プロローグ
新シリーズでございます!
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__嫁ぎ先が見つかった。
私__紅蘭=アンフィスバエナ=レンオアム・アンフィテールが、16歳になった年の事だった。
それは良いことなのだが、問題が二つある。
一つは、その嫁ぎ先の相手があの有名な女タラシだと言うことと、私自身についてだ。
まず、私について。
私こと紅蘭は、魔族領は『レンオアム』家、つまり極東を治める妖魔大王の娘だ。
……なんの権力も持たない、末席ではあるが。
そして私は、一言でいえば病弱である。超がつくほどの虚弱体質だ。
これでも左手を失う6歳までは、剣術と槍術では右に出る者がいないとまで言われていた。
だが__
左腕があったとしても、政も戦にも意見の通らない末席の女の身分な上に、生まれながらにフィジカルが最弱なため、長時間の活動も長期間の戦働きも出来ない武人としては『出来損ない』。
左腕を失ってからも、虚弱すぎる肉体のため、子をなすことができず、そのため16歳になっても未だに嫁ぎ相手もおらず、政略結婚の道具にすらならない『不良品』。
__そんな私に、ようやく嫁ぎ先が見つかった。
喜びよりも、驚きの方が大きかった。
風の噂程度ではあるが、『彼』が無類の女好きだとは聞いていた。
だが、ここまでだとは……つまり女ならなんでも良いという事か。
この分だと、一夜で二十人いっぺんに抱いた、という噂も、案外本当なのかも知れない……。
いくら乱世とは言え、何か女としての尊厳を蔑ろにされている気がして、素直に喜べない。
「ケホケホ」
発作は治ったとはいえ、それでも小さな咳は繰り返し出てくる。
未だに呼吸するたびに喉の奥でひゅうひゅう言ってるけど、取り敢えず落ち着いた。
「……すー、はー……はあ……」
一度大きく深呼吸をして、顔を上げる。
ベッド横のサイドテーブルに置かれた大量の処方箋袋が、目に入った。
王宮お抱えの一流魔法医が大王である父に命じられて作ったモノで、全て漢方の頓服薬だ。しかも粉薬。しかもニガイ。
喘息の症状が出ている人間に喉に詰まる粉を処方するあたり、本当に医者なのか疑いたくなる。
せめて何か粒か水薬にして欲しかった。
あとこの漢方、効きが悪過ぎる。
「ケホ……ケホっ!」
一袋でインゴット三つ分の価値はあるこの薬品は、娘に死んでほしくない一心で作らせた親心からくるもの……ではない。
死んでほしくない理由が他にあるからだ。
辛うじて、私にはまだ『利用価値』がある__ただそれだけ。
きっと嫁ぎ先のあの『男』も、私の『能力』が欲しいだけ。
でも、それでいい。
私の力でこの乱世が終わるのなら。
私は『道具』で構わない__
その後、現れた魔法医による回復魔法とヘタクソな注射と点滴を打たれ、嫁ぐまでに終わらせるよう父に命じられていた事をし終わった私は、気絶するように眠りについた__
「ゲホッ、ゲホッゲホォ!」
__自分の咳き込みで、ぱちり、と目を覚ます。
紅い月が昇る、真夜中である。
気がつくと、目の前に知らない豪奢な天蓋があって、巨大でふかふかのベッドで横になっていた。
「ケホケホ……え……?」
慌てて、私はベッドから上体を起こす。
魔法と薬が効いているのか、先程よりはだいぶ身体が軽かった。
とは言え咳込みによって傷ついた喉は痛いし、意識が微妙に霞がかっているし、船にでも乗っているかのように身体はふわふわするし、なんとなく身体の内側__内臓がまだ熱っぽい。
咳込みすぎて、視界もチカチカと星が飛んでいる。
「ケホ……ケホっ!」
それでもベッドから起きて歩けるくらいまでには回復したようだ。
ふらつきながら紅い闇に染まる室内を歩き、窓際に立って、うん、と伸びをすると、背中に生えた二対の羽が左右に拡がった。
「……ひどい顔……」
今にも死にそうな蒼白い顔が、鏡の様に反射した窓の中から私を見返していた。
左腕のない、女性にしては背の高い女だ。
頬こそコケてはいないものの、それでも袖口の広い長衣に包まれた細過ぎる身体はちょっと骨が浮いていて、うねる金髪に銀髪がメッシュのように混じっている。
普段は小さく折りたたんで体内に仕舞っているが、背中に生えた二対の羽は、大きな瞳の模様のフクロウとワシといった猛禽類の大翼で、その気になれば身体を包み込めるほど巨大。
尾骶骨から伸びた太く長い尻尾の先端は頸部を長く伸ばせる黒龍の頭になっている。
__コレが私。
紅蘭=アンフィスバエナ=レンオアム・アンフィテール……__
「失礼致します」
慎ましやかなノックのあとに、和装の侍女服を纏った一人の女性が入ってくる。
「お薬と氷枕の替えをお持ちいたしました」
言いながら侍女は、ベッド傍のサイドチェストに薬と氷枕が乗った銀盆を置く。
「コホコホ……あら……?」
思わず声を上げる。
知らない顔の女性だった。
華奢だが、均整の取れた体つき。
その身には、前合せになった和風の長衣の上から、白いエプロンドレスを着けている。
抹茶色の長衣の下には、裾がレース調になったアンダースカート、靴底部分が下駄のような二枚歯になったボタンアップブーツを履いている。
「お加減はいかがでしょうか、紅蘭様……?」
カップに白湯を入れながら、淡く笑みを浮かべる侍女は首を傾げる。
何より特徴的なのは、ホワイトプリムを着けた頭から伸びたアリやハチに似た二本の触覚が、ピコピコ、と動いている。
蟲人__大きな、直立した昆虫人間の総称。だが、彼女は人間に近い容姿をしている……ハーフ、いや、クォーターだろうか。
「あなたは__ゲホッ、ゲホッゲホォ!」
言いかけて、猛烈に咳き込んだ。
天地が逆転し、回転する。
「紅蘭様!」
床にへたり込んだ私を見て、慌てて侍女は飛んでくる。
「ぅ……え゛……っ!」
迫り上がってくる吐き気に思わず覆った口と指の間から、胃液と混じった大量の血が溢れ、毛足の長いカーペットに散った。
「……っ、は……ぁ……っ」
定まらない視界は涙で滲み、心臓の鼓動が異常なほど早く、ちゃんと息が吸えていないのか呼吸が荒い。
「紅蘭様!」
傍らに駆け寄る侍女に応える代わりに。
再び喉を熱いものが逆流してきて、抑えきれず口から噴き出した。
鼻が曲がりそうな臭いを室内に放ちながら、吐血と胃液を吸ったカーペットがみるみる血溜まりを広げていく。
__汚してしまった……!
ここが自分の部屋でないのは、とっくに気づいていた。
落ち着いた色彩の、けれど豪華な様式の、縦と横に突き抜けて広い部屋。
そこの巨大なベッドで、私は眠っていた。
この異様に広い空間は、明らかにレンオアムの屋敷ではない。
「失礼致します__よいっ……しょっ、と、ぉ……!」
侍女は私を両腕で抱えながら、ベッドまで運ぶ。
「横になられますか?」
咳込みながら、私は首を横に振る。
起き上がっている方が、呼吸が楽だ。
「ではお着物を替えましょう__失礼致します」
赤黒いシミで汚れて異臭を放つ長衣を脱がされ、新しいものを着させられる。
私が今こうして腰を降ろしているベッドも、そのシーツも、やはり知らないモノだ。
羊の首周りの毛を菱形に形成したシーツは黒に近いダークレッドで、シルクの掛け布団に描かれた薔薇の模様は明らかに手染めのもの。
ちなみに羊の首部分の毛は一番量が多く、毛自体もスプリングのようになっているため体重を分散しやすく、寝具やカーペットに適している。
そしてシーツが菱型を繋げた形なのは、メンテナンスし易くするためだ。
こうすることで、一部分が経たってきても、そのパーツさえ交換すれば何度でも同じものを使い続けられるからである。
「さあ、こちらの白湯を。ゆっくり、含むようにお飲みくださいませ」
「……っ」
息と血で詰まった喉は、声帯を震わせても、ごろごろと鳴るだけで音を発さなかった。
受け取り、一口すすった。
じんわりとした温かさが、臓腑に広がるのを感じる。
「お寒くはございませんか?」
無言で頷く。
温度も湿度も空気も申し分ない。
部屋の隅には、人が一人入れそうなサイズの装飾的な暖炉が置かれ、中ではひと抱えもある火蜥蜴が眠り、その上を火の精が輪を描いて踊っている。
壁には額縁に納まった大きな森の風景画が数枚と、時折ミスト状の蒸気を噴き出す通気孔がある。
ベッドの傍にある椅子やドレッサー、ランプの乗ったテーブルは猫脚のデザインだ。
天井はベッドに天蓋がついているため見えないが、淡い灯りと甘い香りがするので、恐らくシャンデリアに蜜蝋キャンドルでも刺さっているのだろう。
真鍮製の四本の支柱は、花の生えた蔓と龍が巻き付いたような彫刻が施されており、天蓋から下げられた覆いは濃霧のように目の細かいレースだ。
支柱と同じく真鍮製のヘッドボードとフットボードは、テーマは判らないが何やら凝った装飾が彫り込まれている。
「媛様、お薬でございます。飲みやすいよう、水薬となっております」
掌に収まるくらい小型の急須の様な容器を受け取り、口をつけて飲む。
蜂蜜のように仄かに甘くとろりとした薬水が、傷ついた喉に優しく浸透するかのように流れていく。
__本当に飲みやすい……。
「はぁはぁ……ふぅ。ありがとう……あの、どなたかしら?」
掠れきり鼻の詰まった声で言った。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。そしてこのような格好で名乗る無礼をお許しください。
媛様に置かれましては、お初にお目もじ申し上げます__わたくしの名は朱里・L・グラスホッパー。アルマトラス殿下の命により、本日より貴女様のお世話係を担当させて頂きます」
私の背中をさすりながら、侍女は名乗った。
「アルマトラス殿下……? ではここは……」
はい、と朱里は頷く。
「ようこそお越しくださいました。カタフニア大陸最北端__常冬の地、北方ウィンフィンへ」
ヒュッ、と吸い込んだ息が喉に詰まって、私は猛烈に咳き込んだ。
ご拝読ありがとうございました!
次回もお楽しみに!