36 コロッケあがってます
そんなこんなで綾さんのおうちに向かう道程。駅前のアーケード街をてくてく歩く私と瞳巳先輩を、左右からお惣菜の香りが誘惑します。
「すごい、揚げ物がショーウィンドウみたいに並んでるのね!」
「ショー……ウィンドウ……」
的を射てるのか外れてるのか判断に困る表現を繰り出しつつ、庶民向けの商店街が初めてらしい瞳巳お嬢様は、目をキラキラさせはしゃいでいらっしゃる。
いずれメジャーなアイドルになってバラエティ番組のロケに呼ばれたなら、ごっそり撮れ高をもぎ取ることでしょう。
「ねえねえ見て琳子さん! あのコロッケすごく美味しそう!」
それはもうギャップ萌えで思わずにやけてしまうのだけれど、だからこそ、そんなにはしゃがないでほしいです。メカクレモードの私と違って美少女全開の彼女は、とにかく目立ってしょうがない。
さっきから付かず離れずの距離でこちらをチラ見している、チャラめな男子高校生グループの存在がすごく気になります。
「……先輩、もうちょっとテンション抑えて……」
「ええ、何度も言われなくともわかっているわ」
わかってくれないから何度も言ってるわけですが。
それはそれとして、たしかにそこのお店のコロッケは絶品。芸人さんが街ブラしてコロッケ食べる番組にも紹介されたことがあります。
「そのコロッケは綾さんも大好きで、ときどき二人でいただいてました。サクサクのほっくほくでとっても美味しいんです」
「サ……サクサクのほっくほく…………じゃあ、こちらを綾さんへの手土産にしましょう!」
提案する会長の目が完全にコロッケになっています。これがひと月前までおっそろしい石化の魔眼だったとはとても思えませんね。……まあ、それはそれとして。
「よい考えですね。綾さんもきっと喜びます」
「でしょ!」
私の賛同を聞き終える前に、彼女はすみれ色のスカートをふわりと翻し、店頭に小走りで駆けてゆきます。苦笑を浮かべて見送った私はそのとき、ゾワリと鳥肌が立つのを感じます。
「──ね、おねえさんヒマ? ヒマだよね!? 一緒にカラオケでも行かない?」
先輩が離れるタイミングを狙っていたかのように、声をかけてきたのは例のチャラ男子グループの一人でした。
おそらくは瞳巳先輩の美少女っぷりに惹かれつつ、そのオーラに気圧されていたけど、チョロそうな私だけになったから声をかけた……ってとこでしょうか。
サキュバスな自我が出てくるほどクズかどうか判別できない、金髪にピアスの同世代男子。たぶん彼らこそ琳子のもっとも苦手な生命体……。
「……ぅ……ぃぇ……」
「いまウンって言った? よく聞こえなかったけどOKってことだよね? もちろん、あっちの子も一緒でいいからさ」
「ていうか、あっちの子だけでもいいいよ」
「バカ、お前は黙ってろ」
うぐうっ、喉が詰まって声が出せない。相手の目をまともに見れないから、魅了もしようがない。
──先輩! はやく! 男子をあしらうの得意ですよね!?
救いを求め視線を向ければ、お店のおばちゃんと盛り上がっている先輩の後ろ姿が見えます。ええい、これだからコミュ強者は! ハムカツの試食とかしてる場合じゃないんです!
「てかキミも、よく見るとけっこう可愛くね? ちょっと前髪上げて見せて」
うつむいた私の顔を覗き込んでくる金髪男は、あろうことか私の前髪に触れようと手を伸ばしてきます。──さすがに調子に乗りすぎ。セリフもなんか失礼ですし、もうクズ認定でいいのでは!
「気安く、触れないで」
「……え……?」
前髪を半分持ち上げて右目を露わに、金髪男と目を合わせます。この坊やに身の程というものを教えてあげましょう。
「……なんだ、おまえ思ったほど可愛くないな。聖女様もこんなもんか」
しかし私の魅了の魔眼を覗き込み、聖条院の俗称を口にしながらニヤリと笑う金髪男。その瞳はどこか虚ろで光なく、目の前の私でない別の何か──暗い穴の底でも、見ているようでした。
「いいから来いよ。おまえ、誰とでも寝るんだろ?」
これは、一体……? 視線を巡らすと、彼の背後でニヤける少年たちも同じ目をしています。
どうやら先ほどの鳥肌は、コミュ障としての拒絶反応だけでなく、サキュバスの本能が発した警告でもあったようです。
彼らは、すでに何者かに魅入られている。私の魅了で上書きできない、少なくともサキュバスよりは格上の誰かに。
どうする? 先輩の方を見ると、なぜか色紙にサインを書いているところ。その間にもじわじわと周囲を取り囲む他の少年たち。ここは夢の中ではないから翼刃で斬り捨てるわけにはいかないし、もちろん大人しく付いていくなんて論外です。私、清楚系ですし。
いや実際、不純異性交遊にせよ暴力沙汰にせよ、もし氷の風紀委員長様──北大路さんの耳に入りでもしたら……想像しただけであの寒気が蘇ります。
「んじゃ、行こうか」
正面の金髪男が私の腕に手を伸ばした瞬間。
「──ちょっといいかな?」
彼の後方から聞こえたのは、控えめながらよく通る声でした。
「あ?」
──え!?
私を含む全員がそちらに視線を向けて、呆然とします。
アーケード街の出口から差し込む夕日を背負って立つ、無表情な一人の少女。
黒いセーラー服の胸元に青いリボン、比喩でなく雪のように白い肌と、染めているにしてはあまりに透明感のある白金髪のポニーテール。
「その……制服は……」
「鬼女様……」
少年たちが狼狽えながら口にした「鬼女様」は、我らが聖条院女学館の姉妹校ながら、近隣最凶の不良女子校として名を馳せる百目鬼女学園の俗称でした。
「そちらの女の子、お困りのようですが」
口調は丁寧だけれど、淡々とした中に異様な迫力があります。彼女の凛とした美貌と、カラコンとは思えない深く蒼い瞳のせいでしょうか。
──だけど、私が呆然としてしまった理由は迫力ではなくて、彼女があまりにもよく似ていたからです。
前世のいちばん最期の、いちばん大切な記憶の中にいた聖女に。




