アンワースプラン
帝国の現代皇帝は幼かった。齢8歳で即位した彼は即位直後から神教典派と民教典派の宗教的闘争に巻き込まれ、当たり前ながらそれを収める力を持ち合わせてはいなかった。彼は最初から枢密院の傀儡であった。
枢密院——それは、「アトゥス教を守護する帝国」という国の意義を遵守する為、聖職者によって構成された皇帝の諮問機関であり、且つどの世俗権力にも侵害されないアトゥス正教会きっての秘密組織である。
枢密院の意向と先帝の政策に従い、彼は帝国中央軍や賛同する諸侯軍を動員して新教潰しに躍起になった。しかし、弾圧すればするほどに反発は増していき、もはや単なる反乱ではなく13年以上にも及ぶ内戦にまで発展してしまった「帝国新教戦争」。これに投入された帝国中央軍は疲弊していた。
帝国中央軍にはアトゥス教世界を守護する大役がある。異端との戦いでその大役を果たせなくなってしまっては敵わない。そこで枢密院は、新教派の諸侯を北東部へと追いやり、そこでそのまま彼らを独立させるという筋書きを描いた。そして皇帝は促されるままにそれを実行に移そうとする。
しかし、その皇帝の行動に反対する勢力が現れた。帝国を構成する諸侯の代表全員が参加する帝国の最高世俗機関——帝国議会である。
彼らは帝国をアトゥス正教の守護者では無く、より世俗的に、具体的には諸侯各国を守護する盾として見ている。よって、新教勢力が独立したあとの諸侯減少に伴う帝国の国力低下に強く危機感を示した。
諸侯たちの多くは、20年前の当時、帝国内の最大勢力だったパルサリョール王国とその属国ネアスポリス王国が突如、「パルサリョール継承事件」によってセーネス王国に奪われた後の混乱をよく覚えている。帝国中央軍は大きく弱体化し、東部国境では小競り合いが相次いだ。そして、その不安感から中央から離れた北東部の辺境で新教が躍進したのであった。この流れは帝国諸侯にとっての苦い記憶となっている。
齢18歳の皇帝は、異端諸侯を切り離したい枢密院と、分裂下においても領土を減らしたくない帝国議会の板挟みにあってしまう。この際に相談したのが帝国中央軍参謀総長——ローマン・フォン・アンワースであった。
「皇帝陛下、最近、あの憎き隣国セーネス王国が新世界の大ニポン帝国とやらに敗北続きなのをご存知でしょうか」
「知らぬな。それがどうした」
「これは、セーネスに奪われた西部失地を取り戻す大きなチャンスなのです」
彼が提唱したアンワースプランと呼ばれる軍事計画。これに皇帝は心打たれた。
「北東部を失う代わりに、帝国軍を立て直して西部失地を取り戻す。枢密院も帝国議会も納得させられます。内戦に比べて兵共の士気も上がるでしょう」
実はこの頃、皇帝は連合王国への侵攻計画は知らなかった。それどころか、戦争が始まるまで本当の計画を知っているのは参謀本部中枢の9名のみであった。
——————————
「連合王国を敵に回す……だと!? これでは過去の『護国卿戦争』と同じではないか!! アンワースは何を考えている」
帝国軍による連合王国への越境前夜、皇帝は激高していた。何しろ自身の軍から本当の作戦を知らされていなかったのである。怒るのも当然だ。
「撤回しろ。今すぐその作戦を撤回しろ。南部の戦線では負けているというではないか! なのにこれ以上戦線を増やすなど言語道断ではないか!」
「皇帝陛下、落ち着いて下さい。負けている戦線に軍を差し向けたところで現状損害を増やすだけにございます。それに、連合王国のスパイはまだこの情報を知りません。奇襲が成功さえすれば2国相手でも勝機は我が方にあります」
「本当なのだな?」
「ええ、神に誓って」
皇帝はこのフォン・アンワースという男を信用する事にした。皇帝の許可が降りたことで本当のアンワースプランが実行に移された。
「帝国中央艦隊、出撃!」
——————————
時を前話直後まで進める。アルデネンの森を抜けた帝国中央艦隊はセーネス軍、連合王国軍の間をすり抜けるように爆走。両軍が対応する前にトルネイ、リル、イエパーといった都市を占領していく。そして、連合王国軍大包囲への最後の港湾都市「ダンカーク」へと到達しようとしていた。
「絶対に、ここは死守する」
このダンカークに配置されていたのはセーネス第5軍の部隊、それと、増援として急遽配備された少数の連合王国軍部隊。この地にて、今時戦争において初の合同軍vs帝国軍の3軍による戦闘が行われる事になる。
「グ、アァ……」
「お、おい、しっかりしろ!」
「負けるな! 魔法を打ち続けろ」
「こ、ここはもう持たない」
「一歩も引くな、俺らの負けは連合王国の負けだと思え」
「俺達は絶対に負けない」
「突撃イイイィィィィ!!」
妖精たちの羽が捥げた。セーネスの砲兵陣地が弾けた。帝国の航空艦が墜ちた。
ダンカークの戦いは絶対に突破する帝国軍と、絶対に突破させない合同軍による最悪の戦場となった。背後はもうすぐそこに海岸という立地で、双方に大きな被害、損害が出た。犠牲者はセーネス軍が最も多く、6万人にも及んだ。
6日にも及ぶ激戦。その末にこのダンカークの戦いを制したのは、
——帝国軍であった。




