1話 無視したら
最近オレ、飯島雄二の彼女が冷たい気がしている。
約束を交わそうとしても適当にあしらわれるし、それが何回も続いてしまえばそうも思いたくなる。
「なあ、明日こそはデートに行かないか?」
「悪いけどパス。用事があるのよ」
「用事って何だよ」
「関係無いあんたに話す必要は無いでしょ。余計な詮索はしないで」
今日もデートに誘うために放課後に彼女を待っていた。
結果はご覧の有様であり、彼女には用事があると言われて断られてしまう。
それを聞いても関係無いだのの一点張り。
よくプライベートの侵害と聞くが、気になるものはどうしてもある。
「余計な詮索……ね。分かった。今日はもう帰るよ」
「あ……あんた……」
最後に聞こえた、これまでとは一転した弱々しい声を無視し、オレは帰路に着いた。
帰り道、夕暮れに焼かれながら、彼女のことを考える。
金髪のツーサイドアップにした彼女、三田村亜美は一ヶ月前からとそこそこ付き合っている彼女だ。
陽キャラの中にいるサバサバしている系女子であり、学年でも有数の美少女ということで評判が高い。
そんな彼女が一ヶ月前、いきなりオレに告白してきたのだ。
『あんたのことが好きなの……だから……付き合いなさいよ!』
『お、おう』
かなり攻撃的な告白だった。
まるでオレのことを所有物だと思っているかのごとく、彼女の瞳はギラギラと輝いていた。
それがオレのハートにクリーンヒットする。
オレはツンツンしている子が好きで、でもそんな娘と付き合えるチャンスなんて無いと決め付けていて、半ば諦めムードに入っていた。
『で、どうすんのよ!』
『是非ともその告白、受け入れるよ!』
それからぼちぼち付き合い始めたのは良いものの、わずか一ヶ月で倦怠期に入るとは思いも寄らなかった。
まあ正直、ここまであの亜美と仲良くやれるとも思えなかったので、いつかはこうなることを読むべきであっただろう。そこはオレの怠慢だ。
亜美の予定というのは、時々見た彼女の姿によると友達との遊びである。
「はぁ……」
友人と遊びたいという気持ちは分かるけど、毎回誘うたびに予定が組み込まれている。
オレを自分から引き剥がそうと画策しているようだ。
他に男を作るならじゃあ最初から付き合うなといった話だ。
「今日も遊んでいるんだろうな」
勝手な憶測で、プライベートの侵入を拒む彼女の予定を決め付け、呆れ返る。
負のスパイラルに落ちている自分に対して溜息を吐きながら、ふらふらと歩いていると、亜美の姿を再び捉えることになる。
それが未曾有の絶望を呼び込むと知るのは、すぐのことであった。
亜美がカラオケ店に入るのを目撃する。
そこには、学年でもイケメンと持て囃されている伊集院彩人が同行している。
彼女は彼と話しながら、その表情はいつに無い笑顔に包まれていた。
オレといる時には見せないような、屈託の無い笑顔だった。
気付いた時には足を一目散に走らせていた。
伊集院と亜美が二人きりでいるのを、もう見たくない。
結局、あいつはイケメンの方が好きだった。
奴らがいない場所へ、一刻も早く逃げ出したかった。
儚い夢は一瞬にして、イカロスのごとく天に昇っていたオレを地に落とす。
現実は、残酷である。
「はぁ……はぁ……くそっ!」
学校の近くに聳えている公園に立ち尽くし、走り込んだ結果荒くなった息を整えていた。
真綿で首を絞められるような苦しみに襲われる。
慣れない全力疾走で体を甚振ったのもあっただろうが、何よりもオレを傷付けたのは亜美の舐めた態度。
あろうことか、見せ付けるように唇まで近付けていた。美男美女が恥じらいながらキスをする。
それがどれだけのダメージになったのかは計り知れない。
あいつがオレなんかとデートをしたのは、きっと知り合いと共謀した罰ゲームによるものだろう。近くであの手のものをやっていた記憶がある。
彼女が仕掛けた、いわゆるファッションデートであり、遊びの延長戦に過ぎないのだろう。
童貞のオレを嘲笑い、遊びに使う。
常日頃からの小馬鹿にしたような態度に加えて性格悪そうな面をしているし、有り得なくはない。
「オレはあの女に騙されていたんだ!」
心の弱いオレは悪戯好きの悪魔にまんまと唆され、こうして辛酸を舐めている。
許せない。
オレの気持ちを弄んだあの悪女にはきちんと言ってやらなければならないだろう。
「おい……」
「何よ雄二」
「昨日付き合っていた奴は伊集院か?」
その次の日、オレは亜美を屋上へ誘い出し、問い詰める。
「カラオケで遊んでいたのよ。悪い?」
「そうか……キスまでしてたろ」
「キス……ふふ、そんなに羨ましかった? じゃあ特別に今日はデートしてあげても……」
「別れよう、オレたち」
「へ? あの、もう一回言って?」
「だから、別れるって言ってんだよ!」
耐えきれなくなったオレは亜美に別れをキッパリと告げてやった。疑わしきは罰する。ただでさえ彼女に苛立たされていたので、もはやこの際、裏のことは考慮しなかった。
亜美の方は腕の力を抜き、目を見開いている。彼女の方から仕掛けたにもかかわらず、なぜか放心状態に陥っていた。
亜美の心理状態などこの際気には留めず、何度でもハッキリと言ってやる。
「オレとお前の関係はもう終わりだよ」
「え、嘘でしょ。別れるとか有り得ないんだけど」
「オレとしては彼氏を放り出して完全に遊び呆けているお前の方が有り得ないよ」
亜美の目が黒く染まり、呪文のようにぶつぶつと言葉を唱え始めている。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
正直言ってここまで効いているのに驚きである。
てっきりいつもの冷ややかな低いテンションで一蹴してくるかと思いきや、とてつもない取り乱しようでこっちが焦る。
「じゃあ、今度会う時は他人だな。三田村さん」
「おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい……あたしの計画は完璧だったのに」
壊れたスピーカーのようにおかしくなっている亜美の横を通り抜ける。
気にかけるなんて冗談じゃない。
亜美はオレを散々傷付ける真似をしてきた。
こういう塩対応をされるのは自業自得である。
オレはあんなに冷たくなった亜美がどうなろうと、もはやどうでも良かった。
「ふひひ、誰が雄二くんを唆したのかしら。きっと悪い虫があたしの雄二くんとあたしの恋仲を引き裂こうとしているに違いないわ」
オレはふらふらと左右に揺れている亜美を尻目に、今日も夕焼けに焼かれながら帰路に着く。
帰り道、スマホを覗いてみると凄まじい着信履歴に圧倒される。
それは全て亜美から発信されたものであり、いずれも謝罪の念が込められていた。
「今更謝罪しても遅い」
こんなに大量の履歴があっては気持ち悪いので、オレは亜美のアカウントをブロックし、二度と亜美からのメールが届かないようにした。
「にしても……」
『……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』
「ひぇ……」
彼女の送り付けてきた謝罪文を読むと、唖然とする。
これまでの強気な彼女とは一線を画す弱々しい言葉の羅列。
それがどうしようもない寒気を誘っていた。
家に帰ると妹が待っている。
「お兄ちゃんお帰り!」
妹の名前は飯島早苗。はきはきとした発声と快活な性格が特徴のツインテール美少女だ。
オレにはもったいない実妹である。
早苗はだらしないオレに優しく振る舞っている。
料理や洗濯を始めとした家事を卒なくこなし、それでいて部活も頑張る女子高生で、今日も一通りの家事を片付け、料理に着手していた。
「お兄ちゃん汗掻いてるね。運動頑張ってたの?」
「いや、そうじゃないんだ」
「もしかして、亜美先輩とのことかな」
全く、妹は勘が鋭い。
オレなんかが考え、思っていることはこの天才には手に取るように分かっている。
隠しても無駄だと踏ん切りをつけて、オレは妹に亜美と別れたことを話した。
早苗は嵐のように荒れ狂うオレの話をただ黙って聞いている。
台風一過、オレのぶち撒けた言葉を精一杯拾った彼女は、そっとオレを抱き締める。
「亜美先輩と別れたんだ。それは悲しいね……」
「亜美のことは愛していた。でも、それはオレだけだったようなんだ」
「お兄ちゃん可哀想……大丈夫だから、ケアはわたしに任せて欲しいな」
情けなくも、駆け寄ってきた妹の胸の内で泣く。
帰り道まで堰き止めていた感情が、壁を突き破って溢れ出す。
これが失恋というものか。
喪失感がいつまで経っても収まりそうにない。
感情全体を支配するオレの嘆きを、早苗は真っ向から受け止める。
赤ん坊をあやすように背中をとんとんと軽く叩き、優しい言葉をかけてくれる。
オレにとって、亜美に代わって早苗が新たなる心の支えになろうとしていた。
「全く、お兄ちゃんったら可愛いんだから。一生養ってアゲタイ……」
夕食を食べてしばらく休んでいると、電話が鳴る。
何回もしつこく鳴るので腹に据えかねたオレは、受話器を手に取る。
「もしもし」
「ねえ、あたし亜美だけど」
「……復縁なんかしないぞ」
「今からよりを戻さない?」
「だからしないって……」
「あたしが特別に仲直りしようって言ってんの!」
「なんだよいきなり叫んでさ。元はと言えばお前が……」
「あたし、雄二と仲直りしたいの……だから、ね?」
あれだけのことをしでかしておいて、電話の向こうにいる亜美は尊大な態度を貫いている。
どうして当たり前の謝罪すらできないのだろう。
オレは彼女への嫌悪感をただただ募らせていくばかりである。
「だからさ、もうオレたちの関係は終わったんだよ。三田村さ……」
「ちゃんと亜美って呼びなさい!」
「しつこいよ三田村さん。もう切るから」
「ちょ、あんた待ちなさ……」
オレは亜美の態度に我慢ならなくなり、受話器を下ろした。
亜美はもう駄目だ。
反省というものをまるで分かっておらず、なおも高圧的な態度をとるこの女を許すことはできなかった。
これからはあんな悪女とは些細な交流すら断つことを心に決めるのだった。
「あはっ! 雄二くんったら怒りん坊だね。あたしが悪かったんだ。あんなことをしなくても雄二くんはあたしのことを好きだったのに。ふふ……今からでもやり直せるかな。いや、やり直せるよね。なんたってこのあたしなんだから」