Chapter77. Viper of Sorcerer
タイトル【毒蛇の魔女】
それっきり、ショールとは会話を交わすこともなくバスルームを後にする。
一日だけしか連れ添っていないが、部屋の空気は熟年夫婦の如く成熟され切っていた。
相変わらず指先の炎で髪を乾かす彼女を尻目に、さっさとドライヤーで乾かす空。
何かしらの文明を目にすれば興味を抱く少尉は、文明の利器を出されても反応しようとしない。
一方、彼とて気に留めるだけの余裕もなく、シャツとズボンだけを履いてさっさとふて寝してしまった。
感情と情報の整理が出来なくなった時はこうするに限る。
目を閉じて壁と向かい合えば睡魔がやって来るはず。
しかし人間は抱えている種があればあるほど睡眠からは縁遠くなる生き物。
選りにもよって、床についてからどうでも良い事ばかりが気になってしまう。
言わずもがな冷房のオフタイマー。
電気代のことが気になって、つけっぱなしにはできないのだ。
ふと身体をよじろうとしたその時、背中に何かの感触を感じる。
「ソラ君。————背中……借りるよ」
ショールだった。
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死。
兵士、人間、生き物に必ず訪れる終わり。
喰われるか、それとも刃を立てられるのか、はたまた銃弾で撃ち抜かれるのか。
どのタイミングでそれがやって来るかは、神の賽の目次第。
決まっていることと言えば、生物はそれを恐れるよう設定されていること。
同族を殺しても、味方が殺されても作戦遂行できるよう訓練を受けていたショールだったが、感情の奥深くにある本能が自らの死を拒んだ。
彼女にとって、死にたくないという恐怖は空のように身体を強張らせてしまうものではない。
むしろその逆、行動できなくなるのではなく「したく」なった。
リミッターが外れ、普段は出て来なかった欲望が出てきてしまったのである。
ではその欲とは何なのか。
ショールは空の腰に指を這わせると、そのまま背中に耳を当てる。
「ぼくにあんな口を利くなんてね。キミみたいな奥深い人間、好きだな」
鼓動が、ほんの少し早くなったのが分かった。
言葉を使って空の心を動かしているのをしみじみと実感する。
そう、彼女の欲望は支配欲。
誰かを精神的に支配することで満たされるのだ。
こんなくだらない俗欲で軍に入った訳ではないが、器は常に空のまま満たされない毎日が続く。
そんな矢先に戦争が起き、飛ばされた敵地で懐柔できそうな民間人を見つけた。
女慣れしていない初心な青年、今背中に体重を預けている彼である。
這わせている腕で強く引き寄せると、布団の中で丸くなる様など初心そのもの。
情報を引き出すにつれて、目的を果たすと共にソラは己の器を満たしてくれた。
そんな稀有な存在に、今は執着するようになっている。
厚手の布で作られた闇で、彼女は囁く。
「———ぼくを階級じゃなくて名前で呼んでくれるところも、考えてくれること。
そして……はっきりと言えないところも」
会話がヘタクソな所も、恐怖で固まって動けなくなってしまう様もショールにとってはごちそうのようなもの。
階級と能力が絶対、それが顕著になりがちな士官学校という世界にいた彼女からすれば下心があれど、必死で人間として接してくれるソラの事が素直に嬉しかった。
露骨に機嫌がよくなる程に。
傍受されない二人だけの暗がりで、先にショールが本音を吐露する。
「ハッキリ言って、ぼくはキミという存在を手放したくない。キミもぼくに対して、おんなじこと考えてない?」
図星を付かれたのか、空の身体が跳ねた。
優秀な指揮官であり、諜報員である彼女の前で安い嘘は通用しない。
彼とて心を閉じ込めていることも何もかも知っている。
逆に、知られていないと思っていたのか。
「答えなくっていいよ。キミはぼくの前に言葉なんていらないんだから」
すると彼はしなびた花のように動きが緩慢になっていく。
意思や思惑を伝えるのに言葉という回りくどいモノは必要ないのだ。
これ程までに支配できる存在を彼女は無意識に求めていたのかも知れない。
だが死という存在が支配から解こうとしてくる。
まるで織姫と彦星が引き裂いた様に。
背中を向け続ける彦星は何も答えない。
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どれだけ現実から逃げたところで無駄な足掻きしかない。
行動しなければ、残忍な運命を反らすことができない事実をショールは知っている。
それも嫌と言うほど。
しかし現状をどうすべきなのか、指揮官で理性的な彼女でも答えが出せないでいた。
戦局が敗戦色に染まって来ていたとしても士気は高く、小隊と数は少ないが理想的な兵士たちで固められている。
頼もしいハズの部下がここに来て牙を剥くことになるとは夢にも思わなかった。
士気、つまりやる気があると言うことは指揮官の意見に従うかどうか怪しい。
軍にとって上階級からの命令は絶対だが、軍人がうろついていない平和そのものの日本国の有様をみて真と思うのだろうか。
最悪、一部の兵士は制御が効かず、集団切り裂き魔となる可能性も否定できない。
少尉と同じくSOYUZ、いや現実世界のありとあらゆる人間に恨みを募らせている存在にどう説き伏せていいのか文言が浮かんでこない。
空がショールを死なせたくないように、また彼女も選りすぐりの部下を手に掛けたくはないのだ。
内通していた訳でもなく、国に忠を尽くしている人間を。
一度異端の兵器に蹂躙された光景を目の当たりにしている以上。
指揮官として、いや上に立つ人間として過ちを繰り返してはならない。
苦悩する素振りを全く見せないショールだが、軍人として、人間として、そして女としても考えは振り子のように振れ続けていた……
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物思いにふけっていると、本当に人間はまどろみに落ちる事が出来ないものである。
明日の仕事や学校が脳裏によぎった瞬間、一気に覚醒したことがある人間も多いだろう。
何も考えずに頭を空っぽにするのが良いのだろうが、二人の置かれている現状がそれを許さない。
重たい空気も相まって、ますます睡眠から遠のいているのも事実。
無理やりにでも一息つかなければ纏まる考えも散らかったままだ。
「ソラ君。起きてるかい?」
「……起きちゃってるよ」
彦星は背中を向けたまま、くぐもった声で答える。
丁度、エアコンのオフタイマーが動作し電気の風が止む。
WEEEL……
布団の中は音も光もない宇宙空間そのもの。
二人以外はまるで存在しないどころか、時間は引き延ばされて知るすべはない。
「……手。———つないでくれないかな」
仏頂面で口にしていそうな声色とは違っていた。
例えるならば、風で消えてしまいそうな蝋燭の炎か。
「———ん……」
空は答えない。
暗黒の中で寝がえりを打ちつつ、ちょうど向き合う形になって手を握った。
指は刃の様に冷たく、それでも握りこまれるとやはり心が高鳴る。
「手を貸してくれてありがとう。ちょっとね、キミにぼくの命を預けたいと思ってて。だから———」
空の記憶に自分の足跡をつけさせてはくれないか。
戦場では如何に凄惨な死も忘れ去られる。
それに戦車砲の一撃などでは死んだとしても跡形も残らず、骨を拾ってもらうこともできない。
死しても存在そのものが薄れ、現実世界から、そして記録からも全てが消失してしまう。
だからこそ忘れ去られないように、そして彼の人生を「支配」し続けるように。
彼女はそう望んだ。
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「……関係ない、かもしれないけれど。キミって表ではぼくの魔導のことを信じている……けれど心の奥底では……どうかな」
唐突で脈略のない内容ではあるが、ショールがこういう話をするときは大方何かをするときである。
そして空の重い口が開く。
「魔法なんてものがあったら、俺達はこんな風になってないよ……」
21世紀において、所詮はまやかし。
都合のいい神頼みの一つにしか過ぎない。あるいは不可解なモノを揶揄するものか。
その冷たい事実が心の奥深くで認めようとしなかった。
「そうかもしれないね。ただ、ぼくのような存在がいることまで否定されちゃったら…嫌だな。だから、これからする手品で、ぼくのような存在がいたことを受け止めておいてほしいんだ」
更に続ける。
「この芸を見せちゃうのは…キミが初めてかな」
言い終えた瞬間、手元がランプを灯したかのように明るくなった。
それも燃料が切れたかのように消えていき、再び暗黒星雲が包み込む。
「こ……れ……」
思わず背中を弓なりに曲げ、ひたすらに悶える空。
「気分良いだろう?考えははくっきりしてるのに、なんでもできそうな感覚……ちょっとだけ魔力を流し
たんだ」
魔力。
魔導士やソーサラー、一部兵器の動力源や弾そのものに使用される未知エネルギー。
現実世界の人間はまるで持ち合わせていないソレは、アルコールの様に「酔い」を生じさせ、判断能力があるまま、全能感を与える。
短い16年間の生涯で何よりも最高の多幸と、空っぽな器を満たしてくれる満足感。
確かに物事はハッキリ考えられるし、小難しい計算もしっかりとできる。
だが脳を強力な愛によって溶かされたような鮮烈な快感は、言葉を介在する隙間を与えない。
しかも魔力は人間の精神に影響を及ぼす。
美味い物を食べても、テストで満点を取っても、自己顕示欲を満たした程度では絶対に追いつけない、次元の違う感覚。
薬物中毒者はこれに似た快楽を得るがために、自らの命を差し出すと言う。
クスリとは決定的に違うのは、じわりじわりと毒の様に効いてくるのではなく、一気に押し寄せること。
あたかも高圧電流にでも充てられたように。
中学生に毛が生えた程度の空が堪えられるはずがなかった。
だがしかし、これは前座に過ぎない。
「ぼくはいつまでも…居続けるから」
そう呟くと、ショールは空という小さな器に収まっていた魔力を一気に吸い上げた。
「———カハァッ!」
あらゆる検査機器を通り抜けるエネルギーが動くのに、音を立てる必要はない。
けれども、愛情で溶かされた脳髄を吸い出されていくような感触が全身を襲う。
脳が焼けるような波に、まともに息が吸えなかった。
与えられる悦と、奪われる悦楽。
彼は双方を間髪入れず味わったことになる。
ショールにとって、至上の愛情表現にして心まで支配し続けるための切り札。
理性もろとも、全身の血をささげてしまった空は無意識的に足を延ばすと、彼女の脚は蛇の如く絡みつく。
自ら与えたものを取り返し、満身創痍になっている彼に聞こえないように呟いた。
「——こうでもしないと踏ん切りがつかないなんて、ぼくはダメな人間だ。」
破滅は迫る。
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次回Chapter78は10月18日10時からの公開になります。
Viperにはスラング的ニュアンスにて「危険人物」という意味を持つ。




