16 それが私の清楚系
「──そのために、石化しまくらなきゃいけないのよ」
それは世界を救う使命感より、大義名分のもと人間に復讐できる悦びに酔った声。
「御堂は、私が利用していたの。一度にたくさん、この国が崩壊するくらい石化しまくる舞台をお膳立てするための、人脈をつくらせていた」
何か言おうとしたけれど、言葉が浮かばなかった。浮かんだとしても、たぶん声にならない。
「あなたは、それを台無しにしようとしてる」
お友達のため悪徳教師を懲らしめようとしただけなのに、私はいつの間にか、日本を崩壊させる陰謀に首を突っ込んでいたらしい。しかもそれは、さらに大きな規模の世界を救うという壮大な目的のためだという。
──いやいや待って、さすがに一介の女子高生には荷が重い。とにかく心を落ち着けなくては。
こういうときは、やっぱりあれを……。
「……夜露に泣きぬれた花弁…………ほころんで…………猛々しい大蛇…………鎌首をもたげ……」
「あなた、何を詠唱しているの? 無駄なことはおやめなさい」
私が小声で唱えたそれに耳ざとく反応した生徒会長は、鋭い言葉で制止します。
「あっ、違うんです。詠唱とかではなくて、落ち着くためのルーティーン的な……」
それは私のお気に入り官能小説──お馴染み卯月シズク先生の傑作「性春のいななき」の一節の暗唱です。効果はてきめん、鼓動は落ち着きを取り戻し、思考は冴えわたってゆく。
「……まあ、いいわ。あなたが何も聞かされていないのは、期待されてないからでしょう。たかが小悪魔ですものね」
「そうかも知れません。おっしゃる通り、私の前世は夢魔ですから。ところで、そういうあなたは何者なのですか?」
何はともあれ相手を知らねばならない。彼女が何者か、見当は付いていたけれど確認のために聞いてみます。
「私の前世? いいわ、教えてあげる。現世の神話にも刻まれた、数多の魔物の祖たる我が名──」
鏡の中からわたしを見つめる彼女の、唇が蠢いた。
「──ゴルゴーン」
まるで刑を宣告するように、自らの名を告げる。
その正体がどんなに予想通りでも、思わず息を呑んでしまう。
ギリシャ神話のゴルゴーン三姉妹。
その末妹が、かの有名なメデューサです。
髪の一本一本は蛇、瞳を見たものは石と化す。場合によっては下半身も蛇身だったり、黄金の翼で空を駆けたりもする。ルーツは女神だなんて話もあったはず。
「わかるでしょう? 異なる世界に生まれようと、強き名前を持つものは、その名に相応しい力を得るのが摂理」
つまり彼女──異世界のゴルゴーンも、こちらの世界で伝説に語られるゴルゴーンと同等の力を持つということ。それは、本能で理解できます。もし軽はずみに振り向いていたら、きっと私も石になっていたでしょう。
「格の違いを理解できたなら、この件はもう忘れて、そこらの人間相手にちまちま精でも吸っておいでなさい。そうしたら同じ転魔のよしみで見逃してあげる」
相変わらず見下し切った言葉を吐き捨てて、彼女はくるりと踵を返す。
私は無言で鏡のなかの、まっすぐな背筋を見送ります。
だけどさっきまでとは違い、わたしは彼女の言葉を受け入れていない。
だからしっかりと腹を立てています。
世界の歪み? 天秤の傾き? そんなの知ったことじゃない。
大切なお母さまや綾さん、いつもBL小説の話題で盛り上がる文芸部の文月先輩、それに今日できたばかりの三人のお友達だけじゃない──この国に生きる何の非もない人たちみんな、石化させていいはずがない。
ぶっちゃけ、勝算はない。まだない。
けれど、彼女は私の官能小説の暗唱を、あの時たしかに警戒していました。本当に私が歯牙にも掛からない雑魚ならば、そんなもの気にも止めなかったのでは……?
美術準備室から廊下に一歩踏み出し、清貧な胸元の銀の校章をきゅっと握りしめる。前髪の下から、遠ざかる背中を見詰めて誓います。
私は生徒会長に立ち向かう。陰謀を、阻んでみせる。
──それこそが、清く正しい私の清楚系だから!




