問室』は、窓のない小部屋だ。机と椅子が向かい合って置かれている。壁には時計がひとつだけ。


 男は――第二冷却庫の管理者は椅子に座り、紙コップを握りしめていた。

 向かいに座るのはタリエン。その脇に、腕を組んだグレイヴス。


「わ、私は、ただ……」


 その声はひどく掠れていた。


「言われた通りに……」


 タリエンは間を置いてから、問う。


「誰に? 名前は」


「知らない……本当に知らないんです。本当に。名前も、顔も。『加工屋』と名乗っていましたが、それが、何なのかも……」


 言いながら、自分で自分の言葉に怯えているようだった。


「ただ、死角を教えろと。第二冷却庫から搬送ラインに出す前に、台車を一時的に留め置くスペースがあって……そこから昇降機に載せれば、記録に残らないからと……」


 タリエンは瞬きもせず、男を睥睨(へいげい)する。


「連絡手段は?」


「……あの、指定されたロッカーに、必要な情報を書いて入れておくんです、そしたら、向こうからかけてくる。非公式の回線で……」


 そこで、言葉が途切れた。喉の奥から、しゃくり上げるような音が漏れる。


「妻はもう……死なせたくなかった……。娘にもちゃんとした生活を……」


 タリエンはその言葉に一切反応せず、手元のメモに短く何かを書きつける。

 そこで、初めてグレイヴスが口を開いた。


「わかった。もういい。取り調べはここまでだ」


 言いながら立ち上がる。椅子が床をする音が耳障りに響いた。


「後は監査局に引き継ぐ。――おい」


 グレイヴスが部屋の外に顔を出し、短く指示を飛ばす。数分も経たず、屈強な局員が二人やってきて、ぼろぼろ泣いている男を手早く連れて行った。


 扉が閉まる。

 秒針の進む音が五回を数えたところで、グレイヴスがぼそりと言った。


「――《地下》で確定だな」


屍体加工屋(ボディ・スミス)だ。厄介な相手を引いた」


「何を今更」


 タリエンはそこでやっとメモを閉じた。


「奴の取り調べは監査局に任せろ。管理局は《地下》を追え。――A17は、まだ街のどこかにある」

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