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顔が良ければ、異世界行ってもイージーモードな件  作者: 一ノ瀬九十九


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第15話 愛を知った夜、世界がやさしくなった

 王宮の朝は、いつもより柔らかく始まった。窓の向こう、王都は淡い光に包まれ、遠く鐘楼の音がゆっくりと波紋のように広がっていく。

 ルミナは目を覚ますと、まだ眠りの余韻が残る肌に落ちる光の温度を確かめるように、指先でひとつの花弁を撫でるようにしてベッドの縁に座った。

 昨夜のことが、胸の奥で穏やかに振動している。あれは拒絶でも抵抗でもない──互いの距離が音もなく溶け合った瞬間だった。

 セレノスの手は熱く、言葉は真っ直ぐだった。

 彼は王であろうとする前に、人としてルミナを求めた。ルミナは、その求めに素直に頷いたのだ。

 窓辺に立つと、瞳に映る王都の景色が、昨日までとは違って見える。

 彼の視線、彼の手つき、彼が見せた不器用で猛烈な愛情が、瞼の裏で柔らかい色彩をまとっている。彼のすべてを受け入れる──それは決して「屈服」でも「犠牲」でもなかった。ただ、長い間凍っていた心がようやく春の水を吸い、戻りつつある感覚だった。

 廊下に出ると、侍女たちの囁きが羽音のように耳をかすめる。しかし今日はその声さえ心地よく、ルミナは自然に背筋を伸ばして歩いた。婚約の発表以来、彼女を取り巻く空気は常に緊張と賞賛の交錯だったが、今朝の彼女の顔には静かな覚悟と柔らかな幸福が同居している。

 「おはようございます、ルミナ様」

 「おはようございます」

 挨拶の声に応えながら、彼女は小さく笑った。その笑顔を見た侍女のひとりが目を細める。あの笑みには、祈りの光とは別の温度が宿っている。

 誰もがまだ気づかない、二人だけの秘密の光。

 正午前、セレノスはいつもの執務の合間を縫って彼女を訪ねた。彼は執務室から離れ、花の香る室内へと歩を進める。   

 開かれた扉の向こうで彼を待っていたルミナは、内心で少しだけ胸がはやった。彼の体臭というよりは、彼自身の意志の匂いが、確かにそこにあった。

 「今日は、城外の茶園へ行かないか?」と彼が言った。声の調子はいつもより柔らかく、少しだけいたずらっぽかった。ルミナは首をかしげる。

 「外出は許可が──」と侍女が慌てるが、セレノスは軽く手を挙げて制した。その手つきが、ルミナの頬をかすめる風のように感じられ、彼女は自然と頷いた。

 二人で出かけた先は、王宮の外れにある小さな茶園。広がる若葉の緑、木陰に落ちる模様、柔らかな風。普段の王宮が放つ威圧感とは無縁の、静かな世界だ。

 セレノスはルミナの手を取り、ふたりで同じ石段に座った。彼の膝は固く、しかし彼女を抱く腕は誠実に温かかった。

 「こんな場所があるとは知らなかった」とルミナが言うと、セレノスはふっと笑った。日差しに目を細める彼の横顔は、王としての剛さの代わりに、ただの一人の男だった。

 「お前に見せたかったんだ。──静かな世界を、ただお前と過ごせることを」

 その言葉は宣言であり、約束のようでもあった。ルミナは胸の中で答えを探す。守られることと、束縛されることは紙一重だと彼女は知っている。だが今、彼の言葉は縛りではなく、ゆるやかな輪郭を描く愛の形に見えた。

 その日の夕刻、王宮に戻ると王の私室はいつもと違う香りが満ちていた。官職の書類や政務の資料は整然と積まれ、しかしどこかに花の枝が挿してあり、ランプの灯りが柔らかく揺れている。セレノスはルミナを導き、窓際の席へと促した。

 「今夜は──お前にだけ、少しだけ甘えてもいいか?」

 言葉の端に忍ばせたその甘さに、ルミナは微笑んで頷いた。彼が示す“甘え”の形は、その日から少しずつ輪郭を変えていく。初めは手を握る、頬に触れる、耳元で囁く。次第に、それは夜の奥へと深まっていった。

 セレノスの愛情は大胆だった。彼は規範や儀礼を盾にせず、ルミナを前にして素のままの欲望を曝け出すことをためらわなかった。だが彼の大胆さは下品にはならず、常に敬意と崇拝を含んでいた。

 「支配」と「愛」の間で揺れる彼の行いの多くは、奇妙な丁寧さを伴っていた。指先で髪を撫で、長い指で鎖のように彼女の手首を絡める。ふとした瞬間に彼は囁く。

 「美しい。お前のその吐息さえ、俺のすべてを満たす」

 そう言われるたびに、ルミナは顔を赤らめながらも胸の奥に温かい何かが広がるのを感じた。彼の言葉はいつも真っ直ぐで、飾り気がない。だからこそ、その強さに彼女は抗えなかった。

 ある夜、彼はまたいつもと違う遊びを持ち出した。室内に用意されていたのは、絹の帯と小さな箱。侍女たちの好奇心を煽るような道具だが、セレノスの目は遊戯心と同時に真剣そのものだった。ルミナは一瞬たじろいだが、彼の手から伝わる熱意に引き寄せられて、すべてを受け入れる決意をする。

 「これは──?」と彼女が尋ねると、セレノスはいたずらっぽく笑った。

 「お前の柔らかさを、もっとゆっくり味わいたいだけだ」

 その言葉を聞いてルミナは、かすかな高揚を覚えた。変態的と呼ぶ者がいるなら、その行為は確かに常識の枠を少しだけはみ出していた。だが彼の所作はいつも節度を失わず、尊敬と愛情を伴う。ルミナは目を閉じ、彼に身を預ける。

 帯がやさしく結ばれると、世界は音を失った。廊下の遠い影、窓の外の夜風、すべてが削ぎ落とされて、残るのは二人の呼吸と鼓動だけになる。ルミナは胸の内側を見つめ直す。恥じらいと興奮が同居するこの瞬間、彼女は自分が誰のものでもない──自分の意志で選んだ愛を享受しているのだと確信した。

 その夜、彼らは言葉を交わすことよりも、触れ合いの中で互いを確かめ合った。セレノスはルミナの名前を何度も繰り返し、彼女はその呼ばれ方のすべてを味わいながら、自分の中にある孤独がゆっくりと溶けていくのを感じた。

 喜びは罪でも弱さでもなく、むしろ生きるための力だと彼女は思った。

 しかし、幸福は常に静かな波紋を残すものだ。翌朝、王宮の外ではすでに噂が囁かれていた。若き王子が婚約者を溺愛する、その様子を好ましく思わない者たちがいる。

 水面下で動き出している策謀の存在を、ルミナは敏感に感じ取っていた。だが今は、そんな波風も遠い音楽のように聞こえた。彼女の中で芽生えたのは、目の前にあるこの温もりを守りたいという、純粋な欲求だった。

 日々の寵愛は彼女を変えた。鏡に映る顔つきは、以前のような強張りを失い、柔らかく、時に挑発的ですらあった。

 セレノスはそれを見逃さず、さらに甘やかす。彼は公に彼女を称え、夜にはふたりだけの時間を濃密に重ねる。王宮の誰もが気づく通り、二人は互いに依存し合うようになっていった。

 ある晩、セレノスとルミナは静かに寄り添った。彼の手は以前よりも大胆になり、彼女の拒絶を待つことなく、しかし彼女の目に映る同意を確認しながら進む。

 ルミナはそのすべてを受け入れ、そして自分からも差し出す。二人の間に流れるのは、単純な情欲だけではない。互いを知り、許し、癒す時間の積み重ねだ。

 だが王宮は外よりもずっと狭く、噂は風のように早く広がる。親衛隊の長や一部の貴族たちは、若き王子の行き過ぎた溺愛を静かに眉を潜めて見ていた。ルヴァンはそれを好意的には見なさなかった。

 彼の顔には薄い笑みが浮かんでいるものの、その目は冷たく光っていた。彼にとって、ルミナはもはや単なる婚姻の駒ではない。王家の均衡を脅かす存在──その中心にあの柔らかな微笑がある。

 ルミナはその空気に気づきながらも、初めて心から誰かの腕の中で安らぐことの幸福を噛み締めていた。愛を受け入れることは、彼女にとって勇気のいる行為だった。以前の彼女ならば、信仰と役割の間で揺れ続けたであろう。しかし今は違う。自分の意思で、愛を選んだ。

 その選択は、美しく、危うい輝きを放つ。夜が深まるとともに、二人の影は窓の向こうに長く伸びていった。ルミナはセレノスの胸に顔を寄せ、囁いた。

 「どうか、あなたも、自分を大切にしてください。殿下」

 彼の息が彼女の髪を揺らす。セレノスはその言葉を胸に刻んだように、強く彼女を抱きしめた。

 「お前がいる限り、俺は……俺は強くなる。お前のためなら、──何にでも」

 その言葉には、守るという決意と同時に、予感めいた不安も含まれていた。二人の幸福の裏で、王家の影は静かに動き始めている。

 ルヴァンの含んだ笑み、貴族たちのささやき、遠くで蠢く政治の手。すべてがやがて波となり、二人の前に押し寄せるだろう。

 だが今は、夜の柔らかな帳の中でルミナはただ一つの真実を味わっていた。彼女は自ら選んで、愛を受け入れた。顔立ちがもたらした運命は依然として重く、時に身を縛るが、彼女はその鎖の一部を甘美なものへと変えていく術を見つけたのだ。

 静寂の中、セレノスが再び囁く。

 「お前の笑顔が、俺の世界だ」

 ルミナは微笑み返し、その言葉を胸の中で優しく抱きしめた。月は二人を見守り、王都の灯は遠く瞬く。幸福は短く、しかし確かに存在する。二人は互いの熱を確かめ合いながら、やがて来る嵐を知らぬまま、夜に身を委ねた。

 ——受け入れること。それは抵抗ではなく、選択であり、そして未来への誓いである。ルミナはそう思った。彼女の微笑は確かに王家を揺らす火種となるだろう。しかし今は、その火が彼女自身をも温めていることを知っていた。

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