西方からの来訪者
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__この『エンブリオ』と呼び慣わされている世界は途方もなく巨大な一匹の亀と、四頭の象の背中の上に乗っている一枚のプレートであり、その上に乗った半円型の大地である。
雨は象の噴水で、地震は亀が甲羅から出入りする際に起きる振動だ。
そして亀の下に、尾を咥える蛇がいる。
この蛇が全ての生命の死と再生を司り、管理している。
亀と蛇の周囲には神魚バハムートが泳ぎ回り、七の期間……即ち『年月と時間』を動かしている。
古い記録では『神の子』と称される者がこの魚に出会い、大きさを調べたところ、頭から尻尾の先にかけてを測り終わるのに昼と夜を七回繰り返したらしい。
天に遍く星々は天上に棲まう神々の館の窓から溢れる光で、昼は太陽神が、夜は月神がそれぞれこの世界に光をもたらしてくれている。
「____であるからして、我らが偉大なる王フィアロ・ウェスタム・キコナ様の御意向をお伝えすべく、馳せ参じた次第でございます……!」
目の前で薄くなった頭頂部をこちらに向けて跪く男性の長々とした口上が終わると同時に、
「遠方より遥々ご苦労であった。
して、アルマトラス皇女殿下。この者の労を労い、そのご尊顔を__ヲイ、アル! アルマトラス! いいかげん聞いてやれよ‼︎」
三段構えになった玉座への階段の、二段目にいるジールは吼えた。
先程からアルマトラスは、男性の話そっちのけで、共にベンチ型の玉座に腰掛ける私と極東固有の昔あそびのひとつ『お手玉あそび』に興じている。
「……いや、お前さ……仮にも余、お前の王やぞ? 自分のところの王様に怒鳴る臣下がどこにいンだよ、それも客人の目の前で……余は恥ずかしいよ、ホント」
言いつつ、彼女は私とのお手玉の投げ渡しを繰り返す。
「そう思ってンなら、少しはしっかりしろよ……!」
こめかみに浮いた血管を痙攣させながら、ジールは怒りを胃へと流し込んだ。
「で、殿下……ケホケホ! ここはジールの顔も立てなくては……ね?」
投げ渡しを中断して、私は言った。
「ふん! 海産物が詰まったタコワカメごときにまで、このような慈愛を見せる紅蘭ちゃんの聖母のような優しさと包容力に感謝して自爆しろ、ジール! 余が命ずる、余が許す! 今すぐ爆発してしまえこのやろー! この優しさに溺れて包み込まれて堕落して甘えてイチャイチャしていいのは余だけなんだよーっ!
……で、なんだって?」
ジールに対して罵詈雑言を捲し立てたあと、アルマトラスは目の前の男性にようやく声をかけた。
同時に、私も視線をそちらに向ける。
カタフニア大陸の西方、荒野とテクノロジーが進んだ大都市が広がる文明都市『ウェスタム』に住まう、『キコナ』と言う種族の使者だ。
頭頂部は狭く、鼻はほぼ平ら、目は膨張して常に開きっぱなし。鮫肌で表面には吹き出物が浮かび、首の両側は皺だらけでくびれている。
足は肥大し、猫背気味で頭は右か左に傾き、一方で目は内側を、もう一方の目は上を向いている。
「は……我が王より、親書を預かっております__お納め下さい」
と言って、男性は床を見つめたまま懐から一枚の封蝋された手紙を取り出す。
「お前のところの王って……男だっけ?」
「は……? え、ええ……我が王は男性ですが、それが如何なさいましたでしょうか?」
「ケホケホ__殿下……?」
不思議に思って首を傾げる私と男性とは裏腹に、居合わせた重臣たちは各々目線を逸らしながら小さく息を吸った。
まるで、次に発する言葉があらかじめわかっているかのように__
「__じゃあいらない!」
「な__⁉︎」
息を詰める男性の声と、
「なっ……なななな____ゲホッ、ゲホッゲホォ!」
驚いて大声を出したせいで咳き込む私と、
『はぁ……やっぱり……』
と嘆息する重臣たちの声が重なった。
「フッ__余は紅蘭ちゃんと美姫達以外から恋文は貰わない主義だ! あと余、お前んところの王嫌いなんだよねー……結婚する前に紅蘭ちゃんから貰った詠付きの恋文は、丁寧で雅で情熱的で仄かに色気を帯びた美女の良い匂いがして……__」
「なっ……ななな、何を仰られてるんですかっ⁉︎ そ、そそそ、それに! なにもこんなところで……ゲホッ、ゲホッゲホッ! し、臣下や客人もいるんですよ⁉︎」
恥じらいと咳込みで赤面しているのだろう。私は自分の顔が耳まで熱くなるのを感じた。
「な、な__何を……アルマトラス皇女殿下、貴女はご自分が何を仰られているのか、判っていらっしゃるのですかッ⁉︎ これは貴国の存亡に関わる重大な内容なのですぞ⁉︎」
驚きのあまり顔を上げた男性は、その顔を真っ赤にさせながら捲し立てた。
『…………!』
一瞬だけ、壁際に控える護衛たちが身じろぎした。
このような場所では許可がない限り、王の顔を直接見てはいけないことになっている。
しかしその護衛たちを、ジールは目で制した。
そこにいるは、全身を鈍色に輝く甲冑で覆ったケンタウロスの騎士たち。
人狼としての洗礼を受けている彼らは、夜である今はみな鼻先が先細った狼顔だ。
身につけるのは赤いチュニック、その上からロリカ・セグメンタタと呼ばれる板金鎧。頭には弾頭型のヘルム。
武器は腰に短剣、小剣、長剣。
手に斧槍と大盾を持っている。
左肩に掛けるジャケット風マント『ペリース』に、国と騎士団の紋章を刻んでいる。
「ア、アルマトラス皇女殿下! 貴殿は……貴殿ら異形の民にすら我らが王は慈愛と寛大なるお心遣いで歩み寄ろうと、御手を差し伸ばされたと言うのにッ! それを振り払い、あまつさえ唾を吐くと言うのか⁉︎ い、いや、そもそも貴殿は__」
「ヲイ、ジール」
「え?」
突然アルマトラスに呼ばれたジールは振り返った。
そのままひらひらと手招きし、彼を呼び寄せる。
「さっさとウェスタムに宣戦布告してこい。
あと、そこでガァガァ騒いでるの、もう要らないからドナドナだよ。
理由? コイツで良いじゃん。罪状は『余に説教垂れた罪』。
フッ__余は寛大だからな、このオッさんは無傷で帰してやろう!」
あとで朱里に教えてもらったのだが、ドナドナとはカタフニアの言葉で『(強制的に)送る』という意味だ。
「いや、お前ね、一応あのオッチャンの言い分くらい聞いてやれよ……」
腰に手を当てながら、ジールはため息を吐く。
「やだよ。誰が不細工なオッさんの声なんか……余の耳と目は紅蘭ちゃんや美姫を見て声を聞くためにあるんだ、あんなの見て聞いたら潰れるに決まってるだろ? 良いから、アイツ早くどうにかしてくれない?」
言いながらお尻で移動し、腕を広げたアルマトラスは私に擦り寄ってくる。
早くも習慣化してきているのだろう。
つい思わず、竜の巨大な翼が生えたその小さく薄い背中に腕を回して、胸元に抱き寄せてしまっていた。
「うむ、やはり紅蘭ちゃんは暖かくて柔らかい。まるで湯船か、干したてのオフトゥンのようだ」
「ケホケホ__ふふっ。殿下も暖かいですよ? まるで窓から射し込む陽だまりのよう……」
体温を感じたそれだけで、多幸感で、胸が熱くなる。
「どうにかったってお前……まぁ、不敬罪くらいには出来るが__あとお前ら、神聖な玉座でイチャつくんじゃねえッ‼︎」
困ったように頸の裏を掻いた後、ジールは虎のように吼える。
「聞いているのか! アルマトラス!」
使者の男性は、真っ赤を通り越してどす黒く染まった顔を歪ませながら叫んだ。
「あれ、お前まだいたの? もう帰って良いよ__ジール」
見向きもしないまま、まるで羽虫でも払うかのようにアルマトラスは手を振る。
「皇女殿下もこう言っている。速やかに帰られよ、客人。
そもそもこちらは面を上げよと許可した覚えはないんだ。手打ちにされなかっただけ儲けものだと思ってくれ」
__ぶちり、と。男性の中の何かが引きちぎれるような音がした。
「お……おのれ……闇に生きる醜く穢らわしい下等生物共めが‼︎
このエンブリオの汚物であり癌である地虫ごときが! 神の子たる我らをっ……私を侮辱するなァァァァ‼︎」
憎悪と殺意をたぎらせた使者は、彼ら固有のチカラにして魔法である『神通力』を展開し、弾丸を超える速度で飛びかかってくる。
「ふん__ん?」
「なっ⁉︎ 紅蘭姫⁉︎」
不機嫌そうな鼻息と、驚く声を背後に置き去りに、私は跳んだ。
一瞬で距離が詰まる。
その詰まる間合いをさらに詰め、
「せっ!」
背中から得物を抜く動作と同時に、流れるような動きで首筋に袈裟の一撃を繰り出した。
引き抜いた羽根を武器として変化させた棍だ。
「ぎ……あ!」
「はっ!」
悲鳴とも呻めきともつかぬ声をあげた使者を、勢いをそのままに棍に絡め取るように張り付けたまま横に回転し、遠心力を乗せて床へと叩きつける。
「ぐ、お……!」
「蒼炎」
呟くと同時に、
「ゴァア!」
顎が外れそうなくらい大きく口を開けて吠えた尻尾の黒龍が、蒼い火球を吐いた。
苦悶の表情を見せていた使者の顔面は、焼けた生竹が内側から破裂するような音を立てて爆ぜる。
それで終わりだった。
紅い絨毯に力なく四肢を投げ出した男性だったモノの首から上は、円形の真っ黒な焦げ跡が頭の代わりに描かれている。
「ケホケホ__殿下やこの国の民草を愚弄することは、何人たりとも許しませ……ゴホッ、ゴホゴホッ!」
急に動いたからだろう。あるいは立ち込める煙を吸ってしまったのか。
目の前にチカチカと星が飛ぶほど咳込み、腰から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちる。
「紅蘭姫! ヲイ、今すぐモラクスを呼んでこい! 朱里! 早く薬を!」
「だ、大丈夫で__ゲホッ、ゲホッゲホッ!」
猛烈に咳き込む私の頬に、小さい何かが触れる。
涙で滲んだ目を開けて見ると、それは正面で片膝を突いたアルマトラスの手だった。
触れている手を思わず、握る。
それだけで、幾らか落ち着いた気がした。
「飲むが良い、紅蘭ちゃん」
差し出された水薬を受け取り、口をつけて飲む。
「__これでもまだこの者を疑うか、ジール?」
__え?
飲み終え、落ち着いた私は、二人を交互に見た。
「こんな身体で、こんな状態になってまで余を護り、民草すら愛しんでくれる紅蘭ちゃんを、お前はまだ信用できないのか?」
「フン__生憎とソレが俺の仕事みたいなモンなんでね。今までアンタが選んでアンタに近づいてきたオンナはロクな奴がいなかったし、俺はもうこれ以上、幼馴染に痛い目に遭って欲しくないからな」
……どう言う、ことだろう……?
「で、殿下ッ‼︎」
切羽詰まった叫び声が背後から聞こえたのは、その時だった。
振り返ると、勢いよく開け放たれた鉄扉から、一人の兵士が転がり込んできていた。
「じょ……城下が……!」
「町がどうした?」
ジールの問いに、呼吸を整えた兵士は叫ぶ。
「ご報告させていただきます! 我が国は、多数の敵軍に囲まれております!」
『な__⁉︎』
驚く私やジールとは裏腹に、
「ふん、やはりな__!」
アルマトラスは、にやり、と不敵に笑った。
ご拝読ありがとうございました!
次回もお楽しみに!