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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第一章 憑依(オーバーレイ)

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17.本物の迷子

 課長室で、バルドは最後のページに署名を入れる。インクが乾く前に書類一式をクリップで留めてグレイヴスの机に放る。


「〈死者問答(ダイアログ)〉の報告だ。死因は縊死。容疑者はユラン・グレイ。犯行場所は被害者宅浴室。動機は債務の逆恨み。――承認印を」


 グレイヴスが引き出しから印を引っ張り出しながら、呆れたように首を振る。


「また債務絡みか」


「債権者を殺して帳簿がチャラになるならよかったのにな」


 そう言って肩をすくめるバルドを尻目に、グレイヴスは紙煙草に火をつけ、それを咥えながら、書類にざっと目を通す。


「死者問答のログはすでに捜査課へ回してある。現場検証と突き合わせるそうだ」


「仕事の早いことだ」


「借金取りが屍体になったとあらば《地下》も動きかねん。殺人よりそっちのほうが大事なんだろうさ」


 そして、グレイヴスの承認印が()される。


 後日、ユラン・グレイは、武装班の突入によって昨夜のうちに身柄を確保された。

 ひとまずひとつの事件は片づいた。

 だが、一つ片付けば、また一つ増える。この街では毎日人が死ぬ。事件は立て続けにやってくる。


 *


 翌日、保全課の課長室には、いつもの面々が集まっていた。グレイヴスを筆頭に、バルド、リメン、ルツ、そしてジェーン・ドゥ。


 グレイヴスの机には、一つのプロジェクトに関する書類が広げられている。


「献体案件ですか」


 リメンが搬送ログの一部を手に取り、読み上げる。


「献体A17。軍医療局行きとして本部が指定した高品質献体ですね。……搬送ログ上は、すべて問題なさそうです。予定された経路を、予定された時間に、予定された業者が通っています」


「一体何が問題なんだ」


 バルドが少し苛立たし気に言うと、部屋の隅の椅子から、低い声がした。


「中身が違っていた」


 知らない声だった。

 四十代半ばほどだろうか。仕立ての古いスーツに、黒い腕章だけが鋼のように硬く光っている。仕上げられた靴と短く整えられた髪が、軍人じみた几帳面さを物語っていた。

 男は椅子から立ち上がると、バルド達の前に立った。背筋はすっと通って、鋭い目をしている。


「監査局(つき)調査官、タリエンだ」


 男は名乗ると、グレイヴスの机の端に置かれた封筒を指で軽く叩いてみせた。


「A17は、軍医療局から特定患者向けに指定されていた献体だ。検査も搬送計画も完璧だった」


「書類上はな」グレイヴスが言葉を継ぐ。

「だが、封印を切ったら老人の屍体が出てきた」


「搬送ログ。入出庫記録。封印照合。死霊術専門魔術士(ネクロマンサー)の検印。──どれも定期監査の基準を満たしている。出来がよすぎて、いっそ見本のようだな」


 タリエンが書類を次々に指さして、淡々と事実を並べる。その眼差しには、書類の誤字も人間の罪も同じ温度で〝処理〟していそうな、一貫した平等さがあった。


 ルツが椅子の背にもたれて、ペンを弄びながらぼそりと呟く。


「埃ひとつない記録なんて、怪しすぎるでしょうよ」


「同感だ」


 タリエンの端的な同意に、グレイヴスは短く息を吐いた。

 その横で、バルドはぱらぱらと記録をめくる。


「検印したのは……シュラウドか。夜勤でよく会う奴だ」


「死霊術士は基本、夜勤だろうが。調査官などやっているお前が異常なのだ、死霊術士(ネクロマンサー)バルド」


 そう言って、タリエンはバルドを軽く睨んだ。

 バルドは動じない。


「そうかもな」


「そのネクロマンサーとは知り合いなの?」


 ジェーンが聞くと、バルドはうなずいた。


「同僚だよ。おちゃらけた奴だが、仕事はいつも完璧だ。……シュラウドがミスで老人と取り違えた、という線は薄そうだが」


「お前の主観は参考にならない」タリエンが冷たく言う。


「主観じゃない」そう言って、バルドはログの時間帯を指の背で叩いた。


「これは第一区から運ばれてるんだろ。ぼくが記憶している限り、この日シュラウドは第三区で検印を入れる用事があったはずだ。……まあ、掛け持ちが絶対ないとは言わない。転移スクロールを持ち出して〈瞬間移動〉したのかもしれないしな。

――たかが検印のために、そんな高額経費が通るなら、の話だが」


「ありえん」


「知ってる。だから、誰かが『きちんと仕事をしていたシュラウド』を装っていた可能性はある、ということだ」


 そこまで聞いたグレイヴスが、苦い顔で息を吐いた。


「A17は、ただの触媒じゃない。軍医療局向けに本部が受けた依頼で、特注料金まで上乗せされている()()()()だ。ここでしくじれば、局として今後の契約にも響く」


 タリエンはグレイヴスに向き直って告げた。


「内部犯の可能性が高い。騒ぎにはできん。外に大きく出せば、軍医療局からの信頼を一気に落としかねない。上はそう言っている。ここで止めたい」


「内々で犯人を見つけろってことね」ルツが肩をすくめる。


「そういうことだ」


「はあ……」


 グレイヴスは息を吐いたが、それ以上は言わなかった。代わりに、机の引き出しから一冊の薄い冊子を取り出す。

 緑の厚紙で綴じられた表紙に《高危険度案件における現場保全運用内規》。その下には、細い文字で規定番号が刻まれている。


「十年は開いてなかったが……」


 グレイヴスは冊子をぱらぱらとめくり、一箇所で指を止める。


「ここだ。『高危険度案件に限り、現場保全に資する《呪具》の携行を認める』。──バルド」


「ああ」


 バルドは顎を引いた。視線がジェーンのほうを一瞬だけかすめる。


「《呪具》……って、なに?」


「物騒な()()()()よ」ルツがニヤリと笑う。

「昔でいうところの〈結界石〉とか、呪い返しの〈護符〉とかね」


「今回、その枠を使わせてもらう。奪った側が術式に明るいなら、献体が勝手に歩きだしてもおかしくないしな」


 バルドが静かに言った。


「考えたくもないことだが、術者と屍体の両方を同時に制圧する羽目になったら、さすがのぼくでも手が足りない。だから、現場保全用の《呪具》を連れていく」


 ジェーンは、《呪具》が()()()()()一拍遅れて理解した。


「呪具、ねえ……?」


 未だピンと来ていなさそうなジェーンを見て、ルツが笑う。視線は、露骨にジェーンの黒タグへ向かっていた。

 タリエンが眉をひそめる。


「待て。まさか、その自律屍体を指しているわけではないだろうな?」


「そのまさかだよ。彼女は《随行資産》のジェーン・ドゥだ」


 バルドはあっさりと言った。ジェーンの名前を聞いてタリエンは眉をひそめる。


「消耗品か?」


「違う」バルドは即答する。


「監視名目で現場には出している。名目と実態がズレたまま放置したほうが、むしろリスクが高い。今回の件では、《呪具》として正式に位置づけたほうがまだマシだろう」


「馬鹿な。自律屍体を《呪具》として携行を認めた前例はない」


 タリエンの声が少し低くなる。


「……そもそも、随行資産は本来、荷役に限定されている」


「ちょうどよかったな。これが前例だ」


 バルドがしれっと言うと、ルツが肩をすくめた。


「この内規、どうせ十年は放置されてたんでしょ。埃かぶってた条項を一つくらい動かしたって、誰も文句言わないわよ。あとから『試験運用だった』って言い張ればいい」


「軽々しく前例を作るわけには──」


「今回に限り、《試験運用》とする」


 グレイヴスが静かに遮った。声は低いが、課長としてのそれだった。

 タリエンの口元がわずかに歪む。


「……。責任の所在は?」


「もちろん、ぼくだ。死霊術専門魔術士だからな」


 グレイヴスが引き取る。


「随行資産ジェーン・ドゥを、《呪具》として登録する。──リメン」


「はい」


 リメンがすぐに記録を始めるのを見て、グレイヴスがうなずく。


「正式な名称はあとで法務とやり合え。今は動ける形になっていればいい」


「了解」


 ジェーンは、自分のタグを一度つまむ。気づけば、口が勝手に動いていた。


「面倒なことするのねえ。わたしはそこそこ役に立つでしょ? 搬送バイトくんも見つけたし、力仕事もできるし。もう戦力ってことでよくない?」


 室内の視線が、いっせいにジェーンを向いた。

 ルツが噴き出しそうになるのをこらえる。リメンが咳払いで誤魔化す。グレイヴスとタリエンは露骨に眉をひそめた。

 その中で、バルドだけは表情を変えなかった。


「まあ、そうだな。役立つことは示せたが。まだ弱いな」


「えー。あれで弱いの?」


 グレイヴスが机を軽く叩いた。


「ジェーン・ドゥ」


「なあに?」


「普段なら、現場で役に立ってくれればそれでいい。だが、今回はそうもいかない。お前を連れまわすにはそれなりの理由が必要だ。──少なくとも、書類上では理由をこしらえた。そういう話だ」


 ジェーンは、何と答えていいか迷う。ありがたいのか、腹立たしいのか、自分でもよくわからなかった。

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