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半透明の守護者 硝子と少女  作者: 宙色紅葉
17/22

ほんとうにこわいもの

 あっという間に放課後になり、四人はバスで清川の自宅へ向かった。

 最寄りのバス停で降り、少し会話をしながら歩けば、あっという間に家についてしまった。

 家に入るのが恐ろしいようで、清川の鍵を持つ手は小刻みに震えている。

「私が開けるよ」

 清川の代わりに鍵を回すと、ガチャリと高い音が鳴る。

 その音が妙に大きく、また、住宅が立ち並んでいるはずの周囲はやけに静かで、金森はゴクリと唾を飲み込んだ。

 清川の顔は真っ青だが、それでも必死にドアを開けて二人を招き入れた。

 玄関から見える室内の様子は、小ぢんまりとしていて殺風景だ。

 生活感が乏しく、電気のついていない家の中は寂しい雰囲気が漂っていた。

「ほう、これが一軒家か、いいものだな」

 腕を組んで無遠慮に室内を眺めまわすと、何度も大きく頷いた。

「どうしたの、急に」

「いや、俺の家は賃貸でな。正直、一軒家はちょっと珍しいのだ。俺も成人したら己の城に住みたいものだ」

「いいじゃん」

 空気を読まない赤崎の、ほのぼのとした雰囲気に、緊張した雰囲気が少し緩む。

 清川を先頭に廊下を進むと、例の大きな窓がある部屋、すなわちリビングに辿り着いた。

 窓には分厚いカーテンが掛かっており、それが日光を拒絶している。

 額に汗の浮いた清川が、放心の瞳でカーテンに触れた。

 途端に小さく悲鳴を上げ、掴んだカーテンを引き千切る。

 そのまま頭を抱えてその場にしゃがみこむと、何かをブツブツと言い出した。

 清川の様子は、明らかに異常だ。

「藍!!」

「き、清川さん……?」

 守護者は急いで清川に駆け寄り、金森はこわごわと清川に手を伸ばした。

「違う、違う、違う、ちがうちがうままはくるままはくるままはわたしを……」

 それは段々、言葉ではなくなっていく。

 狂ったように何かを呟き続ける清川は、ガタガタと震えた後にパタリと倒れ込んだ。

 近くにいた守護者と金森は気が付かなかったが、倒れた瞬間に清川の陰からドロリとした何かが滲み、二人の足元に這い寄っていた。

「二人とも離れろ!!」

 赤崎が怒鳴るが既に遅く、二人は闇に飲み込まれた。

 完全に金森が飲み込まれる瞬間、赤崎は彼女の腕を力強く掴んだ。

 意識を手放す瞬間、自身の両足を軸に世界が反転したような気がした。


 きょうも、ママは、かえってこない。

 もう、おそとはまっくらなのに。

 さいきん、あさのちょっとのじかんしか、ママにあえない。

 ママ、いそがしいもんね。

 とけいのながいはりが、9のところにきている。

 おにんぎょうのおひめさまに、おやすみなさいしたら、もうねなくちゃ。

 となりのおへやから、おとがした。

 でんきを、ぜんぶけしたから、まっくらで、すこしこわいな。

 でも、ママがかえってきたのかも。

 むかえにいきたいな。

 そっとドアをあけて、おおきなマドをみたら、くろいヒトがいた。

 おおきな、かなづち。

 あしもとには、キラキラひかる、ガラスのかたまり。

 ぜんしんまっくろで、おかおがみえないのに、ふたつのめだまがギョロリとひかって、こっちをみた。

 こわいこわいこわい。

 にげなくちゃにげなくちゃ。

 いっしょうけんめいにげたのに、うしろにあるのは、おおきなたな。

 くろいてが、せまってきて、わたしをつかもうとする。

 たすけてたすけてたすけて。

 ……………?

 なにも、こない?

 めをあけたら、たおれているくろいヒトと、くだけちった、おひめさまがいた。

 ありがとう、おひめさま。

  あなたが、あいをまもってくれたのね。

 あいには、とてもつよいおともだちがいるのね。

 あいを、いつも、まもっていてくれるのね。

ごめんね、おひめさま。

 ありがとう。


 めをさましたら、ママがいた。

 おそとがあかるいから、あさになったみたい。

「ママ、こわいよ。きょうは、はやく、かえってきてくれる?」

 ママは、こまったみたいにわらった。

 なんて、いったんだろう。


 おへやがあかい。

 ゆうひのいろが、こわい。

 もうすぐよるになるのね。

こわいなあ、ママ、はやくかえってこないかなあ。

 よるになっちゃった。

 ママは、かえってこない。

 こわいから、あのおへやには、いけない。

 とけいをみたら、ながいはりが、9のところにきていた。

 おひめさまは、こわれちゃった。

 だれに、おやすみなさいをしたら、いいんだろう?

 

 おふとんのなかで、なかよしのぬいぐるみをだっこする。

 むねのまんなかが、さむい。

 さむくてさむくて、こごえそう。

 もうふをかぶって、もっとつよく、ぬいぐるみをだきしめる。

 あたたかくなりたい。

 さむいのはいやだ。

 ママ、さむいよ。

 ママ、あいのこと、すきじゃないのかな?

 ママ、あいのこと、どうでもいいのかな?

 うそだよね?

 ママは、かえってくるよね?

 ママ……


 溺れる寸前から急に陸に引き上げられたような感覚に陥り、魚のように口をパクパクと開閉して、貪欲に空気を吸う。

 全身にかいた脂汗は冷え、胸の中心は凍り付いたように冷たい。

 内側からも外側からも冷えていくようで、凍えそうだった。

 愛されたい。

 ガチガチと歯を鳴らし、その場にうずくまって動けなくなる金森の肩を、温かく大きな手が包んだ。

「ママ!」

 金森は手の持ち主を確認することなく、思い切り抱き着いた。

 少しでも温かくなりたい。

 その思いのままコアラが木に抱き着くように、力の限り赤崎を抱き締める。

 赤崎は驚いて目を丸くし、それから真っ赤になって金森を振りほどこうとした。

「ママ!? 何を言っているんだ、お前は。うわっ、冷たい。こら、放せ! 女の子が異性に抱き着くんじゃない」

「ママ、ママ」

 金森の力は予想以上に強く、決して赤崎から離れなかった。

 いったい赤崎の姿がどのように映っているのか、「ママ」を連呼して、彼から離れようとしない。

 赤崎は狼狽し、いつもの偉そうなしゃべり方から、年相応の頼りないものになっていた。

「こ、こら、俺はママじゃないって! いい加減にしろよ、金森響!!」

 ピタリ、と金森の動きが止まった。

 相変わらず抱き着いてはいるが、そこに先程のような力は無い。

 恐る恐る金森の顔を覗き込むも、彼女の表情は胸元に埋められていて見えない。

「か、金森響?」

 再び金森の名前を呼ぶと、彼女は、

「ママじゃない!!」

 と、絶叫して、物凄い勢いで赤崎から距離をとった。

 驚きで丸くなった瞳には光が宿り、表情や言葉も、いつもの金森のものに戻っていた。

 金森は両手で肩を抱き、ブツブツと「私は金森響、清川藍じゃない」などと呟いている。

 行動は少々異常だが、それでも先程よりはマシだった。

「当たり前だ! 全くお前という奴は……まあいい、正気に戻ったか? 金森響」

 目に正気が宿ったのを確認してホッとため息を吐くと、赤崎も普段の偉そうな態度を取り戻した。

 赤崎の言葉に金森はうつむき気味だった視線を上げ、青い顔で微笑む。

「ありがとう。ごめん、どうかしてたみたい。私、なんでか清川さんになってたみたいでさ」

「清川藍に?」

「うん、それも、小さい清川さん。辛い思いをしたの」

「ふむ、それは、俺が見た光景に関係があるかもしれん」

 赤崎が話したのは、概ね清川が見た夢の内容と同じだった。

 それに加えて、翌日の朝に母親の側で泣く清川と、その夜に震えて眠る彼女を見ていたようだ。

 しかし、清川と母親の会話内容や、清川が何を考えていたのかは全く分からないらしい。

「多分私は、その時の清川さんと同化していたんだと思う。今も、なんだか怖くて、苦しくて……震えてるみたい」

 両肩を抱く金森の声や手足は小刻みに震えている。

「おい、大丈夫か? なんか、こう、なんかしようか?」

「何かって何よ。大丈夫。私は、ちっちゃな清川さんじゃないって、今なら分かるから。なんとなく、平気でいられるの」

 あまりに慌てる赤崎の様子がおかしくて少し笑うと、多少は気持ちが楽になった。

「分かっていても、やっぱりちょっと怖い。同じ体験を清川さんがしたと思うと……それに、赤崎も見たのよね? 事件後の清川さんの姿。少しの間、清川さんの過去を追体験したから、分かるの。清川さんが本当に怖かったのは、あの不審者じゃない。母親に愛されていないことを突き付けられることだったの」

「母親に愛されていないことを突き付けられること?」

 赤崎はオウム返しをした。

 いまいち話が呑み込めていないようだが、金森は気にせず言葉を吐き出す。

 吐き出さずにはいられなかった。

 過去の出来事を伝え、清川が過去にどれだけ辛い思いをしたのかについて、語った。

「小さな清川さんは、寂しいという言葉をよく分かっていなかった。とにかく胸の中心が冷たくてたまらなくて、何日も凍えそうになりながら過ごした」

事件そのものが、十分トラウマになりうる事柄だ。

 それに加えて、恐ろしい夜と記憶が襲いに来ても助けてくれる母親はいない。

 恐怖に殴られ、母親のいない寂寥が、「自分はどうでもいい存在なのかもしれない」という凍えが、清川にトドメを刺した。

「窓も何もかも直って、事件の跡形もなくなった頃、清川さんは思ったの。『ああ、あんな事件なかったんだ』って。自分はそんな恐ろしい目に遭っていないから、母親がはやくに帰ってこなくても当たり前だって。自分は愛されているんだって。大好きなおひめさまのことも忘れちゃったの」

「おひめさま?」

 眉間に皺をよせ、渋い表情を浮かべながらも大人しく話を聞いていた赤崎だったが、急に現れた「おひめさま」の存在に首を傾げた。

「棚の上に置いてあった、ガラス製の人形の事だよ。清川さんはあの人形を『おひめさま』って呼んで大切にしてたみたい」

「ああ、あの守護者によく似た人形の事か」

 ついさっき見た過去の記憶を探ると、美しい人形の姿が思い浮かんで赤崎は納得した。

 しかし、今度は金森が首を傾げてしまう。

「え? やっぱり似てないと思うけど……ってあれ? 赤崎、泣いてる?」

 先程から、少し震えた声が気になっていたのだ。

 顔を覗き込むと、赤崎は泣いてはいなかったが涙目になっていた。

「泣いてない!」

 視線に気が付いた赤崎は、プイッと怒ったように顔を背けた。

 強がる姿に、呆れてしまう。

「いや、赤崎の涙はそこそこの頻度で見てるし、今更恥ずかしがらなくても」

「何を言う! 俺は、泣いたことはないぞ!!」

 学ランの袖でグイっと目元を擦ると、フンッと胸を張った。

 しかし、目尻には涙が残っている。

 半笑いで呆れていると、赤崎の右肩から左肩へ、一匹の半透明な猫がしなやかに乗り移り、その尻尾で涙を拭ってやっているのが見えた。

 金森が驚いて二度見するも、既に赤崎の肩に猫はいない。

「どうしたんだ? 俺の肩になんかついているのか? ああ、埃か」

 自身の肩をチラリと見ると、赤崎は何でもないように埃を払った。

 金森が何度見つめなおしても、再び猫の姿を見ることはできず、赤崎に見えていないのなら自分の勘違いだったのだろう、と頭を振った。

「ううん、なんでもない。ともかく、清川さんは、凄く辛い目に遭ってたみたい。それこそ、記憶を消し去ってしまうくらいにさ。小さい清川さんは、耐えられなかったんだよ。もしも、私みたいに清川さんも過去を追体験していたら……」

 感覚を共有した金森でさえ、かなり狼狽えて狂ったようになってしまった。

 大人でも怯えるようなソレを、幼い頃の感覚ごと思い出してしまったなら。

 そこまで考えて、金森は両手を握り締めた。

「そうだな。金森響よりも怯え、正気を失っている可能性もある。俺は、金森響の腕を掴んで、こちらの世界に来たわけだが、まだ、清川藍にも、守護者にも会っていないのだ。大体、ここが何処かも、よくは分かっていない」

 ひたすらに話すことでようやく落ち着きを取り戻し、顔色も戻り始めていた金森だったが、赤崎の言葉で、ようやく自分が現実ではない何処かへ来てしまった事に気が付いた。

 慌てて、キョロキョロと辺りを見回す。

 すると、ここが誰かの一人部屋であることに気が付いた。

新品ではないが比較的新しいベッドには、ピンクを基調としたクマ模様の可愛らしい毛布が掛けられている。

 その上には、クマやウサギなどいくつかのぬいぐるみが並んでおり、枕の隣にはとりわけ大切そうに白い鳥のぬいぐるみが置かれている。

 ベッドの隣には新品の机があり、可愛らしい女の子の部屋、という印象を受けた。

「ここ、清川さんの部屋だ。それも、小さい頃の」

 ハッキリ断言すると、赤崎が不思議そうな表情を浮かべる。

「ほう。確かに女の子の部屋風だが、何故、分かったのだ? ここにきて、特殊能力にでも目覚めたのか?」

 口元に手を当て、場違いにもワクワクとした瞳を向けてくる。

「いや、さっき、一時的に清川さんと同化していたって言ったでしょ? だから、分かるのかも。あの時は暗かったから、部屋の様子はよく見えなかったけど。でも、ここは確かに、ちっちゃな清川さんの部屋だよ」

「ふむ。ならば、ひとまずここは清川藍の家ということになるのか」

 赤崎が眉間に皺をよせながら頷く。

「別の部屋に、二人はいるのかな?」

「おそらくな。さて、いつまでも此処にいても、仕方がない。他の部屋、とやらに行ってみるか」

 赤崎はドアの方へ歩いて行くと、おもむろにドアノブを掴み、グルリと回した。

 すると、ガチャリと音を立てて、ドアが突風に晒されたかのように勢いよく開いた。

 そのせいで、堅い木製の板が思いきり赤崎の顔面にぶつかる。

「痛い! 寒い!!」

 赤崎は片手で鼻を押さえ、その場でうずくまった。

「赤崎、大丈夫!? 寒い!!」

 唐突な暴力に晒された赤崎を心配して、金森が駆け寄る。

 しかし、開け放たれたドアの外からは冷たい風が勢いよく室内に流れ込み、金森を激しく攻撃した。

 鋭い寒さは体の表面を突き刺すが、それ以上に胸の中央を貫き冷やしていくようだった。

 巨大なツララの塊が胸を突き刺し、居座っているかのような錯覚がする。

 清川に同化した時と同じ寒さを体験し、ゾワリと鳥肌が立った。

 まずは、この異様な寒さに対処しなければならない。

 金森は隣でうずくまる赤崎を放置し、体を押し付けるようにして、力ずくでドアを閉めようとした。

 だが、風の勢いは異常に強く、ビクともしない。

「ちょっと赤崎! 手伝って!」

 一人ではどうしようもないことを悟ると、赤崎に救援を要請するが、あいにく彼も動ける状態ではなかった。

「無茶を言うな。こっちは鼻血まで出てるんだぞ」

 未だにジンジンと痛む鼻を擦って、骨折していないことを確認している。

 生理的に出てきた涙が凍り、まつ毛はカチカチになっていた。

 金森はそんな赤崎に一瞥もくれず、必死にドアを押し続ける。

「閉めなくちゃ、鼻血凍るわよ」

「鼻血とは、何をしなくても固まるものだ」

「いいから手伝って!!」

 怒りに任せて更にドアを押すが、やはりビクともしない。

 腕の力も限界に達し、押す力が少し緩んだ拍子にドアが勢いよく金森にぶつかる。

 そして、金森も水玉模様の可愛らしいカーペットの上で顔面を押さえ、ゴロゴロと転がる羽目になった。

 結局、赤崎は机の方まで吹き飛んでいた自分の学ランで、金森は清川の毛布を借りて暖を取り、二人で部屋の中央に座っていた。

 二人とも部屋のティッシュを拝借することで鼻血は収まっていたが、結局閉めることの出来なかったドアから流れ込む冷気に震えていた。

「大丈夫? 赤崎、入る?」

 毛布は子供用なので小さいが、それでも、ギリギリあと一人入れるくらいの余裕はありそうだ。

 金森は左手を広げて呼ぶが、赤崎は首を横に振った。

「いや、止めておく。そこに入ったら、警察に捕まる気がするのだ」

 神妙な表情を浮かべる赤崎に、金森は眉をひそめた。

「何それ? 部屋で凍え死にも、シャレになんないよ。ちょっと待ってて、枕の後ろにブランケットが隠されていたような」

 毛布を体に巻きつけたまま、金森はゴソゴソとベッドを漁った。

「なんでそんなことを知って……ああ、そうか、さっきまで清川藍と同化していたのだったな」

「そうそう、あった。って、アレ? なんか、暖かい?」

「あれ? なんで?」と言いつつ、金森はゴソゴソと枕の辺りを探る。

 やがて、金森はブランケットではなく、白い鳥のぬいぐるみを持って赤崎の前に現れた。

「赤崎、このぬいぐるみ、めっちゃ温かいんだけど」

 金森がぬいぐるみを手渡す。

 すると赤崎も、触れた手のひらからじんわりと入り込み全身を温めるような、優しい熱をもつぬいぐるみに首を傾げた。

「ふむ、確かに。カイロでも内蔵されているのか?」

 ぬいぐるみをクルクルと回すが、カイロが入るポケットのようなものは見つからない。

 ギュムッと抱き締めると柔らかく潰れるそれは、何の変哲もない、綿の詰まった布の塊のはずだ。

「わかんない。でも、なんか温かいよね。心なしか、この子の周りも温かいし」

 金森の言う通り、ふわふわとした純白のぬいぐるみは、それ自身が熱を放っているかのようで、周囲の空気をゆっくりと温めた。

 どうやら、ぬいぐるみから半径一メートルほどの範囲を優しく温め、酷い暴風と寒さから守ってくれるようだ。

「この子がいれば、いけるかも」

 二人は頷き合い、ぬいぐるみを手に廊下へ出た。


「ちょっと赤崎、寒いよ。もうちょい詰めて」

「分かっているが、これ以上詰めると金森響にぶつかるぞ」

 ぬいぐるみを持っているのは赤崎なのだが、彼は金森とくっつきがちになりながら歩くのに照れてしまって、少し距離を取っていた。

 だが、金森は照れよりも寒さから逃れるのを重要視しているので、不満げに文句を垂れた。

「別にいいわよ。この極寒にいるのよ? 多少ぶつかるより、暖かさの勝ちでしょ」

 そう言って思いきり赤崎にぶつかると、彼は少しよろけた。

「この程度でよろけるなんて、ちゃんと食べてるの?」

 たたらを踏んで体勢を立て直した赤崎に金森は眉根を寄せると、赤崎は不満げに自身の引き締まった腕を叩いた。

「当たり前だろう。少し油断しただけだ。こう見えて同年代に比べ筋肉もある」

「まあ、確かに目に見えてガタイはいいけどさ」

 金森が不毛に赤崎に文句を言い、突っかかっていると、すぐに隣の部屋のドアの前まで辿り着いた。

「開けないの?」

「あ、ああ。いや、さっきのドアバンの恐怖が、な」

 赤崎は、ぬいぐるみを両腕で抱き締めてドアの前で立ち尽くしている。

 金森は両手を広げ、少し小馬鹿にしたように笑い、

「情けないわね」

 と、自信ありげにドアを開けた。

 そして、先程のようにドアが勢いよく開くことを警戒し、ピョンと後ろへ飛びのいた。

 だが、予想に反しドアはゆっくりと開く。

 後ろへ逃げた金森はぬいぐるみの範囲から出てしまい、寒さに悶え、床を転がる羽目になった。

「寒い寒い寒い! 凍傷になる!!!」

 両腕を抱いてカタカタと震え、床で這いつくばる金森に、赤崎は残念なものを見るような視線を向ける。

「金森響……」

 赤崎が呆れながらも手を伸ばすと、金森は素早くその手を取り、ぬいぐるみごと温かい体に抱き着いた。

「温かい!」

「冷たい!」

 二人が大声を出すと、

「二人とも、何をしていらっしゃるのですか?」

 と、呆れ交じりの優しい声が聞こえた。

 思わず振り返ると、そこにいたのは、あの美しいガラス人形「おひめさま」だった。

 実際には、酷似しているだけで細部は異なる。

 だが、それでも金森の目には「おひめさま」に見えた。

 その体は全体的に浮いており、足元まで伸びたガラスの長髪が体全体を包み込んでいる。

 シルエットだけを見れば卵の様だ。

 呆れたように笑う目元は同じくガラスのまつ毛に縁どられ、異様に美しい。

 顔立ちや姿からは性別が分からない。

 しかし、その低い声は男性を思わせるものだった。

 また、ワンピースのようなローブを纏っているが、肩から先になるにつれて白い翼へと変化しており、額には一本、ガラスの角が生えていた。

 目の前の異様に美しい存在は、決して人間ではないのだろう。

「「守護者」」

 金森と赤崎の声が重なるが、一方は嬉しそうなもので、もう一方には疑問符と驚きがあった。

 金森は目を見開いたまま固まるが、赤崎は嬉しそうに笑っている。

「会えてよかった。無事か?」

「はい。皆さんは?」

 守護者はふわりと微笑む。

 その笑顔は天使のそれと同等の輝きを持ち、金森は混乱したまま拝んだ。

 赤崎の方は笑顔に目を潰されることもなく、平然と話している。

「俺たちは、まあ鼻血出したりはしたが、概ね無事だ。ん? どうした、金森響。何をブツブツ言っているのだ?」

 「え? あれが守護者?」「確かに人形に似ているけど」などと一人でブツブツと呟いている金森を不審に思ったのか、赤崎が怪訝そうに話しかけた。

「え、いや、守護者の見た目に異常ない?」

 金森には、いつも通りに守護者と会話をする赤崎の姿すら異常に映っている。

「ないな。いつも通りだ」

「そっか、じゃあ、私の目が変なのかも」

 首を振ってあっさりと言う赤崎に引きつつ、金森はしきりに目を擦った。

「お前は、いつも変だが?」

「あんたに言われたくないわよ」

 二人で睨み合っていると、ガラスの髪の束がポンと金森の肩を叩いた。

「お二人とも、何のお話ですか。それより、藍は一緒ではないのですか?」

 金森が頷くと、「そんな……」と、絶望したような声を出した。

 守護者は無言で廊下に出て、リビングの中を見せる。

 そこは、酷い状態だった。

「なにこれ」

 金森は茫然とリビングを見つめた。

 まるで台風にでも襲われたかのように、グチャグチャに室内は荒らされていて、現在も砂嵐のような強い風が渦を巻きながら吹いている。

 指を突っ込んだら切れてしまうのではないかと感じるほどだった。

 おまけに、食器やら椅子やらが風に載せられて踊り狂っている。

 足を踏み入れたら最後、無事では帰って来られないだろう。

「ここに来た時、私は過去の藍の姿を見ました。そして、藍の恐怖の正体や私が生まれた理由を知りました。もう、お気づきでしょうが、私はきっと、あの時藍が感じた恐怖と救いを求める気持ちから生まれたのです。そして、人形をぶつけてあの男を気絶させ、藍を救ったのだと思います。あの日から私は、藍の救われたい、守られたいという思いに応え、彼女を守ってきました」

 守護者は美しい瞳を閉じ、淡々と語った。

「過去を見た後は、気が付いたらこの家の物置に居ました。そこから藍を探して、まだ探していない部屋は藍の部屋とリビングだけです」

「私たちは、清川さんの部屋から来たよ」

 低い声に恐る恐る、そう返すと、守護者は真っ青な顔のまま「そうですか」と言った。

「何してるの、危ないよ!」

 金森の悲鳴を無視して、守護者は激しい突風の中に足を踏み入れた。

 さすがに砂嵐の中を駆けることはできないようで、守護者はゆっくりと、しかし、確実に進み出す。

 守護者は振り返って優しく微笑んだ。

 そして、そっと両方の翼を広げる。

 まるで、宗教画に描かれる美しい天使のように。

「私は、何故か平気なのです。だから、行ってきますね。お二人はそこにいてください。危ないですから」

 守護者は砂嵐の中をどんどん進んでいく。

 すぐに、その姿は見えなくなってしまった。

「どうしよう」

 金森は、ぬいぐるみを抱いてうずくまった。

 自分だって清川を探しに行きたいが、金森たちの柔らかくて弱い体では、三秒と立たずにバラバラになってしまうかもしれない。

そのすぐ隣で、赤崎も難しい顔をして唸っている。

「俺たちも、行くか?」

「でも、危なくない?」

 ぬいぐるみに顔を埋めたまま、返事をした。

 だが、赤崎はもう一度考えた後、

「このぬいぐるみは寒さや風を防ぐだろう? もしかしたら、このぬいぐるみがあれば、無事でいられるんじゃないか?」

 と、提案した。

 金森は顔を上げ、やがて頷いた。

「分かった。やってみよう。でも、そうなったら、このぬいぐるみの近くにいられなかった時のリスクが、もの凄く高くなると思うの」

「ああ、そうだな」

「だから……」

 そう言って金森はスッと立ち上がり、自身の背中を指差した。

「俺が、金森におんぶされるのか?」

「違う違う。おんぶは両方身動きが取れなくなったり、転倒するリスクがあるから、こうするの」

 金森は赤崎の背中に軽く抱き着いて、その両肩に腕を回した。

 二人は頭一つ分ほどの身長差があるので、金森はつま先立ちになり、どうしても体を押し付けるようになってしまう。

「こういう感じで、出来るだけ、ぬいぐるみから離れないようにするの」

 金森の目つきは真剣そのもので、ふざけたり、揶揄ったりする様子はみられない。

それに対し、急に抱き着かれた赤崎は背中にぶつけられる柔らかさと、ふわりと漂ってくる女性向けの洗髪料などによるフローラルな香りに動揺し、顔を真っ赤に染めた。

 まともに同性の友人もいない赤崎だ。

 女性への免疫などあるはずもなく、思春期の照れが前面に出てしまっている。

「は? え? は、離れろ!」

 モタモタともがいて金森を引き離そうとするが、非常に真剣な眼差しをする金森は赤崎の羞恥など、どこ吹く風だ。

「そうね、これには身長差という高い壁があるわ。だから、赤崎が私の位置に来るの。ぬいぐるみはどっちが持ってもいいけれど、多分私が持つ方が動きやすいわね」

 それは要するに赤崎が金森を後ろから抱き締める、ということだ。

 女の子と手を繋いだ記憶すら遥か彼方の赤崎には、ハードルが高すぎる。

余計に顔を赤くして狼狽えた。

「そ、そんな恥ずかしい事……」

 赤崎はモジモジと俯いて文句を垂れるが、

「羞恥心に負けてる場合じゃないの! 生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ!!」

 と、金森に鋭く一喝されてしまった。

 その真剣な迫力に圧倒され、赤崎は少しの間、沈黙した。

 生死を賭けた戦いという大変熱い言葉が、赤崎のテンションをガンガンと上げていく。

 決意した赤崎は、勢いよく拳を握る。そして、

「そうだな、金森響、俺が間違っていた。仲間を助けるのに羞恥心も命もいらない! いるのは勇気だ!!」

 と、宣誓した。

「その意気よ! 赤崎怜!! 行くわよ」

「おう!!」

 赤崎に呼応して、無駄に金森のテンションも上がる。

 こうして、少しカッコ悪い見た目になった二人は意気揚々と砂嵐の中に足を踏み入れた。

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