15 転魔なるもの
「地獄に落ちろ」
黒い旋風と化した翼刃が弄ぶように、少しずつ彼の全身を細切れにして、最後に私の片手にぶら下がった頭部だけが残った。
意識を残したまま慟哭するそれを、足下に広がる彼自身の血でできたどす赤い池に、無造作に落下させる。
上を向いた顔が、じわじわと血の池に沈んでゆく。
助けを求めさまよう視線の先では、部屋中に飾られた彼の「作品」の中の少女たちが、瞳から血の涙をこんこんと溢れさせています。それが壁を伝って流れ落ち、血の池の水深を増していくのです。
「念のため、失礼いたしますね」
頭が水面に浮かばないように、わたしは靴底で彼の顔面を踏みつけます。そうして、みるみる増える水深が腰あたりまできたころ、ごぽりと大きな泡が赤い水面に浮かび、それきり静寂が訪れました。
同時に美術準備室全体が、溶けるように消滅しはじめます。──どうやら、おめざめの時間のようですね。
彼が夢でどんな無惨に殺されようと、残念ながら現実の肉体に影響はありません。ただし、夜眠りにつくたび彼は、刻まれた悪夢を反芻することになる。
どんなに図太い精神でも、いつまで耐えられるか……見ものですね。
──ゆっくりと、目を開ける。
私の前には、元通り椅子に腰かけた御堂がいる。ちなみに庄司先輩たちには、綾さんのことをお願いしてあります。
「ん……?」
そこで、彼の様子がおかしいことに気付きます。
目を見開いたままぴくりとも動かず、石像のように硬直している。虚ろな目線の先は私の肩越し、もっと後ろに向けられているようです。
おかしい。現実の肉体に夢は影響しないはずなのに、まるで石像のように固まって。……石……もしかして、噂の石化病……?
「──気付かなかったわ」
背後から、美しい女声がした。その一言だけで、鼓動は高鳴り全身が総毛だつ。
いまこの瞬間だけは、何があろうと絶対に振り向いてはならない。
前世記憶が脳内にけたたましく警報を鳴り響かせています。
「他にも、校内に転魔が潜んでいたとはね」
「……てんま……?」
「あら、知らないの? 転生せし魔物──すなわち転魔。貴女もそうなのでしょ、小悪魔さん」
私の疑問形に、背後の誰かが応じる。凄まじい威圧感とは裏腹の、穏やかな声と丁寧な返答。
「どういう、こと……?」
視線を泳がせていた私は、右斜め上の棚に置かれたデッサン練習用の鏡に、声の主の姿が映っていることに気付く。
すらりと伸びる長身に、制服の内側で窮屈そうなぱつぱつの胸と、高低差で耳がやられそうに細いウェスト。真っ直ぐな背筋の半ばまで、ゆるく波打ち流れる漆黒の長髪。
鏡越しでも伝わる、全身にまとう圧倒的な天上人のオーラ。
間違いない。聖条院女学館生徒会長──天王洲 瞳巳、その人です。
「ふうん、女神さまから聞かされていないのね。あまりに小物だから?」
見下し切ったその言葉からは、なぜか嫌味を感じられない。
きっと彼女にとっては悪意なき事実に過ぎないから。そして私自身もそれを受け入れてしまっているからなのでしょう。
「あなたが、あなたにとって異世界であるこの世界に転生したように、この世界──特にこの日本、この時代から様々な異世界のあらゆる時間に、異常な数の人間が転生している」
──そう、なんだ。
「おそらく、一種の特異点なのでしょうね。そして彼らは、転生先で私たち魔物をたくさん殺す。私や、あなたがされたように」
いいえ私の死因は大魔獣の肉球ですけれど。でも興味深い話なので、黙ってうなずいておきます。
「わかる? 魔物たちばかり殺されて、すごく偏ってるの。だからこの世界の人間が殺戮したぶんのバランスを取らないと、いずれ歪みがすべての世界に波及して、取り返しのつかないことになる」
なるほど、辻妻の合う話のようには聞こえる。嘘の匂いもしない。ただ、唐突すぎて理解が追い付きませんが……。
「ゆえに我ら転魔は、この世界の人間どもを出来るだけたくさん間引いて、天秤の傾きを正さなきゃいけない──」
そうして鏡の中、彼女は艶然と微笑むのです。
「──そのために、石化しまくらなきゃいけないのよ」




