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3分間のリブート 〜NHK学生ロボコン戦記〜

作者: fulhause

 カツン、と乾いた金属音が深夜の工房に響く。高橋健太は、巨大なロボットの足元にしゃがみ込み、六角レンチを回す手に一層の力を込めた。スポットライトに照らされた機体は、無骨な鉄の塊でありながら、どこか獰猛な獣のような気配を漂わせている。明京工業大学(KUT)ロボコンチーム「KUT-Works」の今年のマシン。そして、健太の呪縛そのものだった。


脳裏に、あの日の光景が灼きついたままこびりついて離れない。

一年前の全国大会決勝戦。残り時間わずか。勝利を確信した瞬間、自慢のマシンはプツリと生命活動を停止した。制御不能に陥った腕がだらりと垂れ下がり、歓喜に沸くライバルチームを背景に、ただの鉄屑と化した自機。操縦席で呆然とする自分。仲間たちの絶望した顔。あの屈辱が、健太を「完璧」という名の亡霊に取り憑かせた。


「完璧なマシンに、完璧な操縦。それ以外に価値はない」


地区大会を一ヶ月後に控えた今、その言葉は健太の口癖となり、チーム全体を重苦しい空気で覆っていた。工房は、創造の喜びが生まれる場所ではなく、ミスの許されない処刑場と化していた。


「健太先輩、自動照準システムの新しいロジック、試してみてもいいですか?」


声をかけてきたのは、二年生の佐々木遥だった。電子情報工学科のエースで、昨年、健太の戦う姿に憧れて入部してきた後輩だ。その瞳にはかつて尊敬の色があったが、今は疑念と反発が混じっている。


「まだ基礎的な動作も安定していないのに、新しいことなどするな。マニュアル操作の精度を上げろ。俺が完璧に動かす」

「でも、このアルゴリズムなら反応速度を0.2秒は短縮できます。今のままじゃ全国では…」

「俺の操縦を信じられないのか?」


健太の冷たい声に、遥は唇を噛んで引き下がった。その背中を見送りながら、同級生で機械設計担当の鈴木徹がため息をつく。


「健太、少し言い方がきついんじゃないか。遥だってチームのために…」

「徹、お前もか。去年の二の舞はごめんだ。勝つためには、俺がすべてを管理する必要がある」


その悲壮なまでの決意が、チームという名の精密機械の歯車を少しずつ狂わせていることに、健太だけが気づいていなかった。彼は亡霊の支配する工房で、たった一人、孤独な王として君臨していた。



亀裂は、音を立てて広がった。

自動照準システムのテスト中、事件は起きた。遥が健太の許可を得ず、夜を徹して実装した新しいプログラム。そのわずかなバグが原因で、ロボットアームが想定外の軌道を描き、作業台の角に激突した。鈍い衝撃音と共に、アーム先端に取り付けられた高価な三次元距離センサーが床に砕け散る。


「…何てことをしてくれたんだ!」


健太の怒声が工房に響き渡った。駆け寄ってきた遥の顔は真っ青だった。


「ご、ごめんなさい…シミュレーションでは完璧だったのに…」

「だから言っただろう!基礎もできていないのに新しいことなどするな!お前の自己満足がチームを危機に晒したんだぞ!」


罵声は止まらなかった。それは、焦りと不安の裏返しだった。完璧を目指すあまり、わずかな綻びすら許せない。しかし、その言葉は刃となって遥の心を突き刺した。


「健太先輩こそ、私たちのことを何も信じてくれてないじゃないですか!」


初めて遥が正面から反論した。その瞳は涙で潤んでいたが、強い意志の光を宿していた。


「去年の先輩は、もっと仲間を信じて、楽しそうにロボットを作ってました!今の先輩は、ただ勝つことしか見えてない。そんなの、私が憧れたKUT-Worksじゃない!」


二人の間に走った亀裂は、もはや修復不可能なほど深かった。


数日後、健太は部品調達のために秋葉原の電子パーツ店を訪れていた。そこで、最も会いたくない人物と鉢合わせた。帝都工科大学(T工科大)のチームリーダー、黒田龍司。高校時代からのライバルであり、昨年の全国大会で健太を打ち破った男だ。


「よぉ、高橋。今年のロボットは順調か?」

黒田は楽しそうに新型モーターを吟味しながら、軽薄な笑みを浮かべた。

「…お前には関係ない」

「相変わらずだな。けど、去年のお前はすごかったぜ。あのマシンには『魂』みたいなもんが宿ってた。俺たちもギリギリだったんだ。でも、今の話を聞く限りじゃ、どうもその魂が感じられねぇな」


黒田の言葉が、健太の胸に杭のように打ち込まれた。魂。そんな非科学的なものを、この男は信じているのか。だが、否定できない自分がいた。去年のマシンには、確かに仲間たちとの情熱が、魂が宿っていた。


工房に戻ると、空気はさらに重くなっていた。健太の独裁はエスカレートし、新入生の伊藤隼人はミスを恐れて完全に萎縮していた。鈴木も健太と距離を置き、ただ黙々と作業をこなすだけ。遥は、瞳から輝きを失くしたまま、PCの画面を睨みつけていた。チームは静かに死に向かっていた。


そして、運命の日が訪れる。地区大会一週間前の総合テスト。焦りから無理な挙動テストを繰り返していた健太は、ついに致命的なミスを犯す。急旋回からの急停止。機体に過剰な負荷がかかった瞬間、「ガガガガッ!」という耳障りな金属音が工房に響き渡った。駆動系の要であるギアボックスが、けたたましい悲鳴を上げて砕け散ったのだ。


ロボットは完全に沈黙した。

静まり返る工房。メンバー全員の視線が、操縦席で固まる健太に注がれる。自分のミスだ。それは誰の目にも明らかだった。しかし、追い詰められた健太の口からこぼれたのは、信じられない言葉だった。


「…なぜ誰も止めなかったんだ!」


無意識の責任転嫁。その一言が、かろうじて繋がっていた最後の糸を断ち切った。


静かに立ち上がったのは、遥だった。

「もう、無理です」

その声は、凍てつくように冷たかった。

「先輩とは、やっていけません」

彼女はPCを閉じ、上着を掴むと、一度も振り返らずに工房から出ていった。続いて、萎縮していた伊藤が「すみません…」と小さな声で呟き、遥の後を追う。最後に、親友であるはずの鈴木が、痛ましげな表情で健太を一瞥し、静かに工具を置いた。


ガランとした工房に、壊れたロボットと、健太が一人取り残された。

KUT-Worksは、音を立てて崩壊した。



どれくらいの時間が経ったのか。健太は壊れたギアボックスの前で、膝を抱えたまま動けずにいた。窓の外は、すでに白み始めている。敗北感と自己嫌悪が、鉛のように身体にのしかかる。


「…派手にやったな」


不意に背後から声がした。振り返ると、そこにはOBで大学院生の田中誠が立っていた。健太が一年生だった時のリーダーだ。その手には、湯気の立つ缶コーヒーが二つ握られていた。


「田中さん…」

田中は健太を責めなかった。ただ、隣にどかりと腰を下ろし、缶コーヒーを一つ手渡す。

「俺もやったよ、昔。リーダーだった時、勝つことしか見えなくて、みんなを追い詰めた。結果、チームはバラバラ。地区大会で惨敗した」


淡々と語られる過去の失敗談。健太は何も言えず、ただ俯いていた。


「高橋。ロボットは一人じゃ作れない。それは、お前が一番よく分かっているはずだ」


そう言うと、田中はポケットからスマートフォンを取り出し、ある映像を再生した。目を背けたくなる、昨年の決勝戦の録画だった。だが、田中が見せたのは、トラブル発生後のシーンだ。

そこには、健太が知らなかった光景が映し出されていた。

動かなくなったロボットに、鈴木や他のメンバーが駆け寄り、残り数秒まで必死に修理を試みている。そして、操縦席で呆然とする自分を、観客席の隅から心配そうに見つめる、まだあどけなさの残る一年生の遥の姿。


「お前は一人で負けたんじゃない。チームで戦って、チームで力尽きたんだ。それは、決して恥ずかしいことじゃない」


映像の中の仲間たちの姿と、昨日去っていった彼らの背中が重なる。健太の視界が、急速に滲んでいった。自分は一人で戦っていたのではなかった。みんながいた。みんなで戦い、そしてみんなで負けたのだ。それなのに、自分はその敗北の責任を一人で背負い込み、仲間を信じることをやめてしまった。


嗚咽が漏れた。大粒の涙が、コンクリートの床に染みを作っていく。

遥の挑戦的なプログラムも、鈴木の堅実な設計も、伊藤のひたむきな努力も、すべてはチームで勝つためだった。それを、自分自身の手で壊してしまった。その罪の重さに、ようやく気づいた。


夜明けの光が、工房の窓から差し込み始める。それは、まるで再生の光のようだった。健太は涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。そして、壊れたギアボックスの前に座り込み、工具を手に取った。絶望的な作業だ。地区大会まで、もう時間はない。それでも、やらなければならなかった。これは、自分への贖罪だ。


カチャリ、と金属の触れ合う音だけが響く工房に、新たな足音が加わった。鈴木だった。


「…一人でやる気か」

「鈴木…すまなかった」


絞り出すような健太の心からの謝罪。鈴木は何も言わず、ただ黙って健太の隣に座り、別の工具を手に取った。言葉はなくても、その行動がすべてを物語っていた。


しばらくして、伊藤がおずおずと顔を覗かせた。鈴木に促され、彼もまた、小さな手で作業を手伝い始める。


そして、昼が過ぎた頃。工房の入り口に、遥が立っていた。その目の下には、深い隈が刻まれている。気まずい沈黙が、三人と彼女の間に流れた。


沈黙を破ったのは、健太だった。彼は立ち上がり、遥に向き直ると、深く、深く頭を下げた。


「佐々木、本当にすまなかった。俺は、お前を、みんなを信じていなかった。俺が間違っていた。…もう一度、俺と一緒に戦ってくれないか」


遥の大きな瞳から、こらえていた涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「…先輩の、その言葉が聞きたかったです」

震える声でそう言うと、彼女はポケットからUSBメモリを取り出した。

「徹夜でデバッグ、終わらせました。今度こそ、完璧です」


壊れたロボットを囲み、KUT-Worksは再び一つになった。それは、完璧とはほど遠い、傷だらけの再起動リブートだった。



地区大会当日。会場の熱気が肌を刺す。

不眠不休の修復作業を終えたKUT-Worksのマシンは、塗装も剥げ、あちこちに痛々しい傷跡が残っていた。満身創痍。しかし、それを囲むメンバーたちの表情は、これまでで最も晴れやかだった。


操縦席に座った健太は、インカム越しに聞こえる仲間たちの声に耳を澄ませた。

『健太、平常心でいけよ』鈴木の落ち着いた声。

『先輩、信じてます!』伊藤の弾んだ声。

『健太先輩。システム、オールグリーンです』そして、遥の凛とした声。


健太はゆっくりと息を吐き、仲間たちと視線を交わした。

「行こう。俺たちのロボコンを、やろう」


試合が始まった。ロボットの動きは、昨年のように洗練されてはいない。小さなミスも起こる。だが、そのたびに何かが違った。

アームが的をわずかに外せば、『右に3度修正!』と鈴木が叫び、健太が即座に操縦を補正する。相手の動きが予測と異なれば、『パターンBに移行!先輩、お願いします!』と遥が叫び、健太がそれに呼応する。ミスを責める声はない。ただ、カバーし合う声だけが響く。


健太はもう焦らなかった。自分の腕だけを信じるのではなく、仲間の声を信じ、ロボットの挙動を信じた。その操縦には、黒田が言った「魂」が確かに宿っていた。観客席の片隅で、ライバルの黒田が面白そうにその戦いぶりを見つめているのに、健太は気づいていた。


KUT-Worksは、奇跡的に決勝まで勝ち進んだ。

相手は、優勝候補の強豪チーム。試合は一進一退の攻防の末、残り時間10秒で絶体絶命のピンチに陥った。相手のポイントリード。このままでは、敗北は決定的だ。

万策尽きたかと思われた、その瞬間。健太の脳裏に、遥が今朝、「お守りです」と言ってこっそり仕込んでくれていた、未完成の裏プログラムの存在が閃いた。テストもしていない、一か八かの賭け。


『佐々木、アレ、いけるか!?』

インカムに叩きつけるような健太の声。一瞬の沈黙の後、遥の決意に満ちた声が返ってきた。

『信じてください!』


健太は操縦桿を握りしめた。相手の防御のわずかな隙を突き、ロボットを突進させる。常識では考えられない無謀な突撃。観客が息を呑む。

その刹那、健太は裏プログラムの起動スイッチを入れた。ロボットのアームが、誰も予想しなかった軌道を描く。それは、遥が最初に実装しようとして失敗した、あの高速動作アルゴリズムの完成形だった。


健太の咄嗟の判断と極限の操縦、そして遥の信じる力が、見事にシンクロした。

「ガシャン!」

放たれたオブジェクトが、吸い込まれるように逆転のゴールエリアに収まる。

それと同時に、試合終了を告げるブザーがけたたましく鳴り響いた。


静寂。そして、爆発するような歓声。

スコアボードが逆転を示している。勝利だ。


「やった…!」

「やったあああああ!」

操縦席を飛び出した健太のもとに、メンバーが駆け寄る。涙と汗でぐしゃぐしゃになりながら、全員で抱き合った。それは、健太が追い求めた「完璧な勝利」ではなかった。傷だらてで、泥臭く、不格好な、しかし最高の勝利だった。


表彰式の後、黒田が健太に歩み寄り、無言で拳を突き出した。

「おめでとう。…やっと、お前らしいロボットが見れたぜ」

健太もまた、力強くその拳に自分の拳を合わせた。固い握手だった。


全国大会への切符を手にし、工房へ帰るマイクロバスの中。疲れ果てて眠る仲間たちの寝顔を見ながら、健太は窓の外を流れる夜景を眺めていた。鈴木がいて、伊藤がいて、そして隣には、同じように窓の外を見つめる遥がいる。


(完璧じゃなくてもいい。俺たちには、仲間がいる)


健太の心は、新たな戦いに向かう希望と、仲間への感謝で満たされていた。その口元に浮かんだ静かな微笑みは、夜の闇に優しく溶けていった。

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