楠に刻まれた記録
──そして、週末の昼下がり。
駅のホームに降り立つと、手を振る影があった。
「……あ、玲ちゃん!こっちこっち!」
白いTシャツに薄手のパーカー、そして首からは“霊研三種の神器”よろしくお守りが3つぶら下がっている。 霊研会長・橋爪 柚。その姿は、青白い小鹿のようだった。
ホームに滑り込んできた電車に乗ると、玲は静かに窓際の席へ。 所要時間は、およそ50分。
車内はほどよく空いていて、冷房の風が心地いい。 隣に目を向けると、すでにゆず会長は座席に深くもたれ、爆睡中だった。
「早っ……」
口は半開き。 首からぶらさげたお守りが、電車の揺れに合わせてカサカサと小さく鳴っている。
「……寝顔までビビってるように見えるの、ある意味才能かも。
ていうか、ひとつ“安産”って……用途が迷子だよね」
玲は小さく息を吐き、車窓の外に目をやった。 街のビル群は次第に姿を消し、遠くの稜線が風に揺れていた。
「……あの夢、やっぱり“前触れ”だったのかな」
列車は川沿いの風景を抜けながら、静かに目的地へ近づいていく。 玲の胸の奥では、まだあの“声”が、くぐもった音で響いていた。
──目的の駅に着いたところで、玲はゆず会長の肩を軽く揺らす。
「ん、んぅ……ひぇっ!? ……あ、着いた……?」
目をこすりながら起きた会長と一緒に改札を抜けると、柔らかな空気が出迎えてくれた。 懐かしい土の匂い。遠くで蝉の声。
「会長、先に調査しましょうか?」
「そうだね……暗くなる前に終わらせよう! やってやるわよ!」
バスで10分ほど走ると、目指す楠の並木に着く。
「15本のうち、どの木が情報元かわかりませんね。手前から順に調べましょうか」
「そ、そうね……」
玲は静かに目を閉じ、ひとつ目の楠に手を添える。 指先に、かすかなノイズ。“サー……”という音が、鼓膜ではなく神経をなぞった。
心のチューニングを合わせ、記録を探る。
「……これじゃなさそう」
ふたりは、一本、また一本と楠を巡っていく。 やがて、最後の一本にたどり着いたとき——
「……なにか聞こえる。でも、男性の声じゃない」
そう言った次の瞬間、玲の脳裏に“記録”が流れ込んできた。
—
視界が低い。地面が近い。 これは、小さな女の子の視点だ。
目の前には、草履を履いた女性の足。 揺れる着物の裾。その奥に、泣きそうな顔の“母親”。
『……ごめんね……ごめんね……』
母の唇が、繰り返すように謝罪を紡ぐ。 けれど、その手には—— 我が子にはあまりにも不釣り合いな、短く冷たい刃。
次の瞬間、映像は掻き消えるように消えた。
玲はそっと手を離し、目を開いた。
「……これは、男性のじゃない。もっと、古いもの」
「古いって……どのくらい?」
「この楠が根を張って、間もないころ。……たぶん、300年くらい前」
「さ、300年!? でもそんな昔の記録、よく残ってたわね……」
「木の記憶って、根っこより深いのかもしれませんね」
「で……でも、結局“男性の霊”は現れなかったわよね」
「……ですね」
「ざ、ざんねんだわ……!!」
玲はそんなゆず会長の“安心しすぎた顔”を見て、小さく笑った。 その顔はまるで、記録よりも“今”を生きている証のようで、どこか可愛らしかった。