第19話 時を遡ろう
先代勇者たちの推測通り、聖女は転生者だった。そのことに気が付いたのは洗礼の儀の時だった。頭の中に突然色々なことが急に流れ込んできたからだ。ここは乙女ゲームの世界で、自分は主人公キャラのライバル的存在のキャラだ。昨今はやりの悪役令嬢ではなく、あくまでもライバル。神の声を世界に届けるただ一人の存在、聖女となるべく修行をして、時に恋をする乙女ゲームだ。出始めの乙女ゲームであったから、恋愛シミュレーションゲームとして一応は販売され、修行の手助けをしてくれる各国の王子さまや護衛騎士、それから神官なんかには豪華声優陣があてがわれていた。だから、どのキャラを攻略するかによって誕生日を変えたりしたものだった。
聖女になれるのは一人だけで、選ばれなければ神殿の巫女になるか、攻略キャラと結婚するか、そんなぬるいエンディングのゲームだった。だから、破滅エンドがないという安心感からか、ミリアは好きなように攻略していくことにしたのだ。そもそも、主人公は平民から選ばれた聖女候補であったが、ライバルキャラであるミリアは違った。ミリアは王女として生まれ育ったサラブレッドだったのだ。初めから主人公より高いステータスがあり、適当に修行をしても主人公に勝ててしまう。主人公がまじめに修行をしても、ステータスでは全くかなわないチートキャラなのだ。なぜなら、ここは乙女ゲームの世界だから、主人公は聖女を目指すのではなく、修行中に恋に落ちる設定なのだ。そんな主人公が聖女に選ばれるためには、全ての攻略キャラの好感度を一定数まで上げて、その数値をエンディングまで維持しなくてはならないということだけだった。要するに、主人公は満遍なく修行さえしていれば好感度によって聖女に選ばれるシステムだったのだ。だからこそ、修行を続けながら攻略対象のキャラと結ばれるのが難しかった。なぜなら、特定のキャラだけの好感度を上げすぎてしまうと、他のキャラから疎まれ、聖女にふさわしくない。として追い出されてしまうからだ。つまり、これがバットエンディングであり、これ以外のバッドエンドは存在しなかった。
あくまでも主人公にとってであり、ライバルであるミリアにはバットエンドなんて存在はなかったのである。聖女になれなければ、攻略対象の王子の誰かと結婚するだけだからだ。そもそも王女であるから、聖女になることが目標ではなく、神殿での修業は花嫁修業のようなものだったのだ。
そんなわけでミリアはたいして本気で修行なんかしなかった。本気で修行に励む主人公に感心しつつ、どの攻略対象者と恋の遊びをしようかと、日々お気楽に過ごしていた。もちろん、修行は一国の王女として恥ずかしくない程度にはやっていた。そのせいなのかどうかは知らないが、ミリアは聖女になってしまった。
「わたくしが、聖女」
オリーブの冠を頭に乗せられて、ミリアは頬を赤らめた。もちろん喜びはあったものの、これでは自由に過ごすことができなくなってしまう。神殿に住み、神の声を聞き続けるなんて、あまりにも退屈で刺激のない生活である。だからミリアは妙案を思いついたのだ。聖女として世界各国を渡り歩くことを。つまりは外交だ。もとは一国の王女であるのだから、籠の鳥のような不自由な生活なんてできるわけがない。好きなものを食べ、好きな服を着て自由に生活をしたい。そう思ってしまうことの何がいけないというのだろうか。ミリアは日本人でいたころの名前などは忘れてしまったけれど、日本人として安全で快適な生活をしていたことはしっかりと覚えていた。その生活は、はっきり言って王女の生活と比べても、はるかに快適だったと言ってもいいだろう。
「何から改善していこうかしら」
いわゆる知識チートをしようと考えていたミリアの前に、ライバルであった主人公がやってきた。すでに巫女の服装で、ミリアを見るなり跪いてきた。
「聖女様、どうか私の我儘を受け入れてください」
いきなりそんなことを言われ、ミリアは慌てた。考え事をしながら歩いていたとはいえ、ここは神殿の内部だ。回りには神官や巫女たちが大勢いるのだ。
「何かしら?」
できるだけ尊大にならないように、ミリアは軽く小首をかしげ、主人公の話を聞くことにした。
「聖女となられましたミリア様と共に修行をした日々を、生涯私の宝物として記憶することをお許しください」
目の前で跪かれ、祈りを捧げるような体勢で願い請われる。自分を見つめる真っ直ぐな瞳は実に純粋で真っ直ぐだった。そして、ミリアはその瞳を見た瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。神殿風に言えば神に召されたような、そんな感じだ。全身を貫くなんとも言えない甘美なる衝撃。無垢で純粋な存在であればそうだと思うことだろう。だがしかし、ミリアには日本人であった頃の記憶があった。名前や詳しいことは思い出せないが、そこそこ大人であり、それなりの経験をしてきた記憶がある。だからこそ分かる。この衝撃はエクスタシーだ。全身を駆け巡る高揚感と痺れ、無垢な乙女なら、神に使える神官なら知らぬ存ぜぬと思うだろうけれど、しかしながらミリアは知っていた。記憶にあるのだ。この体が知っているのでは無い。記憶として持っているのだ。なんとも表現しがたい高揚感が下原の辺りから湧き上がってきた。
はしたなくも天にも召され(イきそう)そうになったミリアであったが、そこは今世は王女として生まれ、聖女になるべく修行をした身、愉悦の笑みをグッとこらえ、跪いている主人公にはそっと寄り添う。
「もちろんです。わたくしこそ、あなたと共に修行した日々を忘れずに精進致しますわ」
ニッコリと微笑めば、主人公の頬がさらに赤みをました。