Chapter5. Looming Threat: Underworld
タイトル【迫りくる脅威: 異世界】
視点を現実世界で仕事をする立場から、現場に送り込まれていた人間たちに向けよう。
かつて、異世界の存在は地球上に漏らしてはいけない「惑星規模の機密情報」だった。
そのことは向こう側へ派遣されていた人間にも適応される。
故に公表されるまでの間、派兵されていた人間は行方不明となっていた。
ここまでの機密にする理由は何か。
発見された当時から暫くはファルケンシュタイン帝国と交戦中であり、利潤を狙った国家の無駄な乱戦や、Soyuzを良く思わない者たちによる不意打ちを避けるためである。
世界情勢がただでさえ綱渡りなのにも関わらず、制御不能の混沌を持ち込んだものならば回り巡って世界大戦、というシナリオだってあり得てしまう。
バタフライエフェクトというのは常に恐ろしいものである。
異世界が公開された後は上級将校という制限が付いているが現実世界への帰還許可が無事許可。
俗に上級スタッフと呼ばれる人間は、ポータルの発見された神奈川県横浜市瀬谷区へと里帰りを果たすことが出来た。
「久々の娑婆か……」
ポータルから現れたのは一人の屈強な男。
今回の戦争においては現場から指揮系統まで幅広く活躍した 冴島大佐である。
これまでは中東での地獄のような戦い、メキシコマフィア掃討作戦のような残虐な戦闘と数々の死線を潜って来ていた。
今回の仕事で投下されたのは、次元を飛び越えた先での熾烈な戦いである。
一言で語るならば、人生の経験を試されるような戦争だったと言えよう。
対ゲリラ戦のように何時・どこでやられるか分からない恐怖。
国家を相手取った時のような高い士気と戦術、無数の大型兵器たち。
マフィアのようにどんな手を使ってくるか分からない得体の知れなさ。
一口にこうだ、と決めつけるには濃すぎる数か月を過ごしてきた。
そんな矢先。
冴島の持つソ・USE端末に一件のメッセージが入っていることに気が付く。
宛名は最高司令官の権能中将から。
【いつもの居酒屋 巌美で待っている】
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居酒屋 巌美。
全国に1つはあるような、ちょっとお高めの日本懐石居酒屋である。
ピンからキリ、微妙に割高から一流懐石コースまで出てくる所だ。
一般にはあまり知られていないがSoyuzのフロント企業であり、中将がそこで話すということは「何らかのメッセージ」が内包されていることが多い。
普段のねぎらいなら、納豆と白飯を食べるために駅前の吉野屋にしているのだから。
——横浜
全国に必ず1つあるとはいっても、流石にそこら中にあるわけではない。
そのため瀬谷から横浜まで電車に揺られる羽目になったが、久々の文明とあれば目の保養にはなる。
相鉄口から覗く横浜西口は相変わらず雑多な、そして混沌とした光景が広がっていた。
退廃的なゲームセンターにカンやらペットボトルであふれ出したゴミ箱。
何を隠そう大佐は北海道生まれ横浜育ちの大男。
地元と言えば横浜、繁華街モドキがならぶ西口は浅からぬ縁がある。
数か月間という短い間に激動の情勢を駆け抜けてきたが、ここだけは何も変わっておらず安心した。
曲がりなりにも育ちの故郷に変わりない。
新宿よりも少ないネオンと人間の情欲を掻き立てる勧誘を突っ切りながら、目的地に向けて進む冴島。
その眼差しは休暇を過ごす一人の男ではなく、戦地に立つ「大佐」としての猛禽のような眼差しをしていた……。
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——居酒屋巌美 横浜西口店
入り口傍にある客名簿を見ると、一つだけ【予約2名】と無機質に記されてある。
案の定席は個室。
この手の居酒屋にはよくあるものだが、今だけはブリーフィングや報告のような背筋が凍るような感覚を覚えた。
大佐は暖簾をくぐり、店員に声をかける。
「遅れて失敬。予約した者だ」
「8番……一番奥の個室になります」
「どうも」
木の床張り、土壁に障子の扉。
徹底したおもてなしをするために「和」で統一されている空間で支配されている。
室内は各々番号が振られており、ひどく酔っていても間違えることもない。
和のリラクゼーションを謳っているが、それも納得か。
それぞれの個室からは会社の宴会でもやっているのか、ワイワイと声が漏れてきており楽し気な空気が包み込んでいた。
最奥の個室に来るまでは。
この8番個室には番号が振られてはいないし、普通の客も使うどころか入ることすら一切許されない。
我々Soyuzの上級職員が表には出せないような内容について話し合う時にだけ、門が開かれる。
「待っていたぞ冴島。一番値が張るフグ堪能マシンガンフルコースを取ってある」
引き戸を開けると、そこには戦艦のような図体をした見慣れた顔 権能中将がそこに座っていた。
言わずもがな。彼こそ、異世界における最高責任者である。
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秘密の領域に足を踏み入れた冴島は冗談を交えながら座布団に正座し、身構えた。
「ここにお誘い頂いたという事は、何か重要な話があるという事ですかな。
なんせ日頃の労いは駅前の吉野家が定番ですから」
「ケチ臭いな。相応の働きをしたんだぞお前は」
「勿体ないお言葉で」
席には既に湯気のたった湯呑が2つ置かれており、逃げ場は初めからないことを意味していた。
話を切り出したのは中将の方から。
「聞いてはいると思うが、このU.Uの存在が公表されたようだ。
ポータルとその先にある国家の有無は非公開ではあるものの、世界中を騒がせている」
「——相当のようですな。相鉄のニュースでもやっているくらいですから」
Soyuz上層部も思い切ったことをしたな、冴島はそう思った。
もちろん異世界 ファルケンシュタイン帝国の調査記録はお上も知っているはず。
当然その価値も、まだ目の当たりにしていない価値も。
よくも貪欲な世界に向けて公開したものである。
深く考える間もなく前菜が運び込まれた。
「失礼します。前菜の松前漬けです」
松前漬け。
黄金色に輝く数の子に旨味のつまった昆布。さらにはニンジンやカニのほぐし身を醤油と砂糖で付け込んだ、贅沢な小鉢。
これだけでも位が高い。
「これまた」
謙遜する冴島だが、権能が遠慮などいらぬと言う。
「いいぞ」
ダチョウ倶楽部のようになっては仕方がないので、遠慮なく箸を向かわせることに。
昆布の旨味に、珍味の数の子。さらに美食の筆頭格のカニまで入っている。
小鉢に広がる玉手箱は、先ほど口にしていた異世界の話題も相まって、ファルケンシュタイン帝国のように思えてきた。
昆布を鉱石に、珍味を原油に。カニをレアメタルと置き換えれば、世界にとって帝国は喉から手が出る程欲しい事が良く分かる。
この松前漬けのように。
一口放り込んだ瞬間。
爆発的なまでの旨味と珍味の歯ごたえ、カニのあふれ出る香りが駆け抜けていった。
次、また次と箸を動かす手が止まらなくなりそうである。
だがそれはコース料理のように、小鉢は内包される世界の一部でしかない。
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お互い小鉢を突きながら時間を過ごしていると、いよいよメインディッシュがやって来た。
「フグ刺しでございます」
「おお」
冴島や中将も思わず声を上げる。
大皿に咲く刺身の薄造り。
あまりの薄さに皿の模様まで透けてしまっており、熟練の職人が手掛けた逸品に違いない。
人生でも一度食べられるかどうか、日本食の頂点が目の前に現れたのである。
料理に見とれ、ちょうどいい合間が出来たこともあってか冴島がこう切り出してきた。
「……閣下。現在の帝国に関してのご報告がありまして。
ファルケンシュタイン新政権に対する反政府活動が確認されたと」
国家主義がまるごとすげ変わるような政権交代が行われ、それでめでたしめでたしとはいかないのが現実。
何時でもどこでも、新しきものに反発する勢力が出てくるもの。
現代技術の息がかかった爆発的な発展だけが起こる、そんな都合の良くは転がらないのだ。
ちょうど目の前にあるフグが美味である一方で、人を容易く殺す毒を持つ側面があるように。
だからこそ猛毒のある内蔵や皮膚を削ぎ落し、美味になるように努めなくてはならない。
「なに、お前も初めから見越していた事だろう」
一方聞かされた側の権能は冷淡な態度で返す。
いくつもの動乱を見届けてきた二人にとって、逆らう者の登場は物珍しいものではないからだ。
それは大佐も同じこと。
「ええ、この程度ならば」
しかし忘れてはならない事がある。
フグ毒は一か所にあるとは限らないことを。
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フグの食べ方を知る人間は決して分厚く切ったり、映画のように一気に口に運んだりはしないもの。
風味の力が強くないながら個性を残す、そんな雅な刺身は分厚く切れば良さに気が付くことができない。
一気に食べようとするのも、無粋の極みだ。
水っぽくもなくハリがあり、しっかりとした旨味が身に乗る。
上級将校である彼らをうならせる美味でありながら、決してしつこくなく箸の一手を自然といざなう。
魚のうまみと歯ごたえに包まれていたところでポン酢を添えてやると、一気に味が引き締められ新たな世界が広がっていく。
香り高いワサビも添えてやるとコルセットの如く、「美」へと昇華するのが舌でわかってしまうのだ。
刺身には醤油と相場が決まっているが、フグにだけはついていないのも腑に落ちる。
しかし残酷なことに、こう美味いものは食べればなくなってしまう。
至極真っ当なことではあるが桜がすぐ散ってしまうように儚い。
普段なんでも米に乗せて食べたがる冴島にそう抱かせるのだから、フグが如何に上等なものかがうかがい知れる。
権能中将もこの時だけは目つきが緩み、人間に戻っているではないか。
ちょうど刺身もほとんどなくなり、飾りのタンポポを大佐が食べていたところで中将がこんなことを切り出す。
「冴島、俺もお前に報告がある。」
だがこの時の顔と言葉は、いつものような中将としてのものだった。
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「武装解除後に帝国の軍微調整を行った時のことだが、ある小隊が文字通り蒸発していたのが分かった。
該当するのはファルケンシュタイン帝国陸軍第44小隊、第43小隊、そして41小隊」
「これは初めから存在していたと確認は取れている。
だが……駐屯していた場所には装備や物資がそのまま残されていた。まるで時をその瞬間だけ切り取ったようにな」
彼が大佐に語った報告したい事とは、とても信じがたいことであった。
部隊が蒸発することはさほど珍しくない。
一網打尽にされた、あるいはそのまま野盗と化していることがある。
しかしそれでは、夜逃げよろしく物資や装備がそのまま残して消えた理由の説明にはならない。
軍人至上主義を未だに掲げるテロリストに合流しているのだろう、と思えるがおかしな点がまだあった。
「その当日までは航空部隊に所属していた兵士が補給に来ていて、その時までは居たと証言されている。
逃げる素振りは一切なかったと断言していた。加えて……この部隊が消えたのは戦中だ」
失踪したのは戦中。
つまりテロ組織が存在しない頃である。
補給を要求したということは戦う意思がある現れであり、逃げ出したとしても3個小隊総勢90人が大脱走すれば足がつく。
当時の反政府パルチザンに合流したのでは。
そう思うかもしれないが、帝国は成立直後に反抗勢力を全て抹殺していることを忘れてはならない。
「……事実ですか」
冴島も思わず息を飲んだ。
「ああ。俺の口から出た、と言うことの意味は分かっているだろう」
この程度の事務での失態ならばわざわざ伝えてはこないだろう。
せいぜい誰かが事務方のマディソンを殴って済む話。
恐らくSoyuzと帝国側が持てる手を尽くして探した結果、いなかった事がわかった。
そして全滅した様子もない。
ならば。
異世界に歴史上はじめて転移し、好き放題にしていた天才理論物理学者 アリエル・ハイゼンベルグのことが脳裏をよぎった。
凍り付く二人の間を割って煮えたぎる鍋が届けられる。
「フグ鍋でございます」
ぐつぐつと煮えたぎる鍋は、新たな脅威が生まれようとしていることを暗示していた……
次回Chapter6は8/3 10時からの公開となります。