19.消えた献体 ②
「搬入までは普通だったわ」
ジェーンはバルドを気にしながら、ゆっくりと言葉を並べる。
彼は目を閉じている。腕を組み、拳を握り込んだまま、壁に肩をもたれかけている。額を伝う汗を拭おうともしない。
「まず、彼は通路を抜けて、ちゃんと格納された。そのとき、A17はまだなかった、はず……」
「……続けろ」
バルドが言う。それはほとんど反射だった。組んだ腕の指先にはまだ力が入っていない。壁にもたれた肩だけが、どうにか彼を現在に繋ぎ止めているように見えた。
「えっとね……安置室でA17になって待ってたら、引き出されて、持っていかれた」
その言葉にタリエンはメモを取る手を止め、顎をわずかに上げる。
「どこに?」
「小さいエレベーター。わたしたちが乗ってきたものじゃないよ。揺れが浅かったから、荷物用だと思う。それに載せられたの」
管理者がさっと顔色を変える。
「あ、あの……。そんなはずは……」
書類の端をつまんでめくる仕草が、妙にぎこちない。
タリエンの視線が、じろりと管理者をなぞる。
「あるんだな? 中間保管庫の搬入口から、冷蔵室までの間に、荷役用の昇降機が」
管理者は口をぱくぱくさせたあと、うなずいた。
「……その……荷物用の古いシャフトが一つ」
しぼんだ声で言葉を吐き出して、管理者は観念したように目を伏せる。
「今は塞いでいますが……」
「塞いでいるはずのシャフトが使われているようだが」
「まっ、待ってください! 証拠もなしに、そんな……」
「そうだな。――《死霊術》は証拠にならない。術者の主観にすぎん。裁判に出しても、《証言》以上にはならない」
タリエンの声に温度はない。判決文でも読み上げるような調子だった。
だが、それが情け容赦なく《死霊術》の存在意義を葬り去る宣告のようにも聞こえて、ジェーンは少し身を縮めてしまう。
「わかりきっていることをいちいち言わなくてもいい」
バルドは依然として目を閉じたままだったが、ふだんのきっぱりとした口調に戻っていた。
「〈憑依〉や〈死者問答〉は調査範囲を狭めるだけだ。死んだ本人の証言も、主観であることには変わりないからな。
――だから、それを証拠にするまでがぼくの仕事だ」
彼はそこで、ようやく目を開けた。まだ少し奥行きの狂った瞳が、管理者を貫くように捉えた。
「いいから黙ってログを出せ。昇降機の保守点検の履歴も、設計図も、それに付随する書類も、すべてをな」
管理者は青い顔でこくこくと頷き、係員に指示を飛ばした。
バルドは、台車の上の屍体袋に再び視線を落とす。
「いずれにしても、荷物用シャフトだ。これが搬入口から安置室までの短い搬送ラインの死角になる、と知っている人間がA17を持ち出せた。中間保管庫の内部犯か、昇降機の鍵を開けられる誰か」
*
偽A17は、処置台の上でさえそれらしく見えた。
高度な封印蝋に、タグは金色。
だが、ルツはマスクの下でうんざりした声を出した。
「こんなの、一目見れば偽物だってわかるのにねえ」
ルツの言い分はもっともだった。
脳も、内臓も、骨や神経の一部も、外観に影響を及ぼさない部位はとうに抜き取られている。これでは解剖教材の抜け殻というほうが正確だろう。
「まあ、問題は中身じゃない。誰がそれらしく〈封印〉を仕立てたか」
バルドが言う。
本来、献体には魔術的な〈封印〉が施されるのが常である。
持ち去れないようにするための処置でもあるし、不用意な触媒反応を防ぐ意味もある。
封印のために編まれた銀色の紐を繋げるように、封蝋が押されている。印章は、月桂樹の枝がブドウの房を抱き込むように輪を描いている――《死後資産管理局》のシンボルだ。
一見すると、管理局公認の封印と見分けがつかない。それが、なおさら始末に負えない。
「管理局の封印蝋と同じに見えるが、違う」
短く言うバルドの言葉に反応して、タリエンが身を乗り出す。書類から屍体へ視線を移すときの目つきが、数字を見るそれと寸分違わない。
バルドは続ける。
「微量だが、蝋の境目に黒い粒が混ざっている。煤か埃かは知らないが、局内の充填エリアにこんなものがあったらインシデントだ。清掃時に指摘されているはずだが」
「そんなことがあったら、リメンが黙ってないわよ」
言いながら、ルツはポーチから小さな革ケースを引っ張り出す。開けば小瓶がみっしりと収まっており、そのひとつを指先でつまみ上げる。
眉を寄せながら、切り出した封印蝋の一部に向けて小瓶を傾ける。透明な液体が蝋を包んだのを確認してから、拡大鏡で覗き込む。
「蝋の配合は局のものと全然違う……それに、やっぱり復元蝋の残留痕があるわね」
「復元蝋?」
ジェーンの問いに、ルツは拡大鏡を覗き込んだまま答える。
「封印を剥がした痕跡を消すための、偽装用パテのこと」
言われて、ジェーンは改めて封印蝋に視線を落とす。彼女の目には、ただの固まった蝋にしか見えない。
ただ、ルツとバルドの眉間が同じように寄っているのを見て、事態の深刻さは察した。
タリエンの声に、わずかな嫌悪と苛立ちが混じる。
「一度封印を剥がされて、また付け直されている。――素人の仕事ではない」
「そこまでは断言しかねるけどな」
バルドは屍体の縫合痕をなぞる。指先の軌道がところどころ曲がるのを目で追いながら、彼は続ける。
「なにせ、偽物のほうは縫い目が雑だ。この技量では、屍体を丸ごと売るのは難しい」
「同感よ」
ルツが吐き捨てるように言う。
「ばら売りする連中のやり口に似てるってわけ。――反吐が出るわ」
「屍体の入れ替えは入念にやった割に、蝋の資材までは再現しなかったようだな」
「局員なら、もっと似せられるはずよ。闇市場に流れた元局員かしらね」
「そこまではわからない」
ルツとバルドの話を黙って聞いていたタリエンは、天井を見上げた。
「……底を浚えば、その手の屍体加工屋が百は出てくる。切って、繋いで、売れる部位だけを市場に流す。管理局の管轄外をいいことに好き放題だ。
――いずれにしても、地下都市絡みの線が濃いな」
言葉こそ淡々としていたが、タリエンの目には侮蔑の色が濃く宿っていた。




