第1話 始まり
王宮の一室で、泣き声が響き渡っていた。
赤子ではない。子どもの泣き声だ。
「ひぃっく、 うっ、うっ」
大勢が見ているにもかかわらず、誰それ構わずただ泣き続けるその姿に、誰も手を差し伸べることが出来ないでいた。
「嫌だよ、嫌だぁ」
駄々っ子のように泣き叫び、誰の手も拒否してひたすら泣き続ける。
彼の周りを取り囲む大人たちは、どうすることも出来ずにただ黙って見ているしか無かった。
召喚の儀式が行われたのはつい先程。
勇者と共に魔王を倒すチカラを持った者を、異世界より召喚したのである。
儀式は成功だった。
魔王に匹敵するほどの魔力を持った少年が召喚されたのだ。儀式を行った術士たちは歓喜した。
それを見守る国王も、兵士たちも儀式の成功を喜んでいた。
それなのに、召喚された少年は勇者が声をかけると体を大きくビクつかせ、そして盛大に泣き出したのである。それは驚くほど大きな声であった。
「ごめん、その…話を聞いて欲しい」
勇者がそっと少年の肩に手をかけた。
途端、少年はキツい目で勇者を睨んだ。
「話なんて聞かないからね。こんなの単なる誘拐なんだから」
少年は勇者の手を払うと、両手をギュッと握りしめた。唇をキツく閉じて、拒絶するように両目も閉じる。だが、閉じたはずの両目からは、再び涙の雫がこぼれ落ちた。
少年があまりにも泣くので、仕方なく勇者が少年を抱き抱えて運んだ。
召喚した魔道士を住まわせるための部屋は、既に用意されていた。そこに少年を運び込む。
もう声は出さないけれど、少年はまだ涙を流していた。どうやっても、涙が止まる様子はなく、勇者はひたすらに少年の頭を撫でていた。
本当は、一緒に旅をする聖女や剣士もいたのだけれど、彼らは泣き喚く少年が煩わしくて勇者に押し付けてしまったのだ。
「ごめんね、泣かないで」
「無理っ」
少年は頭を撫でる勇者の手が煩わしいとは思うものの、払う気持ちはなくて、座らされたソファーの上で取り敢えず大人しくなった。
「泣いたから喉が渇いただろう?」
勇者は少年を安心させるため、コップの水を一口飲んでから勧めた。
「ありがとう」
少年はコップを受け取ると、水を美味しそうに飲んだ。本当に、泣き叫んだせいで喉が乾いていたのだ。
水を飲んで少し落ち着いた。
最初とは違う部屋に来ているのはわかっている。
「ここって、本当に異世界なんだね」
落ち着いて最初に言った言葉がこれだ。
最初の部屋からこの部屋に来るまで、とても長い廊下を通った。とても映画の撮影なんかで作られたセットとは思えなかった。窓から見える景色も、テレビやネットで見る外国の庭園とは違っていた。
作り物にしか見えない巨大な花が咲いていて、兵士が警護のために歩いている。兵士は鎧姿で、動きに合わせてガチャガチャと金属の擦れる音が聞こえていた。
抱き抱えられた体勢で、勇者にバレないように自分の掌をみれば、おかしな模様が刻まれていた。ゲームやラノベでみるような、所謂魔法陣にしか思えない。
指先で擦ってみたけれど、落ちる気配はなかった。
その掌を勇者に見せると、勇者は眉をひそめた。
「召喚されてもこの模様が付けられるのか」
そう言って、勇者は手袋を外して自分の手を見せてきた。
「あっ」
勇者の掌にも、同じ模様が刻まれていた。
───────
「全く、何なのかしら」
儀式の間から控えの間に移動して、猫足の豪奢なソファーに腰かけて、不満を口にしたのは召喚の儀式を行った聖女だった。
優雅な仕草でカップを手にして、お茶を口にする。片手でかきあげる豪奢な金髪は腰まであった。肌はきめ細かく象牙の様に滑らかだ。
向かいあわせのソファーに座るのは、儀式に立ち会った剣士で大分難しい顔をしていた。
「使い物になるんですか?あの少年」
「魔力はめちゃくちゃあったわよ。私の何万倍もね」
そう言って、聖女はカップを乱暴にソーサーにおいた。ガチャンという乱暴な音が聞こえたが、剣士は聞こえないふりをした。聖女が、そんな音をたてるわけがないのだ。
「魔力を使いこなせるように訓練をさせないと」
聖女がそう言うと、控えていた魔道士が動いた。
「では、明日からでも?」
「そうしてちょうだい。使い物にならないなんて、私の恥だわ」
「かしこまりました」
魔道士は恭しく頭を下げると、退出して行った。
聖女は自分に従順な者には寛大だ。だからこそ、
「勇者のくせに、私の言うことをきかないのも問題だわ」
「たしか、あれの手にも紋章がありましたね」
「そうよ、あれも呼び出されたのだもの。転生と言う形ではあるけれどね」
こともなげに聖女は言うけれど、異世界の者をこの世界に連れ込むのは至難の業である。高い魔力とそれに伴う神の力が必要で、それを行える聖女は大変な実力の持ち主であると言えるのだ。
だがしかし、と剣士は思う。この聖女、少々調子に乗りすぎでは無いだろうか?魔族を討伐するのに、勇者を転生させただけでなく、魔道士を召喚するだなんて、やり過ぎとしか思えない。そこまでして魔族を討伐したいのか。
「そんなにまで、異世界の者は力があると?」
「そうよ、それに…」
聖女が赤い唇を開いて言った。
「失敗しても死ぬのは私たちじゃないでしょう?」