表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第一章 憑依(オーバーレイ)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/72

18.消えた献体 ①

 第一区の治癒院では、何も出てこなかった。


 死亡診断の時間、冷却開始時刻。どの項目も、監査用のフォーマットをきちんと埋めていた。

 第二冷却庫――局直轄の中間保管庫も、書類の上では同じだった。


「ここまで、書類上は完璧だ」


 バルドは、金属製の廊下を歩きながらぼそりと呟く。


 廊下の壁と床はどちらも白だが、光が油膜めいて照り返す。廊下に並ぶ扉は、どれも同じ形の金属板でできていた。廊下を漂う空気は乾き切っていて、生きているものがいれば必ず混じる生ぬるさがまるでない。普段ここで生きているのは機械だけだ。配管の節々で、青や橙の光が静かに瞬いている。


 通信機越しに、リメンの声が届く。


『病院から出るときの台帳。中間保管庫に入ったときの台帳。本局に送ったときの台帳。すべて確認しました。

三箇所とも、綺麗なものです。これが本当ならすばらしい仕事ですよ。搬送時間も許容誤差内です』


「教科書を見ながら書いたんだろ」


 バルドは無愛想に言い、冷蔵室の扉のひとつを指さした。


「A17といっしょにここへ入った献体は?」


「ええと……同便ではありませんが、A17の一時間前に銀タグが二体、搬入されました」


 中間保管庫の管理者が、慌ててメモをめくる。


「今は、ひとつが無毒化処理済み。残りの一体は、まだこちらに格納したままです」


 彼が指さした先に、屍体袋が並んでいる。金属のタグが、ひんやりとした空気の中で鈍く光っていた。


「残りの銀タグを見せてくれ」


 バルドが言うと、タリエンが小さく眉をひそめた。


「別の献体を調べるつもりか?」


「A17はいったんここに格納された。少なくともそういう記録がある。搬入時点ですでに偽物だったのか、ここを出たあとで持ち去られたのか。そのどちらかを絞れるだけでも捜査は進展するはずだ。

……A17と同じ棚に寝ていた《ルームメイト》の口を割らせてみよう」


 そして、バルドは振り向きもせず呼びかける。


「ジェーン」


「はあい」


 銀タグの屍体袋が一つ、台車に載せられて運ばれてくる。


「待て。何をする?」


 訝し気なタリエンに、バルドはにやりと笑ってみせる。


「ジェーン・ドゥを《呪具》として使う」


「随行資産に何ができる」


「力自慢しかない屍体を《呪具》に昇格させるわけないだろう。

彼女を介することで、〈憑依(オーバーレイ)〉に近いことが、短時間だけできる」


 タリエンが目を見開く。


「〈憑依(オーバーレイ)〉だと? 何日かけるつもりだ」


「数分」


「馬鹿な! 規定の負荷を完全に超えている。精神鑑定はパスしているんだろうな?」


「ぼくに自殺願望は一切ない」


「そこの《随行資産》は? メンタルらしきものがありそうだが」


「一応やったが、のんきなものだったよ」


「なんですって? まったく失礼な人ね!」


 口ではたしなめながら、ジェーンは笑う。そのまま、屍体袋の側に立った。

 バルドが袋を開けると、灰色の皮膚をした男性が横たわっている。


「これに〈憑依〉しろ。過去が見えたら、おまえをA17へ移す。そこから情報を拾え。……今回は、少し長くなる」


「うん。わかった」


 ジェーンは屍体に触れた。冷えが肌に張り付く。

 その上から、バルドの掌がそっと重ねられる。こちらも十分に冷えているはずなのに、かすかな体温が滲んでくる。


 目を閉じる。足元の感覚が、一気に遠ざかる。


 *


 ――揺れる。


 床の継ぎ目を車輪が捉えて、カタン、カタン、と一定のリズムを刻む。

 ほとんど真っ暗で、目の前に細い光の線がある。――ジッパーの隙間から、光が漏れているのだろう。

 屍体袋の中だ。


 ジェーンは、憑いた屍体から伝わる振動を、どこか他人事のように感じていた。

 曲がって、扉を抜ける。


 そこで、ふ、と自分だけが持ち上げられた。


 視点がわずかに浮き、台車と、そこに載せられた灰色の屍体袋を見下ろす。

 中身は――さっき憑依したばかりの銀タグだろう。


(……安置所に着いたみたいね)


 〈憑依〉も、二回目ともなれば少しは慣れてくる。

 ジェーンは宙に浮いたまま、のんびりと周囲を見る。


 先ほど覗いた保管庫とまったく同じだ。金属棚が並んでおり、現在(いま)よりも屍体袋の数が多い。

 ほどなくして、もう一台、台車が押し込まれてきた。


 ぐるり、と視界が揺れる。

 何かに掴まれ、引き寄せられていく感覚。


(……これが、A17かな?)


 そう思った瞬間、ジェーンは〝それ〟に入った。

 途端に、冷気と薬品臭が強くなって、皮膚の外側から体内へ染みてくるように思われた。


 全身がぐわりと持ち上がり、ごとん、と棚板に載せられる衝撃。そのまま、奥の方に押し込められる。


 しばらくは、ただ待つだけだった。


 暗闇。

 近くで、別の屍体袋が同じように格納される揺れを聞く。

 時間の感覚が曖昧になりかけた頃、再び衝撃が走った。


 ずるり、と棚から引き出される。腰のあたりを持ち上げられた瞬間、布越しの手のひらの熱がぼんやりとわかる。そして、何かに載せられる感覚。


 そのまま、動き出す。どうやら載せられたのは台車らしかった。


 床の継ぎ目を踏む、カタンカタンという音――戻されている。


 さっきとは違う方向に曲がる。

 どこをどう進んでいるのか、袋の中からではよく分からない。

 ただ、冷気がだんだんと解けていく――屍体にとっては、あまり良い環境ではない。


 台車の車輪が一瞬だけ宙に浮き、次の瞬間には床に押し付けられた。

 そして感じるのは、胃袋が遅れてついてくるような、あの独特の浮遊感。


 ――エレベーターだ。


(でも……さっきのとは違うなあ)


 病院の地下から上がるときに感じたエレベーターは、もっと長く、深かった。

 今の揺れは短く、浅い。上下の振れ幅も狭い。


(人間を載せるには小さい? ……荷物用のエレベーターかな)


 ジェーンの胸の内で、そんな言葉が浮かぶ。


 揺れが止まった。

 扉が開くような、ガシャンという金属音が耳に響く。


 さっきまでの冷たさとは違う、湿り気を帯びた空気。

 台車を押す靴底の音が違う。コンクリートに擦れるような、作業靴の底で砂を踏みしめるようなザラついた音だ。


 誰かの手が再び屍体袋を掴み、台車から下ろされる。何か別のところに載せ替えられているようだが、どこにいるかはさっぱりわからない。


 焦りが生じてきた頃――ふと、ある考えが浮かんだ。


(あ……もしかして、この人にも、行ける?)


 あの運送バイトの子に憑依して、肩の痛みを感じ取ったように。

 自分を運んでいる、その「生きている身体」へ。


 ジェーンは、試しに自分の身体を持ち上げるように、意識をねじってみた。

 そこから、細い糸のように、ほどけて――


「ジェーン! やめろ!!」


 いきなり、世界がひっくり返った。


 声が響いたのが先か、術式の〝手〟が伸びてきたのが先か。

 視界が千切れ、音が消え、匂いが飛んだ。何も感じなくなる――すべての感覚が、まるごと暗い水の中へと引きずり込まれる。


「……あ」


 足の裏に、コンクリートの硬さを感じる。

 目の前には安置室の壁と、ジッパーの開いた屍体袋に収まった屍体。胸元に触れている彼女の手と、そこに重ねられたバルドの手のひら――その指先が、わずかに震えているのに気が付く。


「……。……戻ったか……?」


 バルドの声に、慌ててそちらを見やる。額に汗を浮かべたバルドが、きつく歯を食いしばっていた。


「う、うん……戻った、けど……」


「……二度と、ああいう入り方はするなよ」


 声に怒りはなかった。それどころか、弱々しく、かすれていた。

 バルドはゆっくりと顔を上げてジェーンを見る――見ようとしていた。眉を寄せて、目の前の彼女を捉えようとしているのに、焦点が合わない。


「あの……大丈夫? どうして……」


「……過去は死んでいると見なされる。そう言っただろ。本来そこは、生者が踏み込める領域じゃないからな」


 そこまで言って、バルドは諦めたように目を閉じた。その生気のなさに、ジェーンはぞっとする。


「長居しすぎただけだ。構うな。――それよりも、A17に憑いて何を感じたか、言え」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ