第16話 上には何がある
「うわぉ」
先を進むジークフリートが、頂上を見た途端おかしな声を上げた。後ろにいる慎二には何も見えないから、その声を聞いて慎二は思わず身構える。
「なにがあった?」
なにしろ山頂に上がるのに道がなかった。なんとなく生えている?ツタのような植物を頼りにがけを這うように登っている状態なのだ。これで目の前に敵がいましたとかだったら完全に詰んでいる。もっとも、慎二が知っているゲームだったらたいてい敵が待ち構えているのが定番なので、驚きはしないのだけれど。
「いや、何もない」
ジークフリートはそう答えて山頂によじ登った。そして慎二に手を伸ばし、腰のあたりの布を掴んで引き上げてくれた。一応は命綱のようなものは使ってはいたけれど、まったくもって慎二は信用していなかった。ただ、魔道具であると聞いたから、多少気休め程度に思っていただけだった。なにしろ、本気で道がなかったからだ。ゲームなんかでよくあるのは、操作性の細かさを要求するような細い道で、ほんの少しスティック操作を誤ったら一番下まで落ちてしまい、最初からやり直し。というものが多かったが、一応この世界は現実なので、下に落ちてみるなんて考えたくもなかった。勇者の能力で着地できるかもしれないけれど、相当足が痛いだろう。有名な小説の主人公のように実行するなんてとんでもないことなのだ。
「う、わ」
山頂にようやく這い上がる様に到達して、慎二は心底聖女に悪態をついた。今なら小説の主人公みたいに飛び降りてもいいかもしれない。ただ、ここは二階ではなくとんでもなく高い山の山頂なのだけど。
「なにもねえよ」
ジークフリートも呆然としていた。
なにしろ、山頂に魔王城があると信じて登ってきたからだ。途中鳥に邪魔されるとか、ドラゴンに襲われるとか、そんなアクシデントはなかったものの、それでもそそりたつ山の壁を登るのは大変だった。こんなことをするのはおそらく王命でドラゴンの卵をとってくるよう命じられた冒険者ぐらいだろう。実際、そんなクエストは聞いたことがないけれど。
「岩しかない。いや、サボテンは生えてるか」
慎二の前には何もない赤土の大地が広がっていた。それこそ地平線が見える。まぁ、それは単にそこで台地が終わっているだけなのだが。
「でけえ岩が遠くから見たら魔王城に見えたってだけか?」
もうジークフリートは立ってなどいなかった。でかい岩の陰に座り込んでいた。何しろ疲れている。ようやく足元に台地があるのだ。休みたいのは慎二だって同じだ。
「俺も座る」
慎二はジークフリートの隣に座り、岩に背中を預けた。本当は大の字に寝転がりたいところだが、そんなことをしたら全身で太陽の日差しを浴びてしまう。とんでもなく高い山だから、日差しの強さもとんでもなかったのだ。サボテンだって日陰にしか生えてなどいない。言うなれば、ほとんど砂漠だ。
「て、おい……あれ見ろよ」
ジークフリートが上を指さした。上には雲一つない青空と、容赦なく照り付ける太陽があるだけなのだが、そこに雲ではない影が生れたのだ。それも一つではない。複数だ。
「な、んだ?」
見たことのない形の影が、どんどん近づいてきて、それがどんな形をしているのかはっきりと認しくできた時、慎二とジークフリートは、押し黙って顔を見合わせた。そうしてそのまま息を殺して成り行きを見守った。
なぜなら、山頂に次から次へとドラゴンが舞い降りてきたからだ。
確かに話には聞いていたが、こんなにもたくさんのドラゴンが一度に集まるなんて思ってもいなかったのだ。せいぜい卵を産むタイミングでメスのドラゴンが4,5匹程度だろうと考えていたのだ。
「やべえ数が集まってきたぞ」
ジークフリートが小声で言ってきたけれど、ドラゴンの羽ばたきで普通に話しても小声にしか聞こえない。
「どうする?いまさら逃げられないだろ」
慎二がそう返事をすると、ジークフリートは黙って頷いた。
『ヒトか?』
岩陰に隠れていた慎二とジークフリートの頭上から人ならざる声がした。驚いて見上げれば、巨大なドラゴンが二人を見つめていた。だが、その目には敵意など感じられなかった。ただ純粋にこんなところにいるヒトが珍しい。そんな感じだった。
『ヒトの体でここの水浴びはきついぞ?われの羽の下にいるといい』
そんなことを言って、ドラゴンは大きな羽を広げた。慎二とジークフリートはその羽の陰にすっぽりと隠された。回りを見れば、どのドラゴンも羽を大きく広げているのが見える。
「水浴び?こんなところで?」
慎二が疑問を口にしたけれど、ドラゴンには聞こえなかったようで返事はない。もちろん、ジークフリートも黙っている。
『来るぞー』
遠くのドラゴンが吠えるように告げた。それをきいてドラゴンたちが歓喜の声を上げたのだけれど、慎二の耳には咆哮にしか聞こえない。隣のジークフリートは両手で自分の耳を塞いでいる始末だ。
「何が来るって?」
慎二がきょろきょろと辺りを見渡すと、中央付近の地面から勢いよく何かが噴出してきたのが見えた。そしてそれは高く上がり、あたり一面に降り注いできた。
ドドドドドドドドド
地鳴りのような音は慎二の頭上から聞こえてきた。それもそのはず、広げられたドラゴンの羽に降り注ぐ何かが連続して当たっているからだ。
『素晴らしい。力がみなぎる』
ドラゴンたちは喜んでいるようで、あちこちから咆哮にしか聞こえない歓喜の声が響き渡った。
恐ろしい勢いで降り注いでいたが、ようやく終わったらしく、ドラゴンたちは互いに鼻を突き合わせ挨拶を交わすと、次々に呼び立っていく。
『お前たち、頭を低くしていなさい。飛ばされるぞ』
「いや、言うの遅いから」
すでに風を受けて慎二はドラゴンの足元に転がっていた。ジークフリートは慎二に覆いかぶさるようにして倒れている。改めて見てみれば、どのドラゴンも住宅街で見る二階建ての家ほどの体をしていた。そこに長い首があって大きな頭があり、学校のプールぐらい広い羽があるのだ。そんな羽で羽ばたかれたら、台風並みの風速である。慎二は必死でドラゴンの足に掴まったのだった。
「なんだこの匂い」
ドラゴンたちが飛び去った後、ジークフリートが鼻をつまんだ。
『これは我らドラゴンの長寿の秘密だ』
おかしな匂いがする液体をドラゴンたちは水浴びと言って全身に浴びているわけだ。たしかにあんな勢いで降り注いで来たら、一粒の勢いがとんでもなくありそうで慎二の体は相当なダメージを食らっていただろう。
『ふむ。お前はこの地下に潜っていった子どもに似ているな』
足元に転がる慎二を見てドラゴンが言った。
「俺に似た子ども?」
慎二はふと考えたが、すぐにその人物が誰だかわかった。もちろんジークフリートも、だ。
『その子どもを探しに来たのではないのか?』
「もちろんそうだ。そいつの名前は光輝って言うんだ」
『そうであったか。黒き子どもは名を光輝というのか。よし、覚えたぞ。礼と言っては何だが、下まで送ってやろう』
「え?いいのか?助かる」
上ってきた道中を考えるととてもありがたい申し出だったのだが、慎二はすっかり忘れていたのだ。このドラゴンの前足がとても小さいことを。
『心配するな。すぐにつく』
大きな口にくわえられ、ドラゴンが念話で話していたことを知った慎二なのであった。もちろん、登ってきたときの苦労が嘘のようにあっという間にふもとまで降り立ち、慎二の礼など聞かずにドラゴンは飛び去って行ったのだった。もちろん、慎二とジークフリートは再び地面に転がったのは言うまでもない。