翌朝と登校
翌朝、守護者は昨夜の勢いをそのままに、清川を全身全霊で守っている。
ティッシュボックスを片手に、清川が少しでも朝食を頬や口の端に付ければニコニコと拭くという献身ぶりで、みそ汁を団扇で冷まそうとしたときには流石に止めた。
金森は清川も鬱陶しがっているだろうな、と彼女の表情を盗み見た。
しかし、清川は少し困りながらも嬉しそうに笑って、心底喜んでいることが見てとれた。
金森は若干引きつつも黙々と朝食をとり続ける。
『清川さん、ちょっと変ってるかも……』
二人は幼児と母親のようで、何度見ても違和感のある光景だったが、彼らが幸せならいいか、と苦笑いを浮かべた。
「しかし、清川さんは早起きだねえ。私、こんな時間に起きたの、久しぶりだよ」
時計は六時半を指している。
「え? そうかな、大げさだよ」
「いやいや、だって私、いっつもバスが出る十五分前くらいに起きて、怒られながらご飯かき込んで、大慌てで服を着て家を出るんだもん。バスを逃したら、ダッシュで学校に行かなくちゃいけないんだよ!?」
誰に頼まれたわけでも無いのに、金森は堂々と己の駄目さ加減を晒していく。
「それは、金森さんの生活が心配ですね」
お母さん、もとい守護者がしみじみという言葉が心に刺さり、ウッと胸を抑えると、清川が優しくフォローを始めた。
「で、でも、金森さんこの前早くに学校に来てなかった? まだ、皆来てなかったよ」
「ああ、あの日は宿題に手を付けてなかったから、大慌てで友子たちと宿題してさんだよね」
「金森さん……」
守護者が酷く残念そうな目で金森を見てくるので、耐えかねて視線を逸らした。
「で、でも、宿題やるだけ偉いよ」
清川のフォローも心にくる。
「き、清川さんはさ、いつも学校早いよね。何時に来てるの?」
辛くなった金森は、微妙に話題を逸らした。
「えっと、七時になるくらいには学校にいるかも」
「はっや!!」
朝の七時といえば、金森が布団に抱き着いている時間だ。
予想以上に早く登校する清川に驚くが、彼女は、
「そうかな? 部活の朝練の子達はもっと早くに来てるよ」
といった調子で、自分の登校時間が早いとは思っていないようだった。
朝練と比較し出す清川に、少し呆れてしまう。
「そりゃあ朝練だからね。清川さんは学校で何してるの?」
「読書だよ。いろんな本を読んでるんだ」
微笑む清川の隣で、例のごとく守護者はニコニコとご機嫌だ。
「なかなか、難しい本も読んでいるようですよ。しかも、ただ読んでいるのではなく、きちんと理解して読んでいるのです。藍の読書記録は、それそのものが、なかなかに読みごたえがあるものになっていますよ」
「へえ! それはすごいね」
フムフムと感心すると、清川がキョトンと首を傾げた。
「守護者が、清川さんはいろんな本を読んでて、読書の記録もつけてるって教えてくれたのよ」
「え!? ああ、でもそうか、守護者さんはいつも私と一緒だもの、知ってるよね。ちょっと恥ずかしい、かな。でも、そうなんだ。ちょっとした趣味なの」
照れた頬は真っ赤に茹っていて、とても可愛らしかった。
清川には金森が中学の頃に使っていたリュックサックを貸して、三人はのんびりと登校した。
バスに揺られて外を見ると、眩しい朝の光に照らされて長閑に愛犬と散歩をする老人や、涼しい風に吹かれて青々と茂る木々が見えた。
揺れるたびに清川が怪我をしていないか心配する守護者が、かなり不審ではあるが、おおむね爽やかな朝だ。
バスを降りて朝の匂いを嗅ぎながら三人で歩いていると、門の近くで腕を組み、ソワソワと生徒たちを睨む不審者、赤崎がいた。
赤崎は周囲の生徒に遠巻きにされ、ヒソヒソとバカにされ、若干涙目になりながらもその場に立っている。
「……おはよう」
仕方なく金森が話しかけると、三人を見つけた赤崎はパアッと顔を明るくして駆け寄って来た。
「待っていたぞ、金森響、清川藍、守護者!!」
堂々とした声は、メガホンでも使用しているかのように大きく、うるさい。
「うるさい!」
「おはよう、赤崎君」
「おはようございます」
朝からエンジンフル稼働で腹から爆音を出す赤崎に、金森は思い切り顔をしかめて怒鳴り返したが、清川と守護者の様子は和やかだ。
数人の生徒が金森たちの方を見るのが辛かったが、その視線は無視することにした。
「まあ、そう怒るな。俺だって清川藍が心配だったのだ。しかし、元気そうで安心したぞ! とりあえず教室で武器を渡そう。ついて来い!!」
「教科書でしょ! まともにしゃべりなさいよ、全く」
イライラと怒る金森の隣で、清川は楽しそうに笑っている。
四人が金森達の教室に着くと、早速、赤崎は肥大化したリュックサックから教科書や辞書を取り出した。
「これらは、今日は、俺は使わないからな。持っていていいぞ。数学や英語の教科書はその都度、取りに来てくれ、それから資料集だが、一部、俺のロッカーにあるのだ。しかし、少々量があってな。金森響! 手伝ってくれ」
「え~」
条件反射のように不満の声を上げた。
「私が手伝うよ。借りるの、私だし」
「いや、清川藍には荷が重かろう。だが、金森響なら大丈夫だ! 何せ、強いからな」
「そんな勝手な、まあいいわ。さっさと持ってきてあげるわよ」
渋る清川を置いて、赤崎に続き廊下へ出ると、彼は金森の隣に来た。
そして、声を抑えつつ、
「昨日何があったんだ?」
と昨夜の出来事について尋ねてきた。
清川がいる場を避け、本人に直接聞かなかったのは、昨夜の様子から彼女に気を遣った結果だろう。
金森はできるだけ簡潔に、昨夜について説明した。
しかし、金森は対して頭が良いわけでもないので、なかなか上手く説明することができなかった。
『まあ、赤崎は頭良いのかもだし、多分理解してくれるでしょ』
考え込む赤崎を横目に、そんな無責任なことを考えている。
「……清川藍のトラウマは、幼い頃に不審者が自宅に侵入し、襲われそうになったが何とか助かった、しかし代わりに大切な人形が壊れてしまった、ということなのか?」
「分かんない。そうなのかな? でも、その夢のことを、事件を思い出すのも怖いけど、その後を思い出すのが一番怖いって。どうしたの?」
釈然としない様子の赤崎に、金森は尋ねた。
「いや、ただ正直、その夢は大したことないな、と」
「はあ!?」
金森の中で、赤崎の株は基本的に下降を続けているが、今回は急降下だ。
「だって、清川さんあんなに怯えてたんだよ。あんなに怖がってたんだよ。大したことないわけないじゃない」
ギロリと赤崎を睨みつけると、彼は怒りにたじろいだ。
「い、いや、確かに清川藍の心情としてはそうだろうが、ただ、事件としてはそこまで大ごとじゃな」
「大ごとでしょ! ちっちゃい清川さんは怖かったと思うわよ! それを、アンタという奴は」
「それはそうなのだが、落ち着け、落ち着いてくれ」
ポコポコと怒り、握りこぶしをつくって小刻みに震わせる金森の両肩に手を置いて、怒りを宥める。
「俺の言葉が悪かったなら謝るさ。悪かった。ただ、夢の中で、清川藍は、直接何かをされたわけではなさそうだったからな。つい、そう思ってしまったのだ」
「ふーん」
焦った赤崎は捲し立てるように言うが、依然と金森の瞳は冷たい。
「そ、それに、清川藍はその後を思い出すのが怖いのだろう? まだ、何かあるのだろうかと思ったのだ」
「それは、そうかも」
清川自身がそう話す以上、ほぼ確実にトラウマには続きがあると思ってよいだろう。
もしも彼女の抱えるトラウマが現在にも通じることだったなら、なんと慰めればよいのだろうか。
それに比べ、夢の内容がそのままトラウマであれば、清川は直接、危害を加えられてはいない。
人形が壊れたにせよ何にせよ、完全に過去の事柄だ。
再び不審者が怖いと怯えるなら、そんなものは来ないと言ってやれるし、人形だって新しいものを買ってやるなり、話を聞くなりして清川の心を癒せるかもしれない。
そうであるなら、むしろ夢の内容がトラウマである方が、マシなのではないだろうか。
そこまで考えて、金森はパシンと己の頬をぶった。
「金森響!?」
突然の奇行に、赤崎が大きな声を上げる。
「ごめん、私もちょっと最低なこと考えた」
「お、おう。そうか」
少々引きながら、赤崎がロッカーのカギを開けて中身を取り出した。
「その荷物、私もちょっと持つよ。重いでしょ」
両腕に抱える資料集の束を半分ほど持つと、赤崎は首を振って遠慮した。
「別に重くはないからよいのだが」
「いや、そうじゃなきゃなんで一緒に行ったのって、清川さんもなるしさ」
「悪いな」
その後二人は無言で清川と守護者のいる教室に戻った。