第2話 はじめのこと
「訓練なんてしないよ」
翌日、聖女の指示でやってきた魔道士に少年はすげなく答えた。
「光輝」
不貞腐れたように背中を向ける少年の名前を呼ぶのは勇者だった。
「僕はやらないよ。そんなの必要ないからね」
膝を抱えて座り込み、全身で拒絶を表している。
傍らには勇者がいるのだが、時折少年の頭を撫でるだけで説得には加勢してはくれなかった。
ただ、いつの間にかに少年の名前は聞き出してはいたらしい。召喚された少年の名前は『新井あらい 光輝こうき』日本で高校生だった。
「光輝、ごめんね、嫌だよね」
勇者は光輝の頭を撫でで、ひたすら優しくする。光輝は頭を撫でる勇者を見るが、訓練を勧めてくる魔道士のことは決して見ない。
「アレク、どういうつもりだ」
自分を無視する行為に腹を立てた魔道士は、勇者の肩を掴んだ。
「どうもこうもない。光輝はやりたくないんだ。無理強いをしても意味が無い」
勇者は自分の肩を掴む魔道士の手を払った。
「何を言っている。訓練をして、魔王討伐に行かなくてはならないのだぞ」
魔道士は凄むが、勇者はそれを軽く聞き流す。
「本人にやる気がないんだ。やれと言われてやるようなら、昨日のうちに訓練が出来ただろう」
「お前が一晩かけて説得したのではないのか」
「説得?俺が?」
勇者は軽く魔道士を睨みつけた。
なぜ勇者がそちら側であるかのように思っているのか。勘違いも甚だしいとしか思えない。
「アレク、お前は勇者なんだぞ」
魔道士はそう叫ぶが、勇者はそんなことを気にもしない。
「だからなんだ?俺が好きで勇者になったとでも?誇りに思っているとでも?」
勇者はそう言って魔道士を睨みつけた。
まさかの味方の裏切りに、魔道士は後ずさる。
「アレク、お前…勇者でありながら聖女様を裏切るというのかか」
「裏切る?聖女を?……はっ、何をバカのことを言っているんだ?」
勇者は立ち上がって、魔道士と真っ直ぐに対面した。
「いつ俺が聖女の言うことを聞くと言った?人を勝手に呼びつけて、勇者にして、使命を押し付けて、従うと思っていたのか?」
「アレク、お前!」
「今更なんだが、バカなのか?素直に従うとでも?するわけないだろう?なぜ俺がやらなきゃいけないんだ!」
勇者が思いのほか大きな声を出したので、ベッドの縁に座っていた光輝は、驚いて肩をふるわせた。
「ああ、ごめんね。怖かったね」
勇者は慌てて光輝の傍に行く。そうして優しく抱きしめた。
「帰れよ。時間の無駄だ。光輝は魔術の訓練なんかしない」
勇者が、睨みつけそう言うと、魔道士は渋々部屋を出ていった。
「どうして?」
抱きしめられたまま、光輝は勇者に問いかける。光輝から見たら、勇者だってこちらの世界の人だ。それに、勇者と呼ばれるからには、魔王を倒すのが使命なのではないのだろうか。
「昨夜も少しはなしたとおもうけど」
勇者は抱きしめたまま、光輝の頭を優しく撫でる。
「うん、聞いてる。転生者だって」
「そう、それをもう少し」
そう言って、勇者は一旦光輝から離れた。
扉まで行くと、鍵をかけ、何かを施す。
「念のため結界を張った。まぁ、聖女には破られるかもしれないけれど」
そう言いながら、軽く笑って、勇者は光輝の隣に座った。
「ご飯は食べた?」
光輝は、頭を左右に振る。
「そうか、じゃあこれを」
勇者はそう言って腰に付けたポーチから何かを取りだした。
「俺が握ったんだ。塩味しかないけど。あと、干し肉」
ベッドの上にそっと置かれた。
光輝はそれを見て、ただ驚くしか無かった。本当にゲームの世界のような魔法のアイテムが存在するのだ。そして、それはやっぱり勇者が持っている。
「……食べても、いいの?」
「食べてよ。光輝のために作ってきたんだ」
光輝は小さく手を合わせて、おにぎりを口に頬張った。塩味の米の味。昨日から何も食べていない。この世界の食べ物はなんだか不思議で、口にする気になれなかった。唯一同じなのは水ぐらいで、それでも飲む前に躊躇した。
「光輝、お前には魔力があるから、口にする前に軽く手をかざすといい。そうすれば毒の有無が分かるはずだ」
「毒?」
「ああ、聖女が何もしてくるか分からないからな。聖女はプライドが高い。自分が召喚したのに言うことを聞かないなんて許せないだろう。だから、光輝を何とかするために、何をしてくるか分からない」
おにぎりよりも、干し肉を噛むのに光輝はかなり苦戦していた。現代っ子である光輝は、噛むことがだいぶ苦手だ。
「ほら、水」
勇者は光輝に、コップを差し出した。
「手をかざしてご覧」
勇者に言われて光輝はコッブに手をかざす。何も感じない。
「この水は大丈夫。でも、これはどうかな?」
勇者はテーブルから焼き菓子のようなものを持ってきた。光輝は、それに手をかざしてみる。
「なんか、黒いモヤが見える」
「それは薬だ」
「薬?」
「毒なら紫。黒は体に良くない薬。眠らされたり痺れがきたり、そう言う体に害が出るタイプの薬」
「入ってるの?」
「そうだね。入ってる」
勇者は焼き菓子のようなものを、手のひらにのせた。
「しびれ薬の類かな?」
「わかるの?」
「慣れれば。俺も色々されたから」
勇者はそう言って、焼き菓子のようなものを元に戻した。
「色々、された?」
光輝は訝しんだ。勇者が、色々されるとはどういうことなんだろう。
「じゃあ、俺の話をしよう」
勇者がベッドの縁に座る。そうして、光輝と向き合った。
「長い?」
「少し、長くなる」
「うん、わかった」
光輝は頷いて、勇者を見た。
「昨夜話したけど、俺は転生者なんだ」
勇者が話し始めた。それは昨夜聞かされたことだ。転生者なんて、まるでラノベのようだ。
「俺も前世は高校生だった。高二だったよ」
「僕と同じ」
「そうか、光輝も、高二なんだ」
「でも、死んだんでしょ?」
「そう、死んだよ。交通事故で」
そう言って、勇者は少し寂しそうな目をした。
「やっぱり、死んだ時のこと覚えてるの?」
申し訳ないなとは思いつつも、光輝は聞いた。死んだ時のことなんて、覚えていていいことなんてない。まして、交通事故なんて、普通なら忘れたいだろう。
「覚えてる。と、言うより…思い出さされた?」
「なに、それ?どういうこと?」
光輝は勇者が話すことが上手く理解できなかった。
ラノベとかでよく読んだのは、なにかのきっかけで記憶が蘇る。とか、そんな展開だ。
「あー、うん。生まれた時は前世の記憶なんてなかったんだ。だけど、強制的に思い出さされた?」
勇者も、なんと説明したらいいのか、よく分からないらしい。
「だから、その…少し長い俺の話を聞いて欲しい」
光輝は黙って首を縦に振った。