27 彼女はアイドル
──女神の口元から、微笑が消えた。
「……さすがは、小悪魔ね」
「お褒めの言葉、光栄です」
応えたのは、聞き覚えのある声とフレーズでした。同時に隣でうずくまっていたゴルゴーンが、ぼろぼろと何かを振り落としながら立ち上がる気配。
「呆れてるだけと、何度言えばいいの」
そこには、担当カラーである蒼と濃紺のステージ衣装ときらきらのアイドルメイクをまとった天王洲 瞳巳──いえ、ヘビクリのセンター、スーパーアイドル天乃ちゃんが降臨していました。
──わあ、本物。
動画でしか見たことのない私は、その何倍もの可愛さ美しさに思わず感動してしまう。
正直、彼女のことを調べる過程で私は、すっかり天乃推しになっています。
そんな熱い視線を気にも止めず彼女は、ボリュームのあるスカートを抑えながら屈み込むと、足元にたくさん散らばった青い鱗を一枚、拾い上げる。
「琳子ならわかるでしょう? 復讐も私の一部なの。簡単に切り捨てることはできない」
その言葉を聞いて、女神の口元には再び微笑が浮かんだ。
「そうでしょう、ゴルゴーン。あんな憎しみを忘れられるわけない。さあ、あなたにもっと魔力をあげ──」
「──いいの、切り捨てなくても」
女神の言葉を遮って、私は天乃の手を取る。拾い上げた鱗をきつく握った掌を、両手でふわりと包み込みます。
そのとき女神の口元から、きっと気のせいだろうけど、まるで舌打ちのような音が聴こえた。
「だから、天乃の夢も切り捨てないで」
「……それは……んふッ、ちょっと何を……」
包んだ彼女の掌に、繊細無比なる秘撫「天使の先触」を発動して──力の緩んだ指の内側にお話し券をすべりこませ、すぐ手を離す。
そして背中の翼を開き空中へと舞い上がった。
「ごめんあそばせ、女神さま」
不敬を謝罪しながら女神の頭上を超えて宙返り、その遥か後方に着地する。掲げた両手にはそれぞれ、蒼い光の剣のごとく、高らかに掲げるペンライト。
「さあ! 皆さん行きますよっ!」
ォオォオオオオ……!
光しかない周囲から、低く静かに地鳴りのような声たちが応える。
清楚系としての慎みはいったんお休みにして、お腹の底から声を絞りだします。
「てーんの! てーんの! はいっ」
……てーんの……てーんの……
私の呼びかけに追随して、無数の声が天乃の名を呼ぶ。空間に満ちていた光が、徐々に薄れはじめた。
……てーんの! てーんのっ! てーんーのっ!
薄れた光の下から現れるのは、私と同じく両手に蒼の光剣を掲げた同志たち。コールはどんどん大きくなって、反比例するように光が──その根源である女神の背負った後光が、枯れた花のように萎んでゆく。
そうして光が薄まるほどに客席は拡がり、やがてコールは嵐のように。
「──なんだか、にぎやかね」
それを背に浴びて、淡々と言い捨てる女神の輝きはみるみる失われてゆく。
その前方で俯いた天乃は、いつの間にか差したスポットライトのなかで、鱗と紙片を握った右手を見詰めている。
『ねえ、天王洲先輩』
そのとき、コールを続ける同志のど真ん中にいるはずの琳子の声が、なぜかステージ上の天乃の間近で囁いた。
出どこはもちろん彼女の握った紙片──手を開けば、表面のQRコードが蠢いてドット絵の黒猫になり、『にゃあ』と一言ご挨拶。
──なにせ、遠隔お話券ですからね。
『先輩の思い出を、すこし覗かせていただきました』
「そう……」
短い答えは、湧き上がる何かを堪えるように無感情。
『だからあなたがあの日、綾さんを止めようとしていたことも知ってる』
そもそも会長自身が、御堂に狙われていた。アイドル活動を学校にバラされたくなければ絵のモデルになれ、と。そうして追い詰められたとき、彼女の中のゴルゴーンが覚醒したのだ。
──そのとき御堂は石化され、そして解呪された。そう、石化はあくまで仮死状態であって、死ではない。彼女はまだ、誰も殺してはいなかった。
御堂の黒い繋がりを復讐に利用すると決めてからも、奥に追いやられた瞳巳の部分は、利用することになる女生徒たちへの罪悪感をずっと抱えていた。犠牲者がもう増えないように御堂の行動を監視し、牽制していた。
──美術準備室に現れたのも、最初は私を救うためだった。
『アイドルになる夢を叶えるため、あなたが積み重ねてきた努力も知ってる』
その間もずっと、コールは響き続ける。天乃を呼び続ける。
『だったら、アイドルになって大量の人間に崇拝される──いいじゃないですか、それもひとつの復讐ってことで』
「──ほんとうに小賢しい。さすがは小悪魔」
『お褒めの言葉、とっても光栄です』
もはやお約束のやりとりだけど、いつもの否定は返ってこない。
かわりに彼女はスポットライトの中で、右手をゆっくりと顔前に掲げた。
使用済みの券は光の粒になって鱗に吸収されてゆく。青い光に包まれた鱗は、ゆっくりと一本の青いマイクに形を変えた。
それを、握りしめ。
「──ええ。ご褒美に私の舞台、堪能していきなさい」




