Chapter76. Drop falls
タイトル【雫落ちる時】
——東京都世田谷区 二子玉川駅近辺
リバーフェスタ306号室
空の頭で何度も何度もショールの言葉が反響する。
『ぼくの目的は敵地へ飛び、諜報活動……情報を集める事。後に来る本隊のために。そうして私の指揮下、3個小隊は陽動のため……』
『住民を無作為に、無差別で殺す。男も、女も、子供も赤ん坊も見つけたら【動くもの全て敵】だ』
次第に思考がブルースクリーンから現実世界へと戻っていく。
それでもなお、考えがまとまらない。纏まるはずがない。
ショート寸前の頭脳がひり出した言葉はただ一つ。
「どうして」
人間は誰かを殺す時には躊躇するもの、それは数をこなしても残り続けてしまう禍根のようなもの。
百歩譲って、恨みのある敵なら理解できる。
だがショールは言って見せた。
住民を無差別で殺すと。
陽動、つまり注意を引き付けるため「だけに」
良心の欠片でも無いのだろうか。
だがそのことは違うと、短いながらも接していて分かる。
殺戮者の道理と親しい女性が混ざり合っている現実が何より理解できない。
水と油、相反する両者を1つにしているのが何なのか分からなかった。
分かりたくもなかった。
「ぼくら軍人ではない人民は、全て謀反する可能性を抱えている。敵地にいる住民は猶更そうだ。それに軍に仇なす人民は何も生まない。存在する意義も、価値も何もない。屑だ」
「軍人という完璧に統率された人間が満ち溢れ、他は淘汰される。軍人の楽園」
「———それがぼくの世界」
ショールはさぞ当たり前のように淡々と語り出す。
彼女はファルケンシュタインの恐るべき思想 軍人至上主義に染まっていた。
本来であれば水と油は混ざり合わない。
これらを1つにするには触媒が必要となって来る。
殺戮者と聖母、正反対のソレを纏める触媒とは即ち「狂気」。
能力を持ち、完璧に統率された存在と支援する者以外は平等に無価値である。
無価値でありながら国に巣食うような穀潰しは立派な敵。
これこそ自国民ですら平気で手に掛けられる狂気の源に他ならない。
人を容易く殺人機へ変える、プロパガンダの恐ろしさが全て詰まっていた。
ショールは諭すような柔らかい声を掛けながら、空の頬を撫でる。
「さぁ、ソラ君。部隊の協力者として、ぼくに教えて欲しい。ここはどこで、どれくらいの民間人がいて、常備軍と治安組織の数、そして……異端軍SOYUZの本拠地はどこなのか……?」
——————
□
洗いざらい吐いた。
日本、人口は一億三千万の国であること。
常備軍、つまり自衛隊の総兵員は20万人に匹敵する。
軍人でなければ生きていけないと言われた、ファルケンシュタイン国軍の何倍も及ぶのは言うまでもない。
それに治安維持である国家権力「警察」
地球上、至る所に居るSOYUZも大小問わず駐留していることもまた事実。
あらゆる国と完全に独立している人類種そのものの存在であり、たとえ日本を滅ぼしても無駄だということ。
まだ飽き足らない。
同盟国である日本に砂を掛ければ、触れてはならない破壊そのものの権現 アメリカが嬉々としてやって来る。
分からないところはウィキペディアを使って懇切丁寧、ショールの要求にこたえられるように。
あの頃のような気を引きたいがためではない、役立たずと判断され殺されないようにの一心だった。
「ソラ君は素直で可愛げがあるね。ぼくはそういう人、好きなんだ」
目が一切笑っていない。
彼女もたった3個小隊90人。
装甲はあれども、自動小銃どころか銃の1つもない装備で二子玉川駅周辺も占拠することすら不可能だと分かっているのだろう。
これも全て21世紀の化学力の結晶、圧倒的な軍事力によるもの。
そのことは帝国が機械仕掛けの神を名乗る戦略兵器を投下してもなお撃退してみせたのが何より証拠だ。
SOYUZ陣営に対して時間稼ぎを行うために時空を超越したのも、すべてはこのために尽きる。
だが空の世界ではこの程度、陽動にすらならないという残酷な現実が牙を剥く。
重ねてきた暴力と殺しの数が圧倒的に違うのだ。
代わりに突き付けられたのは、虐殺する側が皆殺しにされる未来。
しかも空だけでなく、ショールにも生命の危機が突きつけられている。
彼女は彼から引きずり出した情報から全てを導き出した。
優秀で、ひたすら賢いばかりに。
あまりに過酷な現実を前に、二人は気休めすることしかできない。
「……水を一杯くれないかな。冷えてなくてもいいから」
—————
□
「なんとなく」という逃げ口を使って何もしない空でさえ、とにかく今は何か身体を動かさなければダメだと内心思っていた。
ショールの視線を受けつつ、冷蔵庫でストックしておいた氷をありったけ放り込んで冷や水を作るとマグカップに注ぐ。
手元をやたら視られているのは毒でも盛られるのを警戒しての事だろうか。
普段、何かと誤魔化されてきたものが此処に来てようやく見えてきたらしい。
何気にショールが出されたものに口を付けるのはこれが初めてか。
拷問じみた酷暑に晒されても尚、おずおずと冷水を嚥下していく。
喉の渇きは癒えても、根幹は全く解決しようとしない。
しかし、ようやく事のあらましを掴み始めた彼の脳髄はあることをはじき出す。
ショール少尉の率いる部隊は紛れもなくテロリスト。
拳銃1つ抜くのに苦労する警察は兎も角として、ニュース映像でSOYUZの戦車や装甲車が暴徒相手へ容赦なく砲撃している様がフラッシュバックする。
結論は1つ。
このままここで逃がしたら、彼女を死に行かせるのではないかと。
だが先ほど感じた恐怖が覚めている訳ではない、一度そういう目で見てしまった人間がそうなるのはひたすらに胸糞悪いのだ。
此処で止めなかったら、一生後悔する。
あまりに鈍感な直感でさえそう告げているのが分かる。
だがどうしたら良い。何をしたら良い。
Wikipedia、それにGoogleでテロリストを引き留める方法を調べても乗っていないだろう。
誰も何も教えてくれない。自分ではどうしようもならない。
——Crom……
氷が解けて、互いがぶつかる音だけが響く。
文字通り氷が水になっていくのを止められない、その様をまざまざと見せつけられて憤りだけが募る。
「……こっちの文化じゃあ、湯に肩までつかるんだけど…まだ、言ってなかったっけ」
「いいよ」
唐突過ぎる提案だが、ショールはただ短く答えるだけだった。
———————
□
家賃が微妙に高いこのマンションでは、自動給湯機能が付いている。
水道とガス代の事情もあって普段は使わないが、この時ばかりは二人で話をしたいと思っていた。
ライトノベルよろしく、大事な話を邪魔されないように。
時間は残酷だ。
湯が沸くまで間、空の落ちこぼれの頭をひねっているとすぐ沸くとアナウンスだけが木霊する。
今更になって彼も、少尉も一言も口を開いていないことに気が付いた。
やはりショールも気が付いているのだろう。
アニメでしか見ない色気づいた光景なのにも関わらず、空はそんな下らない俗欲を振り切った顔立ちでいる。
覚悟はもう曲がらない。
一糸まとわぬ姿になりつつも、蒸気で満ち溢れたバスルームに二人は足を踏み入れた。
遙か彼方の敵国からやって来たとしてもお互い人間そのもの。
けれども、この時ばかりは軽快な語りは鳴りを潜めている。
「さっきの話だけど、降参する……とかは」
目は多少なりとも情緒を取り戻しつつあるが、答えは変わらない。
「ない」
空は本当に何も知らないのだろう。
ファルケンシュタインとSOYUZの苛烈極まる戦闘は常に押しやられていると。
防戦一方しか出来なかった雪辱を晴らす良い機会だ。
陸では主力戦車や城に侵入してきた軽戦車にアーマーナイトや超重歩兵が何人もやられ、重砲撃で蹂躙される。
空はゲルリッツ中佐以外、SOYUZに泥を塗ることすら出来ていないときた。
そんな状態で敵地陽動の任を与えられると言うことは。
祖国を異次元の侵略に一石を投じられるかもしれない、とんでもない重責を背負っているのである。
民間人一人のエゴでは彼女の決意は揺るがない。
「もう一度言う。上の命令は絶対、とくに「ぼく」の世界ではね。
それに次元を超えてやって来た兵のこともある。敵地に一歩も入ることもできなかったというのに」
「————大舞台に立ってすぐ降りろ、なんてぼくに言わせるのかい?」
部隊の指揮官とは、上層部の意向と下に抱える兵士に挟まれる中間管理職。
軍人の華を同志である自分に消させるのか。
口調そのものは一切トゲがないものの、込められた意味は酷く重い。
———PITOM……
蒸気が冷えて水滴となり、波もない湯面に雫が落ちる。
遮るものは何もない。
しかし決定的に違う価値観と立場という名の絶壁が立っているように思えて仕方がなかった。
「……そう、か。なら……ショール…少尉、にも。やって来る人たちにも……」
死んでほしくはない。
身勝手だということは重々承知、エゴだ。
はっきり言って後ろの言葉はとってつけたようなのも見抜かれていてもおかしくないだろう。
「言いたいことはよくわかるよ。でも」
そのために来た。
ショールの態度は冷たくあしらうものではなく、どこか諦めや達観したようなものが込められている。
彼女らしくもあり、そうでもない。
親の顔を常に伺い続けただけあり、空はしっかりとそのことを捉えていた。
生きとし生ける者、死ねと言われて従うようにも出来ていないのだから。
しばしまた沈黙が訪れる。
保温機能などあまりないバスタブに張られた湯は次第に冷めていく。
「けどさ、勝てる見込みは……」
「一時間前まではあったかな」
この一言に、理屈関係なしに腹が立った。
何だこのすべてを諦めたような態度は、と。
思わせぶりな態度をしておいて、心を射貫いておいて逃げようとしている。
利用するなら徹底的に搾り取った挙句、ひどい言葉を手引き料にして捨てて欲しい。
かつての親や友達だったもののように。
彼の思う、武士の情けとやらを掛けて欲しいのだ。
それにも関わらず、ショールは彼を置いてきぼりにして死のうとしている。
恐怖の1つも出さずに。
何もかもが自分にとって理解できず、不条理である。
彼にしても怒っている訳がわからなかった。
一人、抜け駆けをしようとするのが最高に嫌だったのかもしれない。
一緒に居て欲しいのに逃げようとしているのが彼にとっての裏切りにあたるのかもしれない。
ただ、少なくとも良心からではないのは確か。
一見して他人のために思えるかもしれないが、結局空もエゴイストをぬぐい切れない。
全部が全部憎くなり、彼は吐き出してしまう。
「そんなんでいいのかよ!」
水面が荒立った。
惑わされることもなく、今なら言いたいこと。いや言わなければならない事を伝えられる。
傍に居て欲しいなんて柄にもないことは言えなかった。
結局できるのは激昂して引き留めることだけ。
けれど。
「へぇ。言ってくれるね」
彼女の態度は驚くでも、逆にまくし立てることも、まして反論しようとすることも無かった……
次回Chapter77は10月11日10時からの公開となります。




