第20話 私の都合のいい世界
「神殿にて祈りを捧げなくては」
外交と称して色々な国々を周り、聖女様とチヤホヤされることは大変心地の良い事だった。なにしろどこの国でも最上級のもてなしをされ、人々から羨望の眼差しが向けられる。祝福と称して魔力を解放すれば人々の怪我や病気が軽減され、感謝された。
確かに神殿で祈りを捧げれば神の声が聞こえた。それはハッキリとした声ではなく、どこか抽象的な言葉だった。覚え切れるわけがかなく、神殿でミリアが祈りを捧げ神の声を聞く時は、書記をする巫女や神官が同席をした。聞こえた声をミリアが口にして、それを書きとめるのだ。そうして書き留めた言葉から、神の声をまとめあげて発表するのだ。
ただ、時折不鮮明に聞こえるため、地名が曖昧だったり、時期が分かりにくかったりすることがよくあった。そんな時、ミリアの頭に神の声ではなく、前世日本人の記憶が突然蘇った。勇者召喚、魔王討伐、思わずミリアはその言葉を口にしていた。
「なんてこと」
ミリアの口からこぼれた前世の記憶の言葉、それを聞いて顔色をなくしたのはその日書記をしていた巫女だった。恐ろしい言葉を書き留めた巫女は、転げるように祈りの間からいなくなり、直ぐに大勢の神官たちを連れてミリアの元に戻ってきた。
「聖女様、この神託は誠にございますか?」
神官長がミリアに問いかける。その声は怒りでもなく、悲しみでもなく、本当にただことの真偽を問いただしていただけの声だった。何しろ神の声は聖女にしか聞こえない。
「わたくし、そのような恐ろしい言葉を?」
うっかり前世の記憶からの妄想を口にしてしまったなんて言えるはずもなく、ミリアはとぼけることにした。しかも記憶にございません。状態にすることで、真偽の程は濁すことにした。その前に断片的に口にした言葉と共に、神官たちが神の言葉をまとめあげようとその場で会議のような状態になってしまった。さすがに自分の妄想だなんて、口が裂けても言えない。だがしかし、本当に勇者召喚ができるのなら、面白そうだ。異世界からやってきた勇者が魔王討伐の後、現地の聖女と結ばれる話は前世で結構読んでいたからだ。
乙女ゲームの世界に転生して、そのゲームは終了してしまった。今は、エンディングの後の世界でエピローグもとうに終わっているとミリアは感じていた。だからこそ、刺激が欲しい。新しい物語のヒロインになりたい。だって、ミリアは乙女ゲームの世界で主人公ではなかったのだから。
「魔王は黒き山に生まれたということか?」
「黒き山とは、どこを示すのか」
「魔王とは、どのような存在なのだ?」
「魔の王、か」
「魔力なら我々も持ち合わせているではないか」
「黒き山と言うことは、心の象徴かもしれん」
「ここより北にドラゴンが住む山がある」
「そこが黒き山か?」
「確認してみよう」
神官たちは話が纏まったとばかりにミリアを残して行ってしまった。
「聖女様、おつかれでございましょう。部屋に戻り湯浴みをしておくつろぎください」
巫女たちがミリアに労いの言葉をかけ、自室に戻してくれた。そうしてミリアはソファに座り、温かなお茶を飲みながら窓の外を眺める。
この神殿があるのは前世の記憶で言うところの永世中立国のような場所で、神殿を中心に国が成り立っていた。実はものすごく小さな国で、高い壁でぐるりと囲まれている面積は、ちょっとした大学程度しかないのだ。国を取り仕切るのは教皇で、神官長はあくまでも神殿内の神官で一番偉い人なだけなのだ。教皇は各国の神官長から投票で選ばれるらしく、ミリアが聖女になってから代替わりはされていなかった。なかなか高齢のおじいちゃんに見えるのだが、走れるぐらい足腰が丈夫なことをミリアは知っている。
おそらく、神官たちはまとめあげた神託を教皇の元に報告に行ったのだろう。今までも不作や疫病の神託を受けたことがあり、その時も神官たちが慌てていた事をミリアは知っている。
「さて、聖女よ」
教皇に呼ばれ、ミリアは教皇の前にいた。もちろん立たされてなどいない。向かい合い、ソファーに座り間にあるテーブルにはお茶とお菓子が置かれていた。
「はい。教皇様」
聖女は神の声を聞くことが出来るのに、何故か教皇は神の代理人であった。代理人なら神の声ぐらい聞けるだろうに、何故か男の耳には神の声は届かないらしい。
(要するに教皇の心と体が穢れているってことよね)
ミリアは心の中でそんなことを呟いた。だいたい分かる。神の声を聞くには清らかな心と体が必要なのだ。つまり男を知らない清らかなる乙女、処女性を求められているということだ。教皇は神の代理人と言いつつ、妻と子がいる。要するに童貞では無い。心はともかく体が清らかでは無いということなのだろう。
「勇者召喚はできるのか?」
「はい?」
唐突な質問にミリアはおかしな声が出た。できるのか?なんて、聞かれても答えられるはずがない。そんなの妄想で、前世日本で読んでいたラノベでは、魔法陣を使って召喚していた。ということぐらいの知識しかない。いや、それも知識なのか怪しいところだ。
「召喚の魔法陣には大量の魔力が必要だ」
そう言って教皇はミリアの前に一冊の本を出してきた。そしてバラバラとページをめくり、一つの魔法陣が描かれたページをミリアに示した。
「…………」
見せられたページを見てもなんの事だか分からないミリアは、ただ無言を貫くしか無かった。何となく書かれている文字は読めるけれど、逆さまなのでだいぶ読みづらい。
「この魔法陣が召喚の魔法陣だ」
教皇がそう言って本をミリアに差し出した。
「召喚の魔法陣」
ミリアの喉がなった。純粋に、夢のような出来事に震えが走る。眉唾ではなく、本当に召喚の魔法陣なんてものが存在したのだ。
「召喚の魔法陣を描くには大量の魔力が必要だ」
「魔力……」
確かに、召喚の魔法陣が書かれたページの隣には、書きながら魔力を込める必要があることと、書き始めたら一気に書き上げなくてはならない。ということが書かれていた。つまり、一度書き始めたら手を止めることは出来なくて、その間ずっと魔力を込め続けなくてはならないということだ。どんなに頑張っても直径3メートルぐらいの大きさになりそうである。その間魔力を込め続けるとなると、不眠不休となるだろうし、そもそも魔力が続くのかさえ謎である。
「聖女であるお前は人々の祈りを魔力として取り込むことができる」
そう言って教皇は不思議な形をした指輪をミリアに差し出した。
「これは?」
差し出された指輪を手に取りミリアは不思議そうに眺めた。前世で見てきた教会や平和を意味するシンボルマークにどこか似ているような、それでいて全く異なるような、そんな不思議な形をしていた。
「それは神の手を表している」
「神の手?」
言われてみれば人の手を組んだような指の形に見えなくもない。指が絡み合っているから、複雑な形に見えるだけで、言われてみれば関節で折れ曲がる人の指に見えるから不思議だ。
「人々の祈りは神に届く。その祈りが魔力となりこの国を守っているのだ」
それでようやくミリアは合点がいった。故郷の城の壁よりも低く人の手で積み上げた石垣を、超えて侵入してくる不届き者がいないのも、この世界の唯一神が祀られているこの国が侵略されないのも、人々の祈りが魔力となり強固な防御壁を作り上げているからだった。
「では?」
ミリアはあえて自分の考えを言わず、教皇に訪ねるようにした。
「その指輪を付けて魔法陣を画けば魔力は尽きることなく補充される。お前が魔法陣を書いている間人々に祈りを捧げてもらうからな」
「そんなことが?」
ミリアは大袈裟に驚いて見せたが、これはついに夢にまで見たチートアイテムを手に入れたと言っていいだろう。
「ここより北の方角にドラゴンの集まる高き山がある。おそらくそこに魔王が生まれたのだろう」
教皇が、重々しく告げる言葉を聞いてミリアは心の中で盛大に拍手喝采したのであった。