喫茶みどりねこ
オレンジに照らされた町並みは、どこか懐かしくて物悲しい。
色が変わっただけで、どこか別の世界に来てしまったかのような錯覚を覚える。
細い小道に入って、入り組んだ道を歩いていると何故か心細くて不安になるが、金森の言った通り、たいして時間もかからず喫茶店へ辿り着くことができた。
その店は一見すると小さな一軒家のようだが、門には看板が、玄関のドアにはプレートが掛けられているため、ここが喫茶店なのだと分かる。
普通に歩いていては存在に気が付けないだろうが、その存在を知って通れば、必ず喫茶店が目に飛び込んでくるだろう。
そんな不思議な魔力を持っていた。
「喫茶みどりねこ。ここが、金森さんの好きな喫茶店?」
猫のシルエットとコーヒーの葉や実が描かれた可愛らしいプレートを見て、清川が首を傾げる。
金森はニコッと笑って頷いた。
「可愛い、名前だね。それに可愛いお店。でも、おうちみたい」
「うん。ここは一部が喫茶店で、残りが姉ちゃんの家だからね」
金森が、ガチャリと音を立ててドアを開けると、リーン、という鈴の鳴る音とともにコーヒーの良い香りが漂ってきた。
赤崎が、「おお……」と感嘆の声をもらす。
建物はログハウスを思わせる作りになっており、家具も木製のものが多い。
そのおかげで、辺りに木の良い匂いが漂っている。
また、テーブルやレジの置いてあるカウンター、棚など、様々なところに小さな人形などが置いてある。
ガラス細工もいくつか飾られていた。
物に溢れ、ゴミゴミしている、というわけではないが、程よく置かれたそれらが喫茶店の雰囲気を、温かく親しみのあるものにしていた。
店内はさほど広いわけではなかったが、席が少ない代わりに通路が広くとられていて、開放感がある。
「姉ちゃーん、こんばんはー、来たよ~」
「あら、響ちゃん、こんばんは~」
車椅子の女性がカウンターの奥から顔を覗かせた。
少し癖のある茶髪を緩く一つにまとめて、肩に流している。
おっとりと垂れ目で、ニコニコと笑う優しげな女性が、器用に車椅子で四人の前に現れた。
女性は白いシャツの上に黄緑のカーディガンを纏い、そのさらに上に深緑のエプロンを身につけている。
白いロングスカートの上には、編みかけの毛糸の人形と編み棒が乗せられていた。
「ふふ、ちょっとだけ、久しぶりねぇ。あら? 後ろの子達は?」
「あ~、友達の清川藍さんと、一応、友達の赤崎怜……君、みたいな?」
苦々しい表情で言うと、友達と言われた清川はニコニコと嬉しそうに挨拶をし、「一応」友達と言われた赤崎は、心外そうに文句を垂れた。
「一応とは何だ! 一応とは!! 俺と金森響は仲間だろう!! 闇のナイトだろう! 相棒だろう!」
少し前から、定期的に赤崎は金森を相棒扱いしている。
あえて突っ込むまいと無視をしていたのだが、とうとう、
「うるさい、私はJKだわ! そして、アンタとは仲間でも、相棒でもないから!」
と吠えると、相変わらず不満そうな赤崎を無視して、女性にゴメン! と両手を合わせる。
「ごめんね、姉ちゃん。連れてくる人選、ちょっとミスったわ。なんか、うるさいかも」
「いいのよ~。今はお客さんもいないし、お客さんの中にだって、たくさんおしゃべりする人もいるんだから。それに私、賑やかが好きだわ」
女性は、おっとりと微笑んでいる。
「あ、あの、私は清川藍です。金森さんと赤崎君の、お、お友達です。よろしくお願いします」
モジモジとしていて、両頬が真っ赤だ。
その隣で守護者もペコリとお辞儀をし、女性には聞こえないだろうに、丁寧に、
「私は守護者と呼ばれる者です。清川藍の守護をしています。よろしくお願いします」
と挨拶をしていた。
守護者の挨拶が終わるのを待ってから、赤崎も挨拶をする。
「俺は赤崎怜です。金森響と清川藍は俺の仲間ですね。よろしくお願いします」
発言内容に引っ掛かりはあるものの、軽く頭を下げた。
格好は相変わらず不審者そのものだが、態度は爽やかでしっかりとしている。
その姿に、金森は驚きで目を丸くした。
随分と失礼な話だが、数秒前の好青年風の赤崎と、いつもの偉そうで堂々とした赤崎が結びつかなかった。
「え!? 赤崎、敬語使えたの!?」
大袈裟に驚く金森に、赤崎がムッと口を尖らせた。
「当たり前だろう。ナイトは礼節をわきまえるぞ。大体、敬語も使えないで、どうやって高校の面接をしたと思っているのだ」
水晶高校は決して低くはない偏差値の進学校であるため、多少頭が良くとも、敬語も使えない不遜な生徒は入学させないだろう。
「確かに。え? じゃあ、先生にも敬語?」
「何を当たり前のことを。俺は、大人には敬語だぞ」
赤崎はドヤッと胸を張るが、金森は信じられない、といった様子で彼を見つめている。
「ふふ、藍ちゃんに怜君ね。私は森川望です。よろしくね。さあ、立ち話もなんだから、どうぞ座って」
森川が席に座るよう勧めた。
金森たちがカウンターに一番近い四人掛けのテーブル席に座ると、森川はカウンターの奥にある調理場へ行って、お湯を沸かし始めた。
席によっては、料理をしている姿やコーヒーを淹れている姿が見える造りになっている。
「メニューは、これ。注文する時はカウンターに行って、お姉ちゃんに直接注文するの。で、出来たらカウンターに品物を置いて鈴を鳴らしてくれるから、それを私たちが取りに行くの」
金森が自慢げに店のシステムを説明した。
「なるほどな。ふむ、色々あるが、ここはコーヒーが売りの店なのか」
「私、あんまりコーヒー飲んだことないなぁ」
テーブルの真ん中に置かれているメニュー表を、二人は興味深げに眺めている。
「アメリカンコ―ヒーとかは、飲みやすいかもよ。私も、いつもそれだし」
「じゃあ、それにしようかな」
「俺もそれにしよう。それでは、注文に行ってくる」
赤崎がスッと立ち上がってカウンターの方へ歩いて行く。
カウンターに着くと、赤崎は、パチンと格好良く指を鳴らした。
「我、赤崎怜の名において召喚する! 闇に包まれし異国の自由香るドリンク!! アメリカンコーヒー!!! トリプル!!!」
「……は~い、アメリカンコーヒー三つでいいかしら~」
森川の声が震えている。
きっと笑っているのだろう。
「ああ、それで問題ない」
赤崎が自信満々で帰ってくると、金森はテーブルに突っ伏し、清川は目を白黒させていた。
「恥ずかしい……」
金森は耳まで赤くして、机に額を押し付けた。
「何が恥ずかしいのだ? 見事注文できただろう?」
「なんであんな注文したの!」
金森がポコポコと怒ると、赤崎は不思議そうに首を傾げる。
「ん? こういったカフェでは、注文時に呪文を唱えるのではないのか?」
「モチーバックスの事? 違うわ!! モチバだって、注文が呪文みたいに長いだけで呪文を唱えるわけじゃないし」
インターネットで、偏った知識を拾ってしまったのかもしれない。
「ん? そうなのか? だが、通じたぞ」
「お姉ちゃんが柔軟に対応してくれただけでしょ。普通、聞き返されるわよ」
加えて、最後、駄目押しのように出されたアメリカンコーヒー、という言葉が無ければ、決して伝わることは無かっただろう。
「赤崎君、普段もああいう感じで注文するの?」
清川が純粋な瞳で聞いた。
「いや、呪文縛りが無ければしないが?」
「ここにだってねえわ」
思わず口が悪くなってしまう。
すると森川がクスクスと笑いながら、カウンターのベルを鳴らした。
「赤崎はここに居て!」と言い残して金森がコーヒーを取りに行くと、お盆の上にコーヒーカップが三つと冷えたミルクの入ったコップが一つ置いてあった。
それを慣れた手つきで運ぶ。
「仲良しね」
森川が笑うと、金森は顔を赤くした。
「ほんと、恥ずかしい」
「いいじゃない。私は、響ちゃんがお友達を連れてきてくれて、嬉しいわ」
笑って、調理場の方へ去って行った。
金森はそれぞれの前にコーヒーカップを置き、自分の席にはコーヒーカップとミルクを置いた。
森川が持って来たクッキーを食べながらコーヒーを啜っていると、不意に赤崎がカウンターにあるガラス細工を指差した。
「あれ、守護者に似ているな」
「え? どれの事?」
そんな化け物じみた置物あったか? と、金森が不思議に思いながらカウンターに行ってみると、そこには、ガラスで作られた美しい人形があった。
長身の人物が瞳を閉じて立っている人形であり、その髪は足下に及ぶほど長い。
袖の長い、ゆったりとしたローブを着ているが、裾は足元で広がっているため、一見、ワンピースやドレスを身に着けているように感じる。
その顔立ちや体形から性別を知ることはできないが、穏やかで優しそうだ。
「え? これが? 全然、似てなくない?」
金森は目を見開いて、人形と守護者本人を見比べる。
守護者は、背の高い赤崎よりもさらに大きく、全体的に丸っこい卵のようなフォルムをしている。
また、額の辺りからは一本角が生え、腕の代わりに触手を二本、生やしている。
輪郭がチラチラと揺れ、半透明でガラスの塊のように映る姿は、確かに手元の人形と似ているかもしれないが、それ以外、ほとんど共通点が無い。
少なくとも、似てはいなかった。
金森はいぶかしげな顔で、手元の人形を凝視する。
「何を言っているのだ。似ているだろう」
「え? その人形守護者さんに似ているの? 見たい、見たい!」
はしゃぐ清川に「いや、あんまり似てないよ」と、その人形を手渡すと、清川は宝物をもらうように受け取って、あらゆる角度から眺めまわした。
「こら、ローブを覗いてはいけませんよ。そんなに見つめるものではありません」
守護者は照れて文句を言うが、当然、清川には聞こえていない。
今も、キラキラとした瞳で人形を見つめている。
「この人形のどこが似ているのよ。どこも似てないじゃない」
「そうか? 結構似ていると思うが。まあ、角の有無など、細かいところは違っていると思うが。だが、雰囲気はそっくりだぞ?」
赤崎も守護者と人形を見比べて言った。
「雰囲気? 似てないわよ。大体、触手だって無いじゃない」
人形を指差す金森の声は驚きで大きくなっているが、赤崎の方も彼女の発言に驚いたようで、呆れたように眉をひそめている。
「触手!? 何を言っているのだ、金森響は。そんなものは無いぞ」
「私に触手はありませんよ。触角はありますが」
触角と言われれば、暗闇の中をゴソゴソと隠密活動する黒い虫に二本生えた、立派なソレが真っ先に思い浮かぶ。
「触角!? 虫系なの!?」
驚きで守護者の触手、改め触角を引っ張ると、守護者が「イテテ」と悲鳴を上げた。
「虫の触覚じゃなくて髪の方だ。虫なわけがあるか」
「髪? 髪!? ホントだ! 触り心地が、サラサラ髪染めサンプルと一緒じゃない!」
今度は触角をシャラシャラと弄ぶ。
言われてみれば、髪のような気もする。
金森の中でまた一歩、守護者が化け物に近づいた。
三人が騒いでいると、ゴッと鈍い音が清川の方から聞こえた。
音の鳴った方を見れば、清川が頭を押さえて机に顔を伏せている。
額には汗をかき、顔色が真っ青だ。
「藍!」
守護者が叫んで清川に駆け寄る。
「大丈夫ですか、どうしましたか?」
懸命に声をかけるが、守護者の言葉は清川には届かない。
背中をさすってやっても、清川は気が付くことができない。
想像以上に苦しく、痛ましい光景だった。
どんなに守護者が清川に尽くして行動しても、彼女はその存在を自力で知ることはできないのだから。
苦しんでいた時間はそう長くも無く、金森が水を持って来る頃には大分良くなっていた。
「大丈夫? 具合悪い?」
金森がそっと声をかけると、清川は頷いた。
「ごめんね、コレを見てたら、なんだか、急に頭が痛くなって。あっ、あの人形、大丈夫だった? 割れてない?」
人形の無事を問う清川は青ざめていて、何故か、酷く狼狽している。
「ああ、無事だ。ほら」
赤崎は手元のガラス人形を見せた。
どうやら清川がテーブルに人形を落とした際に転がり、床に落下しそうになっていたのを慌てて受け止めたらしい。
人形の無事を確認した清川が、ホッと息を吐く。
「ああ、よかった。もしも割れてたら、私……っ」
言いかけて、再び額を押さえた。
先程よりはマシなようだが、それでも清川は辛そうだ。
「なんだろう、偏頭痛、なのかな? ごめんね」
口元を引きつらせて小さく謝ったが、金森はフルフルと首を振る。
「大丈夫、謝ることじゃないよ。それより、どう? 体調、やっぱ辛い?」
「うん。実は少し。でも、大丈夫だよ」
金森たちを元気づけるように笑った表情が痛々しい。
守護者はオロオロとおしぼりに手を伸ばそうとして、止めていた。
清川に物理的に向かってくる脅威には強いのかもしれないが、彼女自身の体調不良や、心の傷から守ることは苦手なのかもしれない。
赤崎はチラリと三人の様子を確認してから、スマートフォンのロック画面を見た。
「ふむ、もう大分いい時間だな。清川藍も、体調不良となれば辛く、一刻も早く休みたいだろう。本日のところは、お開きとするか」
守護者が頷き、四人は会計を済ませて喫茶店を出た。
それぞれのポケットにはいくつかの飴玉が入っており、清川のポケットには特に多めに入っている。
それらはいずれも森川が渡したものだ。
清川の飴が多いのは、薬を渡せるわけではないが、少しでも清川の体調がよくなるよう祈って、との事らしかった。
清川はそれを聞いて、嬉しそうに微笑んでいた。