29 正義 VS 清楚
「──全異世界最強の異法蒐集者です」
言い終えると同時に、女神の姿は勇者セイギの後方へ、ふわりと飛翔して移動する。
当の勇者の方は、謙遜するように苦笑を浮かべながら魔剣と化した右手の切っ先をゆっくり下ろす。周囲の人々がざわつきながら、距離を取ります。
「この覇鏖剣は、とある世界で魔王を滅ぼした伝説の武器──それを肉体に融合させた異法武器。だから身一つでどんな世界に転移転生しようと、彼は最初から最強の武器を使えるの」
推しを語る古参オタクのように饒舌な女神の講釈は、まだ続きます。
「さらにあらゆる肉体損傷を自動完癒の異法で瞬時に回復してしまう。そのために必要な魔力は心臓代わりの皇龍炉心によって無尽蔵だから、不死身と呼んでもいいでしょう。まだまだあるわ、ぜんぶ聞かせてあげましょうか？」
「……けっこうです、胸やけがしてきました。それに」
彼のことを私は、前世記憶で知っていました。見た目が違うのは、そこから更に転生を挟んでいたからでしょう。おかげですぐには記憶と紐づかなかったけど、女神の話で完全に繋がりました。
「私の世界で遭ったことがあるから」
「あら。それじゃあもしかして、あなたも……？」
「──ええ、私も彼の獲物でしたから」
そして私の知る彼は、魔物たちを圧倒的な強さで追い詰めて、相手の種族も雌雄も問わず、犯しながら嬲り殺す異常者だった。
転生転移を繰り返すなかで壊れてしまったのか、あるいは元来そういう人間ゆえ至った境地なのかは知り得ませんが。
「あらそうなの。とっても同情するわ」
彼が関わっているのならきっと、ゴルゴーンの最期はあらゆる尊厳を踏みにじられる、無惨で理不尽なものだったのでしょう。
天乃はステージ上で呆然と立ち尽くしています。スポットライトの光は薄れ、せり上がったステージもじわじわと低くなってゆく。
このまま夢が悪夢で塗りつぶされたら、彼女はさらに頑なに復讐に囚われてしまうかも知れない。それだけは何としても避けたい。けれど前世の彼に対する記憶は靄がかかったようにぼやけて、それ以上のことは思い出せないのでした。
「皆さま、そのひとから離れてくださいませ」
声帯に魔力を込めた蠱惑の魅声で、上空から呼びかけます。本来は耳もと囁き用なので効果は希釈されるけれど、気休めにはなるはず。
聖人が海を割るごとく、群衆の波が左右に退避してゆく。露わになった淡い白に発光する床面に、無造作に立つ勇者と、後方から見守る女神。
「そういう扱いは傷つくなあ。僕も日本にいたころ……ええとなんだっけ名前……そうそう、田中 聖義だったころは、オタクだったのに」
わざとらしく嘆いてみせるセイギの前方に、距離をとってふわり着地する私。
変わらず浮かべた爽やかな微笑の仮面の下に、口角の裂けるほど吊り上がった嗤いが透けて見えるようです。
「だから安心して。みんなを守るために、魔物は僕が退治するよ」
そう言い終えると同時に、溜めも構えもなく自然に踏み出す。次の瞬間には一瞬で間合いを詰めた彼が、吐き気を催すほど濃厚な嘘の匂いとともに、私の眼前で魔剣を振り下ろしていた。
──疾ッ!?
翼を咄嗟に頭上で交差させ、縁刃で受け止める。しかしその片腕の一撃の凄まじい重さに、耐えられず片膝をついてしまう。片翼では受け切れなかったでしょう。
「どう？ 再戦してみる？」
女神が勇者の後方から、愉しげに煽ってくる。
「彼が相手じゃあ、どうせ同じ結果になるでしょうけど」
「……ッ、女神さまはずいぶんと、彼にお詳しいようですね」
翼を内側から両手で支え剣圧に必死で抗いながら、私は言葉を絞り出します。
「まるでご自身が転生させ、チートを与えて、ここまで育てあげたみたい」
「────気のせいよ」
一瞬の間と、無感情な否定。嘘の匂いは、勇者のそれが強すぎてわからない。
その間にも魔剣の刃は、勇者の皇龍炉心から滲み出した白い光に包まれて鋭さを増し、メリメリと嫌な音を立てながら翼刃の外縁に喰い込みはじめる。
このままではまずい。どうすればいい。──彼女なら、どうする？
「クッ……そう……ですよね。それじゃあまるで、自作自演だもの……！」
痛みを堪えて発した言葉と同時に私は、翼を縮小して背中に収納する。
唐突に拮抗する力が失われて空振る魔剣の切っ先が、のけぞった鼻先を掠めてゆく──けれど途中でぴたりと止まり、返す刀が風を裂いて、私の右肩を深々と貫いていた。
やはり、小細工は通用しないようです。
「くふッ……！」
灼ける痛みに声が漏れる。同時に、勇者の口元に貼りついていた微笑が、いびつに歪む。
「ああ……柔らかい肉に……いい鳴き声だ……このために僕は勇者をしている……！」
「あぐッ……やめ……て……」
血にまみれた傷口をこじあけるように、ぐりぐりと刃を蠢かせる。そのたび、激痛とともに血しぶきが舞う。両手で掴んで引き抜こうとするけど、びくともしません。
「もう……許し……て……」
「いいぞ……お前はすごくいい……！ ほらもっと無様に足掻け！ もっと憐れに鳴けッ！」
「お願いです……いいことしてあげるから……」
「ふはッ！ 凌辱以上の悦楽なんてない！ それが多重転移の結論だ！」
懇願する私を憑かれたような目で見つめ、ずぶずぶといびつな魔剣の刃を肩にゆっくり根元まで突き刺していく。
これが、勇者の本性。そして私も今こそ──
「それじゃあ、これはどうかしら？」
──艶やかに微笑みながら、魔性を解放する。
「……魔性器變……」
