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顔が良ければ、異世界行ってもイージーモードな件  作者: 一ノ瀬九十九


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第19話 光の肖像

 夜が明ける前、王都は深い沈黙に包まれていた。

 夜露を含んだ風が、白金の塔の尖端を撫で、朝の光を待つ。

 その瞬間、東の空を裂くように、一条の光が差し込んだ。

 ——そして、世界は静かに、彼女を照らした。

 王宮の最奥、謁見の間に設けられた広間。

 そこに立つのは、純白の衣を纏ったルミナ・エルフェリア=ヴァルディア。

 昨日までの彼女は“聖女”だった。

 今日からの彼女は、“象徴”となる。

 壁一面に飾られた新しい肖像画。

 その中央に描かれたのは、柔らかな光に包まれたルミナ自身の姿だった。

 絵筆を取ったのは、宮廷画家アドリエル。かつてフェリクスの友人であり、理性を重んじた男だ。

 しかし今、彼の瞳には涙が滲んでいた。

 「——美しすぎて、描けない」

 そう呟いた彼は、完成した絵に祈るように筆を置いた。

 紅玉の瞳。透き通る髪。

 その全てが、現実よりも現実的に、神よりも神らしく描かれていた。

 だがルミナは、その絵の前で微笑むことも、感嘆の声を上げることもなかった。

 ただ、静かに見つめていた。

 まるで、その“理想化された自分”が、今まさに別の存在として歩き出すのを見送るように。

 「ルミナ……」

 背後からセレノス王の声が落ちた。

 彼は朝の光を背負い、ゆっくりと彼女の横に立つ。

 「この肖像は、国の未来を照らす光となる」

 「光……ですか」

 「民が迷い、恐れ、荒ぶるとき——この顔を見て思い出すだろう。

 “この国には、聖なる微笑がある”と」

 ルミナはその言葉に、わずかに目を伏せた。

 セレノスの意図は理解している。

 フェリクスが狂気の果てに見た“光”を、今度は国家全体に与える。

 信仰を恐怖ではなく希望として制度化するために。

 それがこの肖像の意味だった。

 「あなたは……私を利用しているのですね」

 「違う。私は、君の“意志”を国に伝えようとしている」

 「意志……」

 ルミナは自らの胸に手を当てた。

 そこにあるはずの心臓の鼓動が、遠い音のように感じられた。

 ——あの夜、フェリクスが狂いながら見た“光”を、彼女もまた知っている。

 それは祝福であり、呪いでもあった。

 彼女の美は人を導くが、同時に人を狂わせもする。

 だからこそ、ずっと隠してきた。

 けれど今、セレノスはその光を“使う”という。

 国のために、秩序のために。

 そして、ルミナ自身もまた——その必要性を理解していた。

 「……ならば、王よ」

 ルミナはゆっくりと振り向いた。

 紅玉の瞳が、白金の朝に光る。

 「私を光と呼ぶのなら、闇も受け入れる覚悟をお持ちください。

 光は、照らすほどに影を深めます」

 セレノスはその言葉にわずかに目を細めた。

 ——彼女はもう、誰かに守られる存在ではない。

 “聖女”は死に、“象徴”が生まれた瞬間だった。

 ◆

 昼過ぎ、王都の広場に民が集まっていた。

 新しい貨幣と肖像画が発表されるという知らせが流れ、街路は光の帯で埋め尽くされていた。

 白衣の神官たちが祭壇を設け、ルミナの肖像を掲げる。

 群衆は一斉に息を呑み、そして、言葉を失った。

 「——聖女様だ」

 「……いや、もう聖女ではない。あれは、我らの“国母”だ」

 その声が次第に波となり、街を包み込んでいく。

 祈りの声、嗚咽、歓喜。

 すべてが入り混じり、やがて巨大な合唱となった。

 ルミナは王宮のバルコニーからその光景を見下ろしていた。

 民衆の声が、彼女の胸に突き刺さる。

 “見られる”ということの、圧倒的な重み。

 これほどまでに、多くの人の“期待”が一つの存在に注がれる光景を、彼女は知らなかった。

 その瞬間、胸の奥に微かな痛みが走った。

 恐れではなかった。

 ——覚悟の痛みだった。

 (私は、この光を背負う)

 その決意が芽生えた瞬間、彼女の頬を一筋の涙が伝った。

 それは悲しみではなく、清らかな誓いの証だった。

 ◆

 夕暮れ。

 肖像画の発表が終わり、王宮の回廊は静寂を取り戻していた。

 ルミナはひとり、長い廊下を歩く。

 壁には新しい絵画が飾られていた。

 “光の肖像”——朝と夜の狭間に立つ彼女の姿。

 歩みを止め、彼女は絵に手を伸ばした。

 指先が、絵の中の自分の頬をなぞる。

 冷たい絵具の感触が、妙に現実的だった。

「……こんなにも、私が遠い」

 彼女は微笑んだ。

 その微笑には、もはや儚さも戸惑いもない。

 受け入れた者の微笑。

 “光”であることを、自らの運命として抱き締めた者の表情だった。

 そこへ、静かに足音が響く。

 フェリクスだった。

 彼は療養を終え、まだ蒼白な顔で杖をついていた。

 「——あなたは、やはり……」

 彼は息を詰まらせ、言葉を失う。

 彼女の立つ姿、それだけで理性を削られるようだった。

 「フェリクス。あなたが見た“光”を、私は受け入れました」

 「……受け入れた、とは?」

 「私はもう、逃げません。この顔も、この声も、この存在も。人が望むのなら、私は“希望”の形を取る」

 フェリクスの目に涙が滲む。

 それは狂気ではなかった。

 理解と、贖罪の涙だった。

 「……貴女は、それで幸福なのですか?」

 ルミナは答えず、ただ微笑んだ。

 その微笑が“答え”だった。

 幸福かどうか——そんな問いは、もう意味を成さない。

 彼女は幸福を超えた存在となっていた。

 ◆

 夜。

 王宮の中庭で、月光が静かに降り注ぐ。

 ルミナは鏡の前に立ち、ふと自分を見つめた。

 昼の肖像画とは違う、現実の“彼女”がそこにいる。

 疲れた瞳、少し乱れた髪。

 でも、その中に確かに“人間の温もり”があった。

 ——美とは、完璧ではなく、欠けを抱いた光。

 彼女は鏡に触れながら、そう呟いた。

 その背後から、セレノスが現れる。

 静かにルミナの肩に手を置いた。

 「今日の君は、美しかった」

 「私はいつも、美しいでしょう?」

 ルミナは冗談めかして微笑んだ。

 だがその言葉の裏には、深い諦観と覚悟が滲んでいた。

 彼女がそれを“武器”として使うことを、もう恐れてはいない。

 「明日から、外交団が続々と到着します」

 セレノスが告げた。

 「彼らの前で、君の光を見せてほしい」

 「……舞踏会ですね」

 「そうだ。この国がいかに平和で、いかに美しいかを——君自身で証明してほしい」

 ルミナは静かに頷いた。

 鏡の中の自分を見つめる。

 そこには、かつて“天宮瑠奈”だった頃の面影はもうない。

 代わりに、紅玉の瞳が静かに光を放っていた。

 「ならば、私は微笑みましょう」

 「……民のために?」

 「いいえ。世界のために、そして——私自身のために」

 その声には、迷いがなかった。鏡の中で、ルミナの唇がゆっくりと弧を描く。

 その微笑は、夜空の月よりも白く、深く、冷たく輝いた。

 ◆

 翌朝。

 王都の鐘が鳴り響き、外交の舞踏会を告げた。

 宮廷の門が開かれ、異国の王族たちが次々と入場する。

 だが、彼らの視線は一様に一点を向いていた。

 ——玉座の傍ら、光を纏う女性。

 ルミナ・エルフェリア=ヴァルディア。

 彼女が微笑んだ瞬間、誰もが息を止めた。

 それは神でも天でもなく、人が生んだ“信仰の形”そのものだった。

 彼女はもう知っている。

 見られることは恐怖ではない。

 見せることこそが、支配の始まりだと。

 ——そして、舞踏会の幕が上がる。


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