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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第一章 憑依(オーバーレイ)

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15.魂に関するすれ違い

 教会の対応を終え、保全課フロアに戻るころには、窓の外はすっかり薄暮色に染まっていた。


 グレイヴスへの報告を手短に済ませると、バルドは課長室を出る。ジェーンはいつも通りにその後ろを追った。職員のあいだを縫うように歩き、安置室へ続く扉の前で足を止める。そこでようやく、バルドがジェーンを見た。


「アシェルに話しかけられたらしいが、話は理解できたか?」


 唐突な問いに、ジェーンは首をかしげる。


「正直、よくわからなかった。揺れるとか、立つとか、祈りとか……わたしがバカだからかな」


「ああ、それもあるだろうけど」


「ちょっと!」


 ジェーンが突っ込むと、バルドは可笑しそうに笑う。


「冗談だ。半分はな」


 バルドは安置室脇の更衣スペースへ入り、防護服のロッカーを開ける。


「ぼくもアシェルが何を言ってるかは未だによくわかってないからな」


 言いながら、彼はコートをフックに掛け、厚手の防護ガウンを羽織る。

 ジェーンも自分用にあてがわれた防護服を引きずり出しながら言った。


「ええ? うそ。そんなことある?」


「表面上の語彙は同じでも、魔術士と信仰者(クレリック)では……そうだな、参照する《辞書》が違うんだよ」


「辞書?」


「例えば、《祈り》。信仰者(クレリック)にとっては神への呼びかけや宣告のことを指す。でも、魔術士にとっては儀式に使う呪文のひとつにすぎない」


 ジェーンは手早く手袋を嵌め、そのまま腕を組んで考え込む。


「つまり……同じ単語なのに、それぞれ別の意味で使ってるってこと?」


「そうだ」


「それでよく話が成り立つわね」


「成り立ってない。お互い言葉の半分は誤解してるはずだ」


「ええ……」


「何を言いたいのかはわかる。だいたいはな」


 ジェーンは思わず眉根を寄せる。

 会話というものは、言葉が噛み合うことで通じるものだと思っていた。だが、どうやら彼はその混線を当然のものとして受け入れているようだった。


 バルドが安置室の重い扉に手をかける。ハンドルを押し下げると、内側の気圧がわずかに変わり、冷たい空気が漏れ出した。


「それで、いいの?」


「よくはないが、しょうがないだろ。相手の言葉の使い方が変なんだから」


 その妙に開き直った他責の仕方がバルドらしくて、ジェーンは笑ってしまう。


「もう慣れたよ。アシェルは、ぼくがネクロマンサーになる前からずっと話しかけてくる変わり者だ。……あれほど探究心があるなら、魔術士になればよかったのにな」


 声には苛立ちがあったが、そこにはほんのわずかな親しみも混じっていた。


 *


 第三屍体安置室の魔法灯(ライト)が灯る。白々とした光が、壁一面にずらりと並ぶ冷却庫の列を煌々と照らした。

 鼻腔を刺すのは、冷気と、防腐液と、脂の薄い匂い。


 バルドは台帳を片手に扉の番号を追い、一体分の冷却庫を開ける。引き出し式のトレイの上には、屍体が静かに横たわっていた。バルドは屍体の足首にぶら下がる金属タグをつまみ、台帳の番号と照らし合わせてから、ジェーンに視線で合図する。彼女は処置台を押して近づけた。


 二人がかりでトレイから屍体を移し替え、固定用の革ベルトを締める。何度も繰り返してきた日常の所作をこなしながら、ジェーンはぽつりと問う。


「じゃあ、信仰者(クレリック)死霊術士(ネクロマンサー)で、一生相容れないだろうなって言葉とかあるの?」


 バルドは瞬時に、ほとんど断言した。


「《魂》」


「魂……」


 ジェーンは面食らってしまって、その後をただ繰り返した。肉体をもたない彼女にとって《魂》は、彼女そのものを指す言葉といってよかった。


信仰者(クレリック)にとっては肉体に宿る神の所有物だが、ぼくらにとっては屍体から取れる反応ログの俗称だ」


 ジェーンは眉を寄せる。屍体から取れる反応ログ。ジェーンにとっては自分のことをそう呼ばれているようで、あまり気分のいい定義とはいえない。


「……それは、ネクロマンサーがおかしいわよ。わざと歪めて使ってるじゃない」


「そうだな。でも別にいいだろ。《魂》なんてバカバカしい単語を公式で使うことはないからな」


「観測機器の精度が上がったら見つかるかもよ?」


「なら、そのときに名前をつければいい。手垢のついた言葉を流用したら意味が濁る」


 処置台を押して解剖室へ入ると、薬品じみた匂いがぶわりと強くなる。

 こんな場所で《魂》の話をしていること自体が、どこか場違いな冗談のように思われたが、ジェーンは問わずにはいられなかった。

 

「でも……それじゃあ、わたしのこれはどう説明するの? 〈憑依〉してもわたしがそのままなのって、魂の挙動じゃないの?」


 声に少しだけ不安が滲む。だが、バルドはめんどくさそうに一瞥するだけだった。


「いま説明をつけたら、全部こじつけになるだろ」


「……えー。詭弁!」


「誠実と言え」


 バルドはばっさり言い捨てた。そのまま、屍体の首元に残る縄状の痕跡を一瞥してから、瞼を軽く持ち上げ、角膜の濁りを確認する。

 ジェーンはその濁った眼を努めて見ないようにしながら、ライトの角度を調整する。


「魂って……あるんじゃないの?」


「ない」


 それは、あまりにきっぱりとした否定だった。

 心臓があった場所がすっと冷えたような気がして、ジェーンは思わず視線を横にやった。


 ――その声色で、自分の存在そのものまで否定されたように感じてしまう。


「なんで、そんな……断言できるの? だって……」


「正確に言えば、『わからない』。だが、実務上は『ない』として扱うほうが誤差が少ない。ということは、たぶん本当に『ない』可能性のほうが高いってことだ。

仮に『ある』場合、何もかも例外だらけになる。そんな理論は現場じゃ使い物にならないしな」


 ジェーンは胸元に手をやる。呼吸のリズムを探るように――そこで、息をしていないことをまた思い出して、そっと手を下ろした。


「その……。ネクロマンサーって、死者と話せるんだよね? だから、《死霊》術っていうんでしょ」


 バルドは黙り込んだ。わずかに眉をひそめて、言葉を選ぶように視線を落とす。やがて顔を上げて、ジェーンを真っすぐに見つめた。その沈黙がじわじわと伸び、ジェーンのほうが気まずくなってくる頃合いに、彼はようやく口を開いた。


「……最初に《死霊術》を思いついた奴らには、人間(ひと)の心がなかった」


「え?」


「そいつらは最初から、死者と話せるなんて信じてなかった。

真っ先に考えたのは『どうやったらそれっぽく見せられるか』。次に『どうすればそれっぽく話せるか』。どうやったら過去の人間を再現できるか。死の直前の神経のひらめきを、どうやったら《自分の体験》として受け取れるか。そればかりを考えていた連中だよ」


 彼の指先は屍体を扱いながら、歴史書を抜粋するように話す。


「普通は『死んだ人間はどこかで楽しくやってるだろう』と信じたいものじゃないか? だが、《死霊術士》の始まりは、その願望を逆手に取った詐欺師集団だったわけだ。――最初はな」


「最初は」


「そうだ。()()()()から、詐欺でなくなった」


 彼が描写する「最初の死霊術士たち」の姿と、いま手袋越しに冷たい皮膚に触れている男の姿が、ジェーンの頭のなかで奇妙に二重写しになった。


 ――死者は安らかに眠っている。そう信じたい。


 そんな当たり前の願望を、最初にひっくり返そうとした人間たちがいる。

 生者をその場しのぎで慰める物語に背を向けて、死そのものを追い詰めようとした人間たちが。

 そういう人種の末裔が、目の前の男なのだ、と。


 そこで、バルドは口角を上げた。うっすらと自嘲の影を帯びた表情だった。


「知りたければ、教えてやる。ちょうど午後に〈死者問答(ダイアログ)〉の予定がある。死霊術士がどうやって魂を()()()()()()のか、見せてやろうか」


 その声色は、冗談を言うときのものとは違っていた。自分をどこか突き放して見ている人間から滲む、誇りと嫌悪が同居した笑いだった。

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