10.タグ違いの屍体 ③
死後資産管理局のいわゆる『尋問室』と呼ばれる一室に、青年が座っていた。
襟元が変色した制服。左肩から胸にかけて雑に巻かれた包帯。落ち着かない様子であたりを見渡し、すこし汗ばんだ手で制服の裾を握ったり離したりしている。
バルドが尋問室に入っていく。ジェーンは後ろから続いた。
安いタバコの残り香に、バルドが少し眉を寄せる。
「失礼。小さい魔法を使っても?」
「あ、どうぞ……」
バルドが何かを追い払うように手を振ると、匂いは弱まった。
「名前はカデル・エイジ。で、間違いないな」
「……はい」
青年の声は、今にも消え入りそうだった。
バルドは青年の向かいの椅子に腰を下ろした。ぎし、と小さく軋む。ジェーンは彼の斜め後ろに立つ。
「今日は質問に答えてもらう」
「その……疑ってるんですか」
青年が、おそるおそる訊いた。
「いや。事実確認をしたいだけだ」
バルドはあっさりと言い、書類をテーブルの上に置いた。
「左肩の怪我は、いつから?」
ジェーンの脳裏に、あのとき借りた身体の感覚がよぎる。肩のずきずきした痛みと、重心を右にずらす歩き方。
「五日前です。階段で転んで……」
「わかった。まず確認したい。屍体袋を取り違えたのは、君か?」
青年の喉が、ごくりと鳴る。
「え……疑ってないって」
「疑ってない。だから確認している。――『はい』か『いいえ』で答えろ。『いいえ』ならそれでいい」
静かな声だった。だが、言い訳を塞ぐには十分な頑なさがあった。
「……はい」
ようやく絞り出された声は、小さかった。
「順を追って説明しろ」
「えっと……その日は、三つ運ぶ予定でした。でも、台車が一台しか空いてなくて。二つまでなら一気にいけるかなと思って。重ねて……いつもは、やってないんですけど。時間が押してて……」
説明なのか言い訳なのか判別がつかないようなたどたどしい言葉も、バルドは遮らない。
「それで?」
「屍体袋を、台車に二つ載せました。でも、角で曲がるときに、ひっかけちゃって。袋が二つとも、落ちて……」
青年は左肩を押さえ、唇を噛む。
「タグが外れて、床に転がったの見て……やばいって……とにかく、数だけ合わせなきゃって思って」
「タグが床に転がったと言ったな。そのタグはどうした?」
「……拾って、つけなおしました」
「タグを付け直す際に、上の判断を仰いだか?」
「……いいえ」
青年は、ゆっくりと目を伏せた。
「二つ運びさえすればバレないだろうって思って。だって、中身は……」
青年は言いよどむ。バルドは青年を正面から見据えて、問う。
「中身は?」
「……同じ、屍体だし」
ジェーンはそっとバルドのほうを伺った。意外にも――といったら失礼かもしれないが、彼の表情はまったく変わらなかった。ただ、少し呆れたように息を一つ吐いて、口を開いた。
「たとえ中身が違っても、どうせ誰も気づかないだろう。金タグも銀タグも同じ『献体』なんだから。そう考えたわけだな」
青年は答えない。否定の言葉が見つからないようだった。
バルドは静かに言う。
「事実を並べればこうなる。屍体が落下し、衝撃が与えられた。タグが入れ替わった。不備のある荷物に対し、搬送票に署名がなされた。君は誰にも相談せずにそれを行なった。――許される類のミスではない」
青年の顔から血の気が引いていく。
「これがもし、手紙だったとしたら、君はおそらく自己判断しなかっただろう。手紙は一つひとつ違うものだし、それが入れ替わることのまずさは想像がつくからな」
青年は口を開いたが、そこから言葉は出てこなかった。
「そう思ってしまうこと自体が悪いわけじゃない。すべての荷物を丁寧に扱えとは言わないし、屍体に敬意を払えと説教するつもりもない」
「え……?」
予想外の言葉だったのだろう、青年は思わずといったようすで顔を上げる。
「だが、自己判断はやめておけ。屍体を紛失するのは殺人よりタチが悪いことだ。それに思い至らなかったから、君は今まさに人生を棒に振りかけている」
(屍体の紛失は殺人よりタチが悪いって? そんなことある?)
ジェーンは思わず、心の中で突っ込む。
だが、バルドの口調は本気だった。真剣にそう信じているようだった。
「どこで死んだか。どこで冷やされ、どの経路を通り、どこで焼かれるか。それは常に追跡されている。君がもたらした痕跡は、逃亡を見越した時間稼ぎの常套手段に見える。場合によっては、一生檻から出られなくなるぞ」
青年の目から、涙がこぼれた。
「すみません……」
「謝るなら、治癒師の先生に。君のせいで危うく免許剥奪だ。あと……」
バルドはテーブルに置いた書類を一瞥してから、告げた。
「おまえがぞんざいに扱った屍体には、謝らなくていい。許したり恨んだりできる状態ではないからな。それでもやりたいというなら、止めはしないが」
青年が嗚咽交じりにうつむく。
「続けるなら、台帳を正しておけ。今後三ヶ月は搬送ログの照合作業に就くといい」
青年はうつむいたまま、何度も頷いた。
*
タグは番号どおりの袋に戻され、搬送票も修正された。
バルドは運搬業者に最低限の指導だけ残した。
「搬送は台車ひとつにつき一体ずつ。タグの付け直しが生じたら、必ず台帳と照合すること。あと、キャパシティに対して設備が足りない。せめて台車を増やしておけ」
責任者は渋い顔をしながらも、「わかりました」と答えた。
外に出ると、もう夕方だった。
車の側面に刻まれた死後資産管理局の紋章が、赤みを帯びた光を反射している。
ジェーンとバルドは後部座席に乗り込む。少し走ったところで、ジェーンはぽつりと言った。
「あなた、怒ってたよね」
正面を見ていたバルドは、首をジェーンのほうへ向けた。
「怒ってた? そう見えたか?」
「うん。見えた。声も冷たかったし」
事件をひとつ閉じた直後だからだろうか、その表情はやや迂闊で、年齢よりもだいぶ若く感じる。
――年齢よりも? そういえば、彼の年齢はまだ知らない。
聞くべきかどうか迷っている間に、バルドは口を開いた。
「怒ってたかどうかは、自分でもよくわからない。他人と話すときはいつもああなる。
ぼくにわかるのは死因だ。それから、屍体をどう扱うべきか」
「生きている人たちの問題には、あんまり興味がないのね」
「そうだな。誰が殺したか。動機は何か。どこまで許すか。そんなのは法廷で決めればいい」
ジェーンは窓の外を見た。
夕焼けはもう沈みかけていて、半分を夜空が覆い始めていた。路地の脇に、煉瓦造りの倉庫がいくつも並んでいる。遠くには、冷却塔や貯蔵タンクのシルエットが見える。
(この人は、どこまでも死んだひとの味方なんだ)
それが、ようやく腹の底に落ちてきた。




