金森宅と自己嫌悪
金森は暑がりだ。
そのため制服のブラウスは常に二つボタンを外し、スカートも短めにしている。
今日だって随分と涼しい恰好をしていたし、これが丁度良いとも思っていた。
しかし、そんな金森にとっても夜の冷えた空気は厳しいらしく、彼女は鳥肌の立った両腕を押さえて足踏みをした。
「う~、寒い。上着、持ってくればよかったかな。でも、日中は着ないしなあ」
気まずい沈黙が流れる中、金森が明るく笑った。
「上着なら、一応着てるよね? でも、やっぱり効果ない?」
「ぜんっぜん! 何なら無い方がいいかも! なんてね」
金森がウィンクすると、清川はやっと少しだけ笑った。
「やっぱり、迷惑だよね。ごめんね」
いきなり家に人が来ることになってしまったら、誘った本人は良いかもしれないが、その家族は困惑し、迷惑することだろう。
加えて、清川は自分の我儘で唐突に外泊を願ってしまった自覚があるので、しゅんと落ち込んだ。
しかし、金森はなんでもなさそうに笑う。
「今日うちに泊まること? 大丈夫だよ。そういや今日、家に親いないしさ」
「そうなの?」
「うん。お父さんはお仕事で海外に単身赴任していて滅多に家に帰ってこないし、おばあちゃんは世界旅行中。お母さんは友達と旅行に行ってるから」
あっけらかんと話す金森に対して、清川が目玉を飛び出さんばかりに驚いているのが、薄暗い街灯の下でもよく分かった。
「ドラマの世界みたい!」
パッと瞳を輝かせる清川に、不思議そうに首を傾げる。
「そう? まあ、ちょくちょく言われるけど、実際はそうでもないよ。基準が自分だから、『普通』なんて分からないし。ともかく、そんなわけで、お母さんは明日の昼まで帰ってこないんだ。だから、気にすることないよ。元々、誰か友達を泊めてもいいって言われてたし」
「そっか……ありがとう」
暗かった雰囲気も少しずつ明るいものとなり、金森と清川は世間話をしながら歩いた。
二人を見守る守護者は優しげだったが、苦しげでもあった。
「着いたよ」
案内したのは、古めかしい一軒家だった。
金森たちが住む石英町は比較的、新しい住宅街で、周囲には今時の新しくお洒落な建物が多い。
そんな中、やたらと大きな庭付きの金森家はやけに目立っていた。
古めかしく威厳のある姿が、特異な雰囲気を放っている。
「あはは、ボロいでしょ、ウチ……」
家はボロボロに朽ちているわけではなく、むしろ丁寧に手入れされているのだが、彼女の言葉はそういう意味ではないのだろう。
金森は乾いた笑いを上げるが、清川は緩く首を振った。
「そんなことないよ、素敵なお家だと、思う」
「アハハ、いいんだ。昔は、お化け屋敷とか散々言われたし。まあ、言ったやつは返り討ちにしたんだけれどね。ともかく、上がってよ」
玄関のカギを解錠すると、ガラガラガラと音を立てながら引き戸を開ける。
中は暗かったが、玄関のすぐ外に取り付けられたライトのおかげで、苦労することなく家に入ることができた。
玄関に入り、清川が靴を脱ぐとそれを金森が預かって靴箱に入れる。
ギシギシと音が鳴る廊下をほんの少し歩いた先に、大きな部屋に続く引き戸があった。
「ここが、まあ、いわゆるリビングかな。その辺に鞄を置いて、適当にくつろいでてよ」
金森は部屋の隅から座布団を引っ張り出し、大きなテーブルの前に置いた。
「いいもの持ってくるから、ちょっと待ってて」
ウキウキとはしゃいだ様子で、台所へと消えて行く。
清川は適当にくつろぐ、の程度が分からずに正座をし、その隣で守護者も正座をしていた。
二人が少し待っていると、台所の方からガサガサとビニールの袋を漁る音や、チンッという、何かを電子レンジで温めた音がした。
「ただいま~」
ご機嫌な金森の両腕には大きなビニール袋が掛けられ、両手には肉じゃがの入った器や取り皿、お箸があった。
「おかえり。わあ、すごいね」
金森はニコニコと袋の中身をテーブルに並べていく。
カップラーメンが数個とスナック菓子の大袋が二つ、チョコレートやグミなどの細々としたお菓子がいくつもテーブルの上に並んだ。
「お母さんが、友達を呼んだ時のために、用意しておいてくれたんだ。カップラーメンは、お母さんが留守中に食料が尽きた時にって。でも、清川さんが来てくれなかったら、この子たちは出番なかったかも」
「金森さんは、元々お友達を呼ばない予定だったの?」
いつも人に囲まれる金森だ。
金森が呼べば、誰でもこぞって家に来たがっただろうな、と清川は思った。
「うん。仲の良い子には声をかけてみたんだけれど、あんまり予定がね。あの人たち、彼氏持ちだから、休日は都合つかないんだよね~」
ドヤ顔で宿泊を断り、更に恋人のいない自分を煽ってきた友子を思い出した。
心の内で舌打ちをしていると、室内をグルリと見まわした清川が、
「そっか、お母さんがお家にいないの、やっぱり寂しい?」
と、眉を下げて問いかけてきた。
「うーん、まあ、確かに? 最初はインスタント食べ放題でだらけ放題だと思ったけど、もう三日目だからなあ。ちょっと寂しいかも?」
適当な返事をする金森に、清川は「そっか」と笑ったが、その表情は寂しげだった。
『ほら、せっかくお友達のお家に来たのですから、元気を出しましょう。金森さんが温めてくれた肉じゃが、すごく美味しそうですよ』
いつの間にか清川の鞄から取り出したらしいペンとメモ帳を使って、守護者はサラサラと文字を書いていく。
「そ、そうだよね。私、今、すごく楽しいよ」
両手を握ってカラ元気を出した。
「守護者、お母さんみたい」
金森が揶揄って笑うと、
『お母さん、良い響きですね。そう思っていただけるよう、日々を過ごしていきたいものです』
と、守護者はニコニコと笑って文字を書いて、おまけに、にっこりと笑った顔のマークまで描いた。
「それでいいの?」
若干呆れたが、先程からあまり元気がなかった二人に笑顔が戻って良かったな、と思った。
「まあ、おしゃべりはこれくらいにしてさ、ご飯食べようよ。私は……どのカップ麺にするか、迷っちゃって決められないや。清川さんはどれにする?」
「うーん、私はこの『おきつねうどん』で」
清川は、パッケージに狐が描かれたカップラーメンを指差した。
「この狐の絵が描いてあるやつ? 分かった。それなら私は『おたぬきそば』にしようかな。お湯を入れてくるね」
カップラーメンを二つ持って台所に去って行った金森は、アチ! アチッ! と声を上げながらも懸命にカップ麺に湯を注ぎ、
「アツツツツツツ!!!!」
と、叫びながらカップ麺を二つ両手に持って現れた。
「金森さん大丈夫!?」
「カップ麺の二個持ちは貴方にはまだ早いですよ!」
守護者は危なっかしい金森からカップラーメンを取り上げると、そのままテーブルに並べた。
「ごめんごめん。カップ麺って熱いのね」
「容器によるし、人にも、よるけどね。私も、カップ麺の容器は苦手だな」
カップラーメンを食べ慣れない金森が、ほんのり火傷気味になった両手を振って冷やしている。
「ありがとう守護者。助かったよ。う~ん、カップ麺ができるまであと数分か。そしたら、肉じゃがでも食べて待つかな」
二人は「いただきます」と手を合わせると、肉じゃがをつつき始めた。
「わあ、美味しいね。凄く、美味しい。あれ? どうしたの、金森さん。あんまり、食べてない?」
嬉しそうに肉じゃがを頬張る清川に比べ、金森の箸はあまり進んでいないようだ。
「うーん、美味しいんだけれどね……お母さん、私が飢えないようにって、冷凍で食事を作って行ってくれたんだよね。特にこの肉じゃが、多くてさ。もう、ずっと食べてるのよ……」
満腹になっているわけではないが、うんざりしてしまったのか、金森は怠そうに腹を擦った。
「食べ飽きちゃった?」
「うん。それに、お母さんが作ってくれたものを食べきらないと、カップ麺食べちゃダメって言われてるんだ。今だけは、因縁の相手なのよね」
そっとため息を吐いた。
『でも、いいお母さんじゃないですか』
「それは分かっているし、ありがたいんだけれどね。こんな時じゃないとカップ麺食べられないから、つい」
金森はバツが悪そうに頬を掻いて、切なげに肉じゃがの器を見つめた。
「カップ麺禁止なの?」
この世には、蛇蝎のごとくインスタント食品を嫌う者もいる。
金森の母親もその類いなのだろうかと、清川は首を傾げた。
「うーん、カップ麺を禁止されているわけではないんだけれど、食べる機会がないんだよね。普段はお母さんが料理作ってくれるし、週末は自分で作るし。一食をカップ麺にする家があるって聞くけど、家ではやらないからさ」
「そっか、私とは逆だね」
「そうなの?」
逆ということは、基本はカップラーメンのような出来合いの物を食べ、稀に手料理を食べるということだろう。
「私が小さい頃、事故でお父さんが亡くなってしまったの。それ以来、お母さんはずっと独りで私を育ててくれていて、一生懸命仕事をしてくれているんだ。私が将来困らないように、お金に不自由しないようにって。だから、お母さんは夜遅くになるまで帰ってこないんだ。ご飯も作る時間が無いから、カップ麺みたいなインスタント食品とかスーパーのお惣菜とか、食べてるの。誰かが調理したものを食べるのって、久しぶりだなぁって、思うんだ」
肉じゃがを頬張る清川の横顔は嬉しそうだ。
「私は、この肉じゃが好きだな。優しい味がする」
金森も改めて自身の母が作った肉じゃがを食べた。
美味しいが味付けは濃い目で、優しい味には程遠かった。
しかし、清川の言う「優しい」は、そういう意味ではないのだろう。
やがてカップラーメンも完成し、二人はそれを食べ始めるが、清川はカップラーメンを完食した後も美味しい、美味しいと肉じゃがを食べ続けていた。
金森家の風呂は広めで、浴槽で十分に足を延ばせるほどだ。
おそらく、高身長の人間が多い金森家の人々に合わせて造られたためだろう。
小柄な清川にとって、ほんの少しだけ温泉に入ったような気分を味わえた。
金森の好意で一番風呂をもらった清川は、あまり時間を掛けずに上がらなくては、と思いつつも、つい寛いでしまう。
おかしな話だが、自宅で過ごすよりも心が休まったような気がした。
風呂を上がれば、金森と守護者が待っているのだろう。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
浴槽の隅に乗っかるアヒルを掴んで、ぷっきゅう~と気の抜けた音を鳴らしてみた。
清川の家には無いそれは、とても可愛らしい。
「ここが私の家だったら、いいのにな……」
うっかり言葉が漏れて、口を塞いだ。
それは、物心ついた頃からずっと抱いては封印し続けてきた、清川の本音だった。
清川は、母親が自分のために働いていることを幼い頃から理解していた。
だからこそ、家族で出かける同級生が羨ましくても、町のそこかしこから聞こえる親子の笑い声が妬ましくても、他者の母親を求めるようなことは控えてきた。
そんなことを思ってはいけないと思っていた。
しかし、金森の家で楽しい時を過ごして、金森の母親が子を想う、その優しさに触れてしまった。
肉じゃがから、金森の言葉の節々から、彼女が大切にされていることが痛いほどに伝わってきた。
清川には、自分のために手料理を用意してもらった記憶が、ほとんど存在しなかった。
冷えたコンビニ弁当か、現金が机に置いてあるばかりだった。
つい、金森と清川自身を比べてしまう。
金森の母親と自分の母親を比べてしまう。
単純に比べることができないことも、自分の母親が自分を大切に思っていることも知っているはずなのに。
何でもないような顔で親の愛情を受け取る金森を思い出し、黒い感情が芽生え始めたところで、思いっきりアヒルを鳴らした。
アヒルの間抜けな鳴き声が、自分の醜さをかき消してくれるのだと思ったから。
「ごめんなさい」
誰かに、呟く。
あるいは、誰にも向けていないのかもしれない。
とにかく、自分の醜い気持ちを何らかの方法で浄化してしまいたかった。
清川は無意識のうちに両手を胸の前で組んだ。
いつも神様に、守護者に祈っていた時のように。