第10話 勇者の作り方8
光輝の訓練を慎二が面倒見ていることで、表向き聖女からは何も言われなかった。ただ、クレシスからはかなり睨まれているのがハッキリと分かった。
それでも、光輝が魔法を使えるようになったことは、国王に報告させられた。ダンジョンに潜りに行っているから、それなりに見られていることは分かっていた。
光輝は優しすぎるせいか、未だに魔物を倒してなどいなかった。
「討伐?」
国王の前で、慎二は不躾にも聞き返した。もう面倒なので、アレクのフリをやめていた。だから、国王から魔物を討伐してくるよう命じられて、思わず怪訝な顔をした。
「ダンジョンでもないのに、魔物が発生するようになった森がある。このままでは街道が使えなくなるので、勇者殿にお願いしたいのですよ」
宰相が最もらしく言ってくれば、断ることも出来ない。未だに具体的な逃げ道を見いだせていなければ、従うしかないのだ。
「分かりました」
慎二が返事をすると、直ぐに宰相か、口を開いた。
「では、今すぐにジークフリートと共に行っきてくれ」
「え?なんの支度もしていない」
慎二が抗議を口にすると、
「勇者アレク殿は鎧を身にまとい、剣もお持ちではないですか。移動用の馬は既に城の外によういしてございますよ」
宰相はそう言って、慎二を連れ出そうとする。
下手に抵抗できない慎二は、強引に馬に乗せられてしまった。馬の乗り方なんて習ってなどいない。
「いい馬ですから、乗り心地はよろしいかと思いますよ」
そう言われたところで、慎二は手綱の操り方さえ知らない。手綱を握りしめて困惑していると、馬に乗ったジークフリートがやってきた。
「行くぞ」
短く言われて、ジークフリートの方を見れば、馬が勝手に歩き出した。慎二の馬は、分かっているのかジークフリートの馬の動きに合わせて進む。
「アレク、さっさと片付けちまおうぜ」
「え、あ、ああ」
ジークフリートは慎二にそう言うと、馬を走らせた。慎二の馬もジークフリートの馬に合わせて走り出す。
「聖女の罠か?」
慎二が聞く。
「おそらく、お前たちを引き離すのが目的だろう」
ジークフリートは苦い顔をした。
「なぜ?光輝は俺が訓練しているじゃないか」
「もしかすると、聖女は魔力が目的かもしれない」
「魔力?」
「言ったろ、お前たちの模様は吸収だって」
「じゃあ、なにか?聖女は光輝の魔力を吸収するつもりなのか?」
「わからん。けれど聖女が大量の魔力を欲しがっているのは事実だ」
「あの姿を保つために?」
「ああ、それは間違いないな」
この国の貴族たちは知っているのだ。聖女は一度たりとも世代交代をしていない。聖女は再生を繰り返している。
「それに、お前が魔物を倒せば、そいつらの魔力が聖女の所に放出されるからな」
「気味が悪いな。魔力が欲しいなんて、まるで……」
慎二はそこまで言っておきながら、それ以上声に出せなかった。
「言うなよ、それだけは」
ジークフリートが真面目な顔をする。
面倒なことだけど、勇者としての仕事をこなすことにした。
───────
城の一室で、光輝は落ち着かないでいた。慎二だけが呼ばれて、光輝はサロンで待たされている。しかも、誰もいない。慎二に教えてもらった結界を張ってみたけれど、慎二の作り出すそれとは違い随分と薄っぺら仕上がりだった。
だからだろうか、クレシスがあっさりと破壊した。
「え、なに」
結界を破壊された衝撃で、光輝は思わず腰を浮かせる。驚いて扉を見れば、そこには険しい顔をしたクレシスが立っていて、その後ろから聖女が入ってきた。
「ごきげんよう、魔道士様」
聖女は、そう言って光輝のことをじっくりと眺めた。
「こ、こんにちは」
座ったまま、光輝は後ずさりをしていた。なんだか分からないけれど、光輝は聖女が怖かった。光輝のからだのなかのなにかが、聖女に、反発をしているのだ。
「今日は、魔道士様に、精のつくお食事を用意しましたのよ」
聖女がそう言うと、侍従がワゴンを押して現れた。
ワゴンの上にはカゴに入ったうさぎがいた。
けれど、光輝の知っているうさぎとは違って、前歯が恐ろしく大きい。体に対して、後ろ足もやたらと大きかった。
「これは魔物です」
聖女はそう言って、カゴからうさぎを取りだした。くびのあたりを掴まれて、うさぎは体を伸ばした状態で大人しくなっている。
そんなうさぎを見て、光輝は魔物だと言われればそうかもしれないけれど、ふわふわモコモコしていて可愛らしく見えた。
光輝が黙って見つめていると、聖女の持つうさぎの首に侍従がナイフを突き立てた。
ギッ、ギーーーー
うさぎが低く唸るように鳴いた。
白い毛皮の首から、赤い血が吹き出すように流れ出る。それを侍従はグラスで受け止める。
「この魔物の血は、とても栄養があるのですよ」
まだピクピクと痙攣するように動くうさぎは、聖女の手に掴まれたままだ。そうして流れ出た血を集めたグラスは、侍従の手から光輝の手に渡された。
拒否が出来ないまままだ温かい液体の入ったグラスを握りしめ、光輝は目を見開いたまま動けない。
グラスに注いだ残りは、鍋の中に流れていく。うさぎはまだ死んでいないのか、後ろ足が空を蹴っていた。
「お肉は柔らかくてとても美味しいのです」
侍従が聖女の手にぶら下がるうさぎを、そのまま切り裂く。突き立てていたナイフが、くるりと動くと、白い毛皮が剥がされていった。
ピンク色の肉、白い脂、聖女の手にあったうさぎは、姿を変えていく。侍従がキレイに剥いて、赤い液体で満たされた鍋に、魔法で火をかけた。
赤い液体が沸騰する中に、姿の変わったうさぎが切り刻まれて放り込まれていく。
光輝はそれを瞬きもしないでただ見ていた。
「あら、お飲みにならないの?」
聖女が光輝の間近に来ていた。
光輝が握りしめたままのグラスを、聖女が手にする。
そうして、グラスの中の温かい赤い液体を口にして、喉を鳴らした。光輝はそれをただ見つめる。
赤い液体で唇が濡れた聖女が、光輝の方を向き、ゆっくりと、唇を重ねてきた。
光輝は目を見開いたままただ見ていた。
そうして、口の中に広がる温かい赤い液体。
味は───!
耳を劈くような悲鳴を上げて、光輝かソファーから転がり落ちた。
何もかも、光輝には、受け入れられない。
聖女が光輝の手から手袋を外す。そこには模様があった。聖女はそれを見て嬉しそうに微笑むけれど、その赤すぎる唇を見て、光輝は顔色を失わせる。
そうして、自分の手で自分の唇を拭えば、赤い色がついた。
その色を見て、光輝の体が小刻みに震える。
部屋の中に、赤い液体の匂いが充満してきた。それを感じて、光輝の目が怯えた。
「美味しく仕上がったようです」
何も無かったかのように、聖女は立ち上がり、グラスを片手に鍋の中身を確認する。
「さぁ、魔道士様」
煮えたぎる赤い液体を、皿に取り分けて、侍従が光輝の前に差し出してきた。皿の中には赤黒い物体が浮かんでいた。
知識として知ってはいても、光輝は現代日本からの転移者だ。スーパーで白いトレイにのせられたものしか見たことがなければ、この匂いと映像はどうにも受け入れ難い。
まだ、口の中にはあの味が残っていた。
匂いが否応なしに光輝の鼻に流れてくる。
あのうさぎは、ダンジョンに行く途中の森でよく見かけた。けれど慎二はいつも「かわいいな」と言って眺めるだけだった。
だから、目の前で姿が変わっていくのが信じられなかった。分かっていても、理解できるとは限らない。
部屋中に充満する匂いに耐えきれず、光輝は吐いた。
こんな匂いは知らない。
知りたくない。
「………っあ……あぁ」
吐いたものが赤い。
手についたものも赤い。
目の前が赤に染る。
光輝は周りの全てを拒絶した。