第21話 私の思い通りの世界
「描けた」
ミリアは床に召喚の魔法陣を描きあげた。飲まず食わずで描き続けたけれど、不思議と疲れはなく高揚感に溢れていた。ランナーズハイみたいな状態なのかもしれない。なんにしても、教皇から渡された指輪の力は凄かった。ミリアの体内からではなく、紛れもなく指輪から魔力が溢れ出し、その魔力がミリアの持つチョークのような道具に乗るのだ。しかも、複雑な模様であるはずの魔法時であったが、見ないで描けたのだ。ミリアが心の中で召喚の魔法陣を描きたい。と、願い続けていただけでスラスラとかけてしまったのだ。
「素晴らしい。さすがは聖女様です」
傍らでずっとミリアを見守っていた神官がミリアを労ってくれた。
「聖女よ、祈りを」
教皇に言われ、ミリアは祈りの姿勢をとった。だが、何を祈ればいいのか分からないから、何となく頭の中に思い浮かべたのはラノベで出てくるような勇者だ。学校帰りの高校生。足元が光って魔法陣が現れて、異世界に召還される。元の世界ではイケメンで優等生、責任感が強くて生徒会に所属して、もはやミリアの頭の中に思い描いたのはラノベの勇者ではなく乙女ゲームの攻略対象のようになってしまった。
それがいけなかったのか、それともそれが良かったのか、程なくして魔法陣が光を帯びた。ミリアの書いた文字が白く光り、それが徐々に強く発光する。まさにミリアが前世で読んだラノベで書かれていたような現象が起きた。
「おお、成功したのか?」
椅子に座り様子を眺めていた教皇が声を上げた。この場にいる誰も見たこともやったことも無い召喚の魔法陣である。やり方は書物に書かれてはいたが、なにがどうなると成功なのかまでは書かれてはいなかった。だから、魔力を込めて描かれた魔法陣が光、その中に人影が見えたから、おそらく成功なのだと判断したのだ。問題は、誰が召喚されたのか。だ。
魔法陣のそばで祈りを捧げていたことになるミリアは、眩しすぎる光に驚いて目を閉じて閉まっていたが、魔法陣の中に誰かの姿が現れ影ができたためうっすらと目を開けて様子を伺っていた。
(誰かいる。成功したの?でも、イケメンじゃなかったらどうしよう)
祈りを捧げたのはミリアだから、ミリアにとっての勇者が現れなくては困るのだ。クラスでカースト最下位の陰キャオタクとか、ブラック企業に務めるオッサンとかはお呼びではないのだ。とにかく、ミリアの理想とする勇者でなくては失敗なのだ。
光が徐々に収まっていく中、ミリアは夢中で魔法陣の中にいる人物を確認した。足元から見ていくと、靴はスニーカーだった。革製のローファーではない。その上に見えるのは黒いズボン、折り目がしっかりと入っている。次に見えたのは上着の裾、ポケットにややかぶる長さから察して、ミリアは歓喜した。
(学ラン?中学生だったらどうしよう)
ミリアの頭の中では、一瞬で気分が乱高下した。制服を着ていると思ったのもつかの間、学ランの高校は数が少ない。靴もスニーカーだから、中学生の可能性がある。しかし、胸に名札はなく、髪型は坊主ではなく短目のスッキリとした髪型だった。染めたりはしておらず、綺麗な黒髪だ。アリがちな形の学生鞄を左手に持っていて、肩からはスポーツバッグのようなものもかけている。
「は?何これ」
聞こえた声は高すぎず低すぎず、変声期を終えたばかりの少年と青年の狭間のような声。スッキリとした一重の切れ長の目がミリアを見ているのに気がついて、ミリアは慌てて立ち上がった。
「初めまして勇者様。ようこそいらっしゃいました」
淑女の礼をして頭を下げる。三つ数えてゆっくりと顔を上げれば、驚いた顔をした勇者と目が合った。
「わたくし、聖女ミリアと申します。勇者様のお名前をお聞かせください」
こういう時は先手必勝である。相手が状況を把握する前にこちらのペースに持っていけばいいのだ。
「え?何言ってんの?意味分かんねー」
案の定魔法陣によって召喚された勇者は軽いパニックを起こしていた。きっと、いきなり足元が光って眩しさに目を閉じて、再び目を開けたら目の前に聖女と名乗る女が立っていた。という流れだろう。しかも名前を聞かれてだいぶ焦っているのがよく分かる。
「勇者様、お名前を教えては頂けませんか?」
改めてゆっくりとした口調でミリアは訊ねた。どこからどう見ても日本人で、衿元の校章から高校生だということが分かった。前世日本人だった頃の記憶でミリアは社会人だったと思うから、高校生はだいぶ年下だ。けれど、今のミリアはこの世界における唯一の聖女であり、年齢も一応まだ十代だ。日本人から見ると欧米人は年上に見えるらしいから、もしかするとミリアのことをだいぶ年上だと思われているかもしれないが、それは後で何とかすればいい。とにかく今は召喚した勇者の気持ちをミリアに向けることが大切だ。
「え?名前?2年5組の田中だけど」
いかにも日本人らしく苗字を名乗ってきたので、ミリアは相手が真面目な高校生だと、判断した。普段から学校でそんなふうに名乗っているのだろう。
「に、ねん?ごーみのタナカ、さま?」
はっきり聞き取れていたけれど、あえて聞こえなかったフリをしてみる。ミリアにはわかったことだけど、おそらくこの場にいる他の人たちには何を言っているのかさっぱり聞き取れなかったことだろう。
「あ、ああ、クラスを言っても意味無いか」
時分の間違いに気がついたのか、タナカは考える仕草をした。この状況を把握しようとしているのだろう。ミリアを見てからゆっくりとその周辺に視線が動いていくのが分かる。椅子に座る教皇を確認して、その回りにいる人たちを観察しているようだ。何かに気がついて眉間にシワを寄せている。周りにいる騎士たちに気がついたのだろう。彼等は皆腰に帯剣をしているから、それが本物がどうか考えているようだ。そうしてもう一度ミリアをゆっくりと見た。それこそ頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと確認をしてそれからタナカは口を開いた。
「俺はタナカです」
何かを察したのか、下の名前を名乗るのをやめたようだ。ミリアが聖女ミリアと名乗ったからなのか、田中はタナカと名乗ることにしたらしい。随分と警戒されているとミリアは思ったのだが、そもそも日本人の名前を知っているのはミリアだけなので、タナカがそう名乗っても誰も不思議には思わないのだ。
「タナカ様ですね」
「はい。2年5組の田中なので、タナカと呼んでください」
最初に名乗った事をそのまま使用して、あえてタナカと呼ばせようとしている辺り、警戒されている。
「勇者ってなにかな?」
柔らかな笑みを浮かべてタナカがミリアに聞いてきた。目の前にはミリアしかおらず、最初からミリアがタナカを勇者と呼んできたからだ。
(なんか、ゲームっぽいんだけど、大掛かりな仕掛けにも見えなくはないんだよな。この女映画女優みたいな顔してるし)
タナカはとりあえずカバンを持ったまま警戒を怠らなかった。いきなり切りつけてくる事は無いだろうけれど、勇者なんて呼ばれていい事なんかあるはずがない。と思ったからだ。タナカが知っているゲームだと、勇者になった主人公は大抵一人で過酷な旅にでて、レベル上げをして魔王を倒すのだ。一人で戦って自分で回復もして、だいぶ大変なRPGではあるが、だからこそやり込んで面白い。だが、それを現実にしたいなんて思うだろうか?気分転換にするからゲームは面白いのであって、自身でするなんて冗談ではない話である。
「それについては私から説明をしよう」
椅子に座っていた教皇が口を開き、別室で話をきくこととなった。