プロローグ
2025年、大日本帝国は突如として地球上から姿を消した。
具体的な範囲としては占守島から台湾島までのいわゆる日本本土と呼ばれる地域であった。
南樺太や北マリアナ諸島、大陸に点在する領土など残された地域も存在し、それらはそれぞれ独立するか、あるいは自治を約束された上で隣接国に編入という運命を辿ることになる。
世界第4位の経済、第5位の軍事力を持つ大国が消失するという事件が与えたインパクトは計り知れない。
・東アジアの3大金融センター、上海は情勢不安で全ての取引が停止、香港は世界中から売り注文が殺到し機能不全に、東京はそもそも蒸発。
・福岡、神戸、横浜などを介した日本の商社による貨物船運行が完全にストップし、北太平洋全域が致命的な物流危機に。
・満州、韓国を始めとした東アジアの準西側諸国は核保有国日本という強力な同盟を失ったことによりロシアからの圧力が激増。
・国連軍、同盟国軍として世界各地に駐屯していた日本軍は祖国を失い立ち往生。西側諸国の支援を受けて南樺太への撤退作戦が計画されるも先行き不透明。
いくつかすぐに起こった大きな問題の事例を挙げたが、もちろん世界で起こる弊害がこれだけのはずがない。全世界で企業や政府がいくつも飛ぶような深刻な恐慌に晒されることになる。
こうして、人類史上2度目の暗黒時代と後に呼ばれる時代が幕を開けたのだった。
一方、地球で消失したはずの大日本帝国は見知らぬ惑星で目を覚ます。
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「停電、か……?」
2025年4月1日午前7時。新たな年度が始まるこの日は、突然の停電から始まった。それも、帝国全土北から南まで全ての領域でブラックアウトという前代未聞の事態である。
非常時用の回線すら機能しない状況に、総理府や国土開発省などの政府機関、そして全国10の発送電会社を始めとする様々な一般企業は、伝達用の職員を乗せた車を走らせることで情報の共有や司令を伝えた。東京のみならず日本中に溢れた政府や企業の伝令車は、後に令賀(昭和から2つ次の元号)の飛脚と呼ばれることになる。
まず最初に復旧を果たしたのは独自の非常用電源設備を保有する軍や鉄道、病院などの施設であった。8時を過ぎる頃には電話線や一部のネットサーバーなども回復し始め、次第に帝国が置かれている状況が鮮明になってくる。
「首相閣下、この未曾有の大停電は関東だけではなく、帝国全土に及ぶ模様です。国開省(国土開発省)や東電(関東発送電株式会社)の担当者からの報告では『想定していない事態であり、今の所一切原因が掴めない』とのこと」
「ふむ……海外との通信はまだ復旧しないか」
「今の所は、まだ、はい。台湾、小笠原とは連絡がついたようですが、現在でも樺太、大陸領、北マリアナ諸島、そして諸外国からの応答はありません」
「そうか……攻撃の可能性というのはどうなのかね?」
「軍部からは『現在調査中である』との報告の後に新しい情報は入ってきておりません。が、しかし、これまで全く何の兆候も見せず我が国にこの様な大規模攻撃を行うというのは非現実的かと」
政府は国内の状況把握と並行して、連絡の全く取れなくなった海外へのコンタクトを模索していた。人工衛星や海底ケーブルを用いた一般的な通信網はもちろんの事、古典的な短波通信までも利用して官民問わず必死に海外へコールをし続けた。
しかし、始まりの停電から1時間以上が経っても成果は挙がらず、返事は全く返ってきていない。
そんな状態の中で、遂に待ち望んでいた軍部による初動調査の結果が報告される。しかし、その内容というのはそれこそ非現実的と言わざるを得ないものであり、帝国全土を更なる予測不能な混乱に陥れるには充分過ぎるものであった。
「大本営から緊急の連絡であります! 海空軍による調査・偵察の結果、樺太、朝鮮、カムチャッカなど在るべき陸地の存在が認められず、広大な海ばかりであったとのことです」
「一体、どういうことだ」
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数多の部隊を抱える帝国軍の中、最も早く状況把握に動いていたのは青森以北に展開する海軍の北方航空艦隊であった。
彼らは停電発生から僅か数分後には次々と各基地からスクランブル機を上げ、驚くべき早さで担当空域の警戒監視を開始していた。某国からの電磁波攻撃を想定して日頃から訓練を行っていたが故に、基地が停電に見舞われている最中でも素早く機材の確認を行い、滑走路から飛び立つ事が可能であったのだ。
オホーツク海の警戒に着いた複数の隊から次々と無線で伝えられてくる『樺太消失』の報告。その衝撃は通信網が復旧していくと同時にどんどんと上の組織へと伝わっていき、最後には帝国軍の最高司令部である大本営にも共有された。
「ここから先、国境付近の偵察は空軍の戦略偵察部隊が適任であろう」
大本営は実戦部隊である海軍航空隊の隣接国境への派遣は不必要な危機を招く可能性があるとし、空軍の偵察機を派遣する決定を下した。しかし、今回の有事が近隣諸国によるものだった場合に備え、海軍航空隊による海上での展開は続行された。
空軍は樺太消失の事実確認の他、近隣諸国への偵察に五二式偵察機(旧式だが信頼性のある有人偵察機)部隊の派遣を決定。想定される軍事的緊張を最小限に抑えるべく、慎重に国境付近への偵察任務が実行された。
その結果は先ほどの首相官邸に伝えられた通り、海外のあるはずの陸地が全く確認できないという到底現実とは思えないものであった。
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「号外! 号外だよ!!」
その日の昼間には新聞各社の号外が巷に溢れ返った。運悪く当直だった社員たちが総出で自社の新聞をばら撒いている。各社の1面には『帝国全土にて同時停電』『都内に溢れた安成の飛脚』『発送電各社、未だ原因掴めず』など目を引くワードがズラリと並んでいる。電車が動かず自転車や徒歩で通勤することになったサラリーマンたちが、休憩がてら公園や路上でそれを読む姿はその日を象徴する光景になった。
3時を回る頃には国内インフラの多くが復旧、もしくはその目処が立った状態まで回復するも、依然海外との連絡がつく気配は一向に無く、海外サーバーのクラウドを利用していた企業や海外との取引が多い企業、海外に本社を持つ企業などは頭を抱えていた。政府各所に問い合わせてみても返答は「調査中」の一点張りで現状の説明などは一切無し。民間は指を咥えて待つしかないように思われた。
しかし、半日以上が経過しても何も発表がない政府に対して不信感は急速に広がり、いくつかの企業は痺れを切らして独自に行動を起こし始める。
この時、最初に動いたのは住友財閥であった。重工業や半導体、IT産業に重点を置き、第2次大戦以降ずっと海外志向の住友。その傘下にある企業の大半は海外との貿易がなければ成り立たない。この1日での損害は他の大企業に比べてもより大きなものとなっている。
その為、住友は独断で韓国に向けて連絡船を派遣することにした。
この動きは帝国も認知していたが、緊急事態宣言の施行前に行われたために規制することができなかった。
こうして住友をはじめとした複数の大企業に韓国、樺太消失の事実は知られてしまうこととなり、どこから漏れたのか2日には新聞やテレビで報道されることになる。
そして……帝国は大パニックに陥った。