16.魂なき死者への問答
〈死者問答〉は、保全課の調査官でもあるバルドの仕事の中でも、もっともネクロマンサーめいた仕事だ。
死者問答の準備をしていると、突然ベルが鳴る。扉は閉じたままだったが、通信機から声が飛び込んできた。
『バルドさーん、追加の屍体三つ入りまーす! そちらにお運びしましょうかー?』
「仕舞っておけ!」
『じゃあ冷やしときますね〜!』
搬入の声が切れると同時に、扉が開いてルツがひょいと顔を覗かせた。
「バルド、いまやってるその他殺体なんだけど……」
そこまで言って、ルツはバルドとジェーンの顔を見て言葉を止めた。
「え? なに? 空気重くない?」
「帰れ。これから〈死者問答〉だ。そのあとも一時間は手が離せない」
バルドに遠慮という概念は皆無だが、ルツも大概だ。彼女は、少し暗い表情をしたジェーンの横にすっと回り込むと、肩越しにひそりと囁いた。
「大丈夫よ、ジェーン。どうせバルドが理屈で詰めてきたんでしょ。大昔からそうなの。なんであれ半分は自分に言い聞かせてるやつだからね」
「聞こえてるぞ。事実だとして、破綻してないんだからいいだろ」
「ほら〜。そういうところよ。正しさを盾にすぐ殴りにくるんだから。ほんっと、かわいげのないヤツだわ」
「訂正する。三時間は顔を見せるな」
「はいはい、続きどうぞ〜。後でまた来るわ」
「来るな。終わったら行く」
「了解~」
扉が閉まると、安置室はまた静けさを取り戻した。
バルドは疲れたようにため息をついてから、処置台の上に載った屍体に向き直る。足で車輪のロックを外して、安置室の奥へと押していく。
壁際の一角が、簡易な仕切りで区切られている。
そこが〈死者問答〉専用のエリアだった。
床には円形に浅い溝が刻まれ、その中央に処置台をぴたりと収められるようになっている。溝は壁際の小さな排水口へと続き、古い血か薬液か判然としない、暗い色の染みがある。
頭上には吊り下げ灯がひとつ。
バルドが壁際のスイッチを倒すと、安置室全体の白い光がすっと引き、代わりに頭上の灯だけが灯る。黄色みを帯びた光が、処置台と、その上の屍体だけを丸く浮かび上がらせた。
仕切りの内側には、高さを合わせた小机が置かれ、その上に重厚な装丁の記録帳が無造作に積まれている。机の脇には、真鍮の箱型装置が固定されていた。前面には針式の指標とダイヤルがいくつも並び、側面からは細い金属線が枝のように伸びている。
バルドは薬品棚から黒い遮光瓶を一本取り出し、床の溝に沿わせるように、ごく薄く液体を垂らした。鼻をつくほどではないが、血に薬草を混ぜたような匂いが立ちのぼる。
「形だけだ。昔は血を使っていたらしいが」
ぽつりと言い捨てて、瓶を棚に戻し、屍体の頭側に回り込む。金属線の一本を屍体の胸郭の上に載せ、もう一本を自分の手首に巻きつけるように固定した。最後の一本の先端を、真鍮装置の端子に差し込む。
「じゃあ、見てろ。これがいまの時代の《死霊術》だ」
彼はそう言ってから、掌を屍体の額に重ねた。
僅かな魔力の揺れが指先へ逆流してくる。皮膚の下を、微弱な反応が走る。記憶でも、思考でもない。死の直前に神経が発した信号の群れ。
真鍮の小さな針が、かすかに震えた。
「《観測統計式》に乗せる」
バルドが低く告げ、ダイヤルを回す。針の震え方が変わり、装置の内部で何かがゆっくりと回転するように、小さく震えた。
バルドは屍体に触れたまま、もう片方の手で近くの記録帳を開き、ちらと日付と名前を確認した。
やがて、針の振れが一定のリズムを刻み始める。
それに合わせるように、屍体の喉がわずかに動く。生き返ったのではない。直接、声帯へと魔力が流し込まれたのだ。
そこから、声がかすかに漏れる。
「……あ……」
「『あなたが死ぬ直前に、何があったのか。』」
バルドの口から、一定の抑揚で問いが放たれる。
「……息が、できない……。まぶしい……腕、男の腕、指が、首に……」
ジェーンは絶句した。その声色は、本人が言いかけた言葉を最後だけ再生したように生々しい。
「『あなたは、誰に首を絞められたのか。』」
「……あいつだ……ユラン。ユラン・グレイ。あ、あいつ……借金……返せなくて……逆恨みで……!」
そこで、真鍮の針が大きく跳ねる。ジェーンは思わずそちらへ目をやる。
「『あなたは、どこで首を絞められたのか。』」
「風呂場……石けんの、匂い……。肩が濡れて……温かい……水……」
それを最後に、屍体は動かなくなった。喉のわずかな上下も止まり、針の振れもだんだんと落ち着いていく。
バルドはそちらを見もせず、さらさらとメモを取り始めた。
「縊死。室内、石けんの匂い、温水。屍体の状態とおおむね一致するな。データの損傷は小さそうだ。しかし、風呂場で、男に、首を絞められた、ねえ……。珍しいではあるが」
「これ……これは……死んだ人の声なの?」
ようやく絞り出したジェーンのささやきに、バルドは淡々と返す。
「違う。これは《回答候補》の一つだ。屍体に残っている情報をかき集めて、生前の癖をほぼ完璧に再現している」
「本人の声に聞こえるけど……」
「質問に、それっぽい答えを返しているだけだ。本人が死の直前に言いそうな言葉をな」
「……〈死者問答〉は、本人との対話じゃない。そう言いたいのね」
「そうだ」
その断言に、ジェーンはわずかに肩を震わせた。
「屍体に残るのは、感覚の痕跡、断片化した記憶、神経の閃き……それだけだ。ネクロマンサーはそれらを拾い集めて《導線》を与える。
もっとも整合する答えが浮かび上がるまで試行し、確からしさを高めていく。
それは演算で導いた近似値にすぎない。本人ではないし、本人と一致する保証もない」
ジェーンは屍体を見下ろした。先ほどまで喋っていたはずの肉の塊は、今では動く気配すらない。
「……わたしも、演算だと思う?」
ジェーンの声はどこか薄い。バルドはしばらく答えなかった。
「わからない」
「わからない、なの? あなたは魂がないと思ってるのに」
「ぼくはお前の身体を捜すつもりだ」
意図が読めず、ジェーンはバルドを見る。彼は金属線をまとめなおし、ダイヤルの位置を戻してから、ゆっくりと口を開いた。
「《魂》らしい挙動が人為的になされているのなら、必ずその痕跡があるんだ。だが、《魂》で説明をつけられてしまったら、もうあてがなくなる。だから、おまえがもし魂だったら……」
「魂だったら?」
「……困るな」
その言い方が、どこか途方に暮れているようにも聞こえる。
「答えになってないわよ」
ジェーンはそう言ったが、もう問いただす気はなかった。
「そうだな」
バルドはあっさりとそれを認める。
「まだ答えを出すつもりはない」
「じゃあ、さっきのは何だったの?」
「途中経過だよ。ただのメモだ。ぼくが、いまのところそう考えている、というだけの」
「ずいぶん人聞きが悪いわ」
「メモを他人に見せる想定で出すわけないだろ」
ジェーンは小さく笑う。
「じゃ、わたしは特別ってことね」
「おまえが勝手に覗いてきただけだ」
「質問しただけなんですけど?」
それはいつもと変わらない軽口のやりとりだったが、胸の冷たさがほんの少しだけ和らいだ気がした。




