12.教会からの抗議文
数日も経つと、ジェーンは保全課の《手足》と呼べるくらいには仕事を回せるようになっていた。
そんな折、保全課のフロアに、妙に上等な手紙が届いた。
眩い乳白色。普段は白と認識していた書類の束も、この封筒の隣にあっては灰白色に見えてくる。
押された赤い封蝋には、輪になった麦と、傾きのない天秤。
「なにそれ。感謝状?」
ジェーンが無邪気にいうと、グレイヴスは露骨に顔をしかめた。
「《教会》からだ」
雑に便箋を抜き取り、斜め読みする。喉から低くうなるような声が漏れた。
「『当教会の信徒の遺体を《納骨堂》から一方的に回収した件につき、《葬送権》の侵害であると抗議するとともに、速やかな返還と謝罪を求める。』」
「ふうん。それって、こっちが悪いの?」
「うちに非はない」
グレイヴスは断言した。そのきっぱりしすぎた態度に、ジェーンは思わず胡乱な視線を向ける。
(ほんとかなあ?)
「教会が主張している《葬送権》は、それ以前の話だからな」
「それ以前?」
「まず、葬儀をしない屍体はない。屍体の一部は変成術士が無毒化したうえで《遺品》として返却している。献体だと返却は二、三年後になるがね。それ以外の所有権は管理局にある」
そこまで言ってから、グレイヴスは顔を上げる。
「ただ、あいつらは《魂》だの《葬送権》だのを振りかざしてくる」
「信者のご家族にとっては、もうその……納骨堂? そこが死者の最後のおうちなんだ」
「実際は、《遺品》の保管庫に過ぎんがね。――面倒なことになる前に、釘を刺しておかねばなるまい」
机の端に転がっている通信機を、雑に指で叩く。
「リメン。バルドを呼んでこい」
ほどなく、招集に応じたバルドが課長室に入ってきた。いきなり呼び出されたときの彼はいつも少しばかり不機嫌そうな表情で、それを隠そうともしない。
一方のグレイヴスは、まったく気にしていないという調子だ。封筒と抗議文をまとめて机上に放り、バルドに向けて片手を振った。
「教会からクレームだ。信徒を『差し押さえられた』のがよほど気に入らんらしい」
「どこだ?」
「タフィオ市区連合教会」
バルドの口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「へえ。ずいぶんと大掛かりな抗議じゃないか」
「信仰者がすでに来ている。これから会いにいくところだ。お前も来い」
「ぼくが居て、話が済むような相手か?」
「文句が続くようなら法務課と話をさせるさ。信徒のお前がいれば、とりあえず顔は立てられる」
「信徒?」
これに驚いたのは、ジェーンだった。
「バルド、神様を信じてるの?」
「宗教的信仰はある。無神論者が魔法を追求できると思うのか?」
「え? うん。できない理由があるの?」
バルドは一瞬、言葉に詰まった。ますます難しい顔になったものの、すぐに口を開いた。
「……できないわけではない。ただ、死霊術と無神論は相性が悪いな」
「そうなの?」
「無神論が、可逆性を否定して諦めるものの最たる例が《死》だ。大抵のネクロマンサーはそれを覆すために人生を捧げているようなもので、それはどちらかというと、信仰の振る舞いだからな」
「……わかったような、わからないような」
「わかる必要はない」
「冷たいなー」
軽く笑って流してから、ジェーンはグレイヴスのほうを向いた。
「それで、わたしは今回もバルドについて行っていいの? 教会だけど」
「構わん。そもそも、教会は敵ではない」と、グレイヴスは言った。
「《死後資産》の扱いで対立しているだけだ。おまえの存在が、いちばんわかりやすくそれを見せつけることにはなるがね」
(なんか、めんどくさいことになりそう……)
*
保全課フロアの一角に、場違いな白が立っている。銀の刺繍が入った白いローブ。胸元には、輪になった麦と傾きのない天秤の紋様が刻まれた金属製の印章をつけている。
「お待たせした。死後資産管理局・保全課のグレイヴスだ。こちらはネクロマンサーのバルド」
グレイヴスが形式的な挨拶をすると、男は軽く頭を下げた。
「タフィオ市区連合教会所属信仰者、アシェルと申します」
柔らかい口調だったが、声の芯は硬い。
アシェルは、グレイヴスからバルドへと視線を移し——ジェーンの首元の黒タグで止まる。
彼はすぐさまグレイヴスに向き直った。
「……当教会の信徒の《遺体》が、貴局により《死後資産》として回収された件について、説明を求めます」
遺体、という単語を口にするときだけ、アシェルの声にごく微かな敬意が混ざる。
屍体でも、死後資産でもない。《遺体》。
「死亡診断は当教会付属診療所の医師が行い、葬送の儀を経て三体とも納骨堂に安置されました。それを先日、貴局の職員が《死後資産》として持ち去ったとか」
「担保の回収だろう」
グレイヴスは即座に返した。
「債務があった。医療債務と生活費の前借りだ。本人は生前、契約書に署名している。教会は把握していたか?」
アシェルは一瞬、言葉を飲み込んだ。
「……信徒がどのような困窮の中で、どのような契約に署名させられたかは、別の問題です」
「制度の話だ」
グレイヴスは食い気味に言う。
「屍体は、原則として国家に帰属する。教会の《葬送権》は、それまでの間に限り尊重される」
アシェルは、そこで初めてわずかに声を荒げた。
「法がどう定めようと、死んだ者の《魂》は神のものです。あなた方の《資産》ではない」
「魂ね……」
バルドがぽつりとつぶやく。その一言に、アシェルの目が鋭くなる。
「ネクロマンサー殿には、不愉快な単語でしたか?」
「なんであれ、屍体の処理方法は変わらない」
「いいですか、バルド」
アシェルの視線はまだ敵意を含んでいたが、聞き分けの悪い子どもを嗜めるようなものに変わりつつあった。
「遺体を勝手に危険物扱いしているのは、管理局でしょうに」
「因果が逆だ。危険物とみなされるようになったから管理局ができた。教会からの『ご高説』はすべて覚えてる。屍体が戦争用触媒として利用されたって歴史もな」
「では、魂なき器を勝手に歩かせるのは、神の意志を踏みにじる所業だと言ったのも覚えているのでしょう? それを、君は……」
「歩かせてない」
「嘘おっしゃい。では、彼女はいったい何です? 黒いタグが付いている。君の……《随行資産》でしょう?」
《随行資産》というとき、アシェルはうっすらと嫌悪を顔に滲ませた。
勝手に話を振られたジェーンが眉を寄せるが、アシェルもバルドも気にしたようすはない。
「知らない。ぼくが動かしているわけじゃない。ジェーン・ドゥは勝手に歩いてるんだ。あんたの言葉でいえば《魂》が入ってるんだろ」
「ジェーン・ドゥですって。それが彼女の名前だって言うんですか?」
アシェルが思わずといったように叫ぶ。その顔から、先ほどまでの敵意や嫌悪がごっそり吹き飛んでしまったようだった。
「ああ、バルド……君という人は。モノ扱いするにしても、せめてもっとましな名前を付けておやりなさい」
「だから、ぼくじゃない。彼女がそう名乗ったんだ。しょうがないだろ」
アシェルが深々とため息を吐く。その顔には、すでに疲労に似た色が滲んでいる。
沈黙が落ちる。
グレイヴスが、わざと咳払いした。
「いずれにせよ、法的には管理局の管轄だ。だが、納骨堂の台帳と実際の状況を確認する必要はある。記録簿を見せてほしい」
「それは構いませんが、納骨堂の記録簿を外に出すことは禁止されておりまして。お手数ですが、ご足労願います」
「わかった。バルド、確認してこい」
バルドは黙って頷く。アシェルは少しだけ躊躇ってから、口を開いた。
「……そちらの《黒タグ》の方も、いらっしゃるのでしょうか」
「ああ」と、グレイヴスが肯定する。
「ネクロマンサーを一人で出歩かせたくはないし、ジェーン・ドゥはバルドの監視下にある《随行資産》だからな」
アシェルの瞳がジェーンに向く。嫌悪と畏怖が混じったような視線を受け止めて、ジェーンはそっと背筋を伸ばした。
「……教会は、《魂》を肯定してるんじゃないの?」
小声で漏らしたのを、バルドが横で聞き逃すはずもない。ジェーンにだけ聞こえるようにつぶやく。
「皮肉な話だな。おまえは《魂》の確固たる証拠に見えているだろうに、あいつはそれを受け入れられないらしい」
バルドは薄く笑う。ジェーンはまた小声で反論する。
「《魂》が抜けても動き続ける器は《神》の真似事? そこに《魂》が入ってるかもしれないのに。矛盾してない?」
「そういうもんだろ。目に見える証拠がいつも歓迎されるとは限らない」




