毒
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私を乗せた人力車はのんびりと、なんとなく冬の夜の匂いを纏い始めた長大で広大な廊下を進む。
その度に目の前の小山__もとい。
前合わせになった長衣の上を脱いだ牛頭の広い背中が、のっしのっしと左右に揺れる。
「乗り心地は、いかがでございましょうか?」
その背中から、野太い声が発せられる。
「ご気分が悪くなりましたら、すぐに仰ってください」
肩越しに振り返りながら、牛頭は笑いかけてくる。見た目に反して、口調も物腰も柔らかい。
「コホコホ__ええ、ありがとう」
極限まで鍛え上げた荒縄のような太い筋肉の束が皮膚の下にある肉体は、赤茶色の短い毛で覆われている。
そして__仄かに香る、薬草や薬品の匂い……。
医者だ。
「……本日の探索はここまでと致しましょう、媛様。間もなくお薬とお夕食のお時間にございます」
人力車の隣を並んで歩きながら、取り出した懐中時計を確認した朱里が言った。
「ん、んっ……ケホケホ」
もう少し探索したかったのだが……なるほど。
先程から喉がイガっぽいのは、薬の効能が切れたからか。
いや、だがそれにしては何か__
「コホコホ……あら……?」
前方から、先程アルマトラスを連れて行った大臣がこちらに向かってくるのが見えた。
「ああ、これはこれは紅蘭様。お散歩ですか?」
左胸に右手を添えて、私に気づいた大臣は軽く頭を下げる。
「ええ……残念ながら今日はここまでですけど」
言いながら、私は大臣を改めて見やる。
端正な顔立ちの、まだ年若い青年だ。ひょっとすると、私とそう歳が変わらないのかもしれない。
軍刀を腰に吊った長身痩躯を黒い軍服に包み、墨のような色の髪はうねり、左目の下の鳥の三本足の刺青が彫られた切れ長の瞳の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。
「この城は無駄に広いですからね。どうぞごゆるりとご探索ください」
微妙に疲労感の見える顔で、大臣は笑う。
「はい__あの。殿下は……?」
私は少し警戒しながら言った。
__この男……目が笑っていない。こちらを完全に信用していない、ということだろう。
佇まいからもわかる。気怠げさを出しながらも飄々とした態度だが、立ち振る舞いが只者ではない。
かなりの手練れだ__それも、相当な……。
「あのトカゲは公務中です__なにか用事でしたら、俺……あ、いや。私がお伺いしましょうか?」
「いえ、用事というほどでは__ケホ……ケホっ! ゲホッ、ゲホッゲホッ!」
猛烈に咳き込むと同時に__
ぐわん、と世界が歪み、天地がひっくり返る。
「……ぁ__」
__この、感じ、は……!
脱力した私は、横に長い座面に倒れ込む。
「紅蘭様ッ!」
誰が叫んだのか。
応える代わりに、咄嗟に抑えた口から血の塊を吐いた。
__発作だ。それも、久しく来なかった特大の。
「ぅ……っ、は……ぁ……っ!」
胸が痛い。頭が痛い。耳鳴りが鳴り止まない。
苦しくて、気持ち悪い。
震えるほど寒いのに、脂汗が止め処なく噴き出るくらい熱い。
定まらない視界は回転し続け、狂ったように打ち続ける動悸に心臓が悲鳴をあげ、剣山で滅多刺しにされたかのような激痛で肺が身を縮ませたままのせいで、呼吸もマトモに出来ない。
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……っ」
喉をぜいぜい鳴らしながら必死で酸素のみを求める動けない私とは打って変わって、
「ギジャエァアァアァアアァアアッ‼︎」
あまりの苦痛に、尻尾の龍が異様な悲鳴をあげてのたうち回り、背中の二対の翼が痙攣して暴れ回る。
「ジャギャアァア、ジャ! ジャア! ギジィイィィイイィィィイイィィィ‼︎」
「……ぅ、ぐ……っ」
いつの間にか人力車から床に転げ落ちていた私は、無意識のうちに毛足の長い絨毯を握りしめていた。
「おい、モラクス! お前は羽根を! 俺は龍を押さえる! 朱里! その間に姫に薬を飲ませろッ!」
「おう!」
「紅蘭様! 紅蘭様! お薬でございます! 紅蘭様!」
大臣の指示の元、私は取り押さえられ、朱里に水薬を飲まされた。
しばらくすると視界と呼吸は楽になったが、未だに鈍痛と咳込みが治らない。
「おい、モラクス! どうなっている⁉︎」
暴れ回る龍を押さえながら、大臣は叫んだ。
「発作だ! すぐには治らん! 朱里! 医務室から鎮痛剤と今から言うものを持って来てくれ!」
周囲には抜け落ちたことで武具と化した羽根や鱗が、握って開いてを繰り返したことで生成されたブースト・ストーンと共に散らばっている。
__まるでレンオアムの王宮にいた頃の私の部屋のように__……
__ああ。
散らかしてしまった。
汚してしまった……!
「ごめ……っ、片づ……ゲホッ、ゲホゲホッ!」
「無理に喋らないで。大丈夫、落ち着いて。ゆっくり、大きく、呼吸できますか?」
このヒトが私の主治医なのだろう。
モラクスと呼ばれた牛頭の言葉の通り、私は深呼吸を繰り返す。
幾らか、楽になった。
程なくして朱里が手荷物を持って戻ってくる。
「紅蘭様、このような場所で申し訳ありませんが、少々お身体を診させて頂きます__触れることをお許しください」
手早く鎮痛剤を打ったモラクスは言った。
「ジール! 貴方はあっちを向いていなさい!」
へえへえ、と肩を竦めて、ジールと呼ばれた大臣はそっぽを向いた。
それを確認したモラクスが、血でべったり汚れたドレスの前を開く。
「うむ……やはり『呪』か……!」
恐らく私の左胸の一点を見て言ったのだろう。
普段は隠れているソレは、発作が起きると現れる。
左肩から左胸にかけて。左腕があった頃は左腕から左胸にかけて。
腕に絡まりながら胸の周りでとぐろを巻くように、薄らと燐光する巨大なムカデの紋様が浮かび上がっている。
妖魔大王の一族には、全員ある紋様だ。
これはつまり王族であると言う証であると同時に__
「処方箋を変えよう。解呪と解毒の薬剤も追加だ」
触診を続けながら、モラクスは言った。
「……おい、モラクス。呪われてるってことか、ソレは?」
「ただの呪いではありません。巫術のひとつ『蠱毒』ですよ、ジール。喰らえば即死する猛毒が籠められた大呪術です。
妖魔大王は、そうやって自身の一族に連なる、あるいは迎え入れた者を『飼う』のです__自身に逆らった者を、苦しめて殺すために。見せしめと、罰を込めて……!」
私の手を握る朱里は続ける。
「……紅蘭様は、あのケダモノに立ち向かわれたお強い御方。その能力故に唯一、生かされた方なのです」
__なんで、知っているんだろう?
でも、朱里が言うほど、私は強くない。
確かに私は歯向かった。あの男が私を求めたから。
血が繋がっていなくとも、娘であるはずの私をオンナとして欲してきたから。
ソレを拒絶した。
だから私は呪われた。
「ああ、だから“病弱姫”なのか」
「いいえ、違いますジール。媛様は生まれながらに繊細な御方なのです」
呪われるより以前から私の身体が脆弱で病弱なのは、生まれて間もない頃に受けた『蠱毒』の毒性が強すぎて、身体が耐えられなかったから。
逆らい、激昂した王によって蠱毒が発動した直後。
本来なら死ぬはずだった私は、先程の発作の時のように暴れのたうち回った。
その際、この廊下のように、辺り一面に武具と宝石が散らばって、それを見た妖魔大王が『道具』として生かすよう、臣下に命じた。
以後の10年間、私は兵器を造ることだけのために生かされ続け__……
「……は、ははさま……母様、どこ……? ……は、は……さま、ぁ……っ」
朦朧とした意識の中で過ぎったのは、あの男に頭から貪り食われる母様の姿だった。
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