中編 女官、反撃する
「………………え?」
真珠のような大粒の涙を目にためたお嬢様が振り返って私を見ています。
「なにを……言っているの?」
あ、いけませんいけません。
つい本音の方を口にしてしまいました。
「失礼しました。お嬢様。今は泣いている場合ではありません」
何事もなかったかのように言い直しておきます。
よくあることなので、お嬢様もツッコミを入れることなく頷いてくださいました。
さすが私がお仕えしているお嬢様です。
改めまして。
私はジル・ストーム。
ゲームである『ロイヤルブラッドデスティニィ』では物語序盤に退場するアリスティア・ロザモンドというサブヒロインにお仕えする女官でございます。
もっとも中の人はどこにでもいるようなOLなんですけどね。
ちょっとばかりゲームが好きで、同人誌とかコスプレとかしちゃいますけど、いたって普通の人ですよ、普通の。
実はこのシーンでなにも言い返せなかったアリス様はゲームから退場してしまいます。
それは即ち、お仕えする私もゲームから退場するということです。
いけませんいけません。
それは絶対に容認してはいけません!
だってこれから先にはさまざまなイベントがあって、私の推しがキャッキャウフフするシーンが目白押しなんですよ!
それを生で! この目で見られるんですよ!
この機会、絶対に逃すわけにはまいりません!
けれどお嬢様はこういう場面にとことん弱い方なのです。
ゲームでも今ひとつ影が薄いまま退場してしまいます。
でも性格はとてもお優しい、本当によい方なんですけどね。
ですからここは、お嬢様の女官である私がなんとかしなければなりません。
昂然と顔を上げます。
あ、お嬢様が私にもたれかかっていい匂いが……いけませんいけません。
今はこのフラグをなんとかするのが優先ですから!
「それらはすべて言いがかりです」
そういえば、こうして皇太子様に直接声をおかけするのって初めてでした。
今更ながら緊張してきちゃいましたよ。
「ふん。女官風情が口を挟むなどと。お前の言葉など誰が信じるか」
うわー! うわーうわーうわああああああ!
聞いてください。聞いてください!
い、今! 今ですね!
私の推しが! 皇太子様が! 私に声をかけてくれたんですよ!
【速報】私、推しに声をかけられる【朗報】
SNSで! 拡散したい!
ああああああ!
よかった! あの時、偶然、お店で出会ったあの時!
プライベートの場面で声をかけないでよかったあああああああ。
ふー。いけませんいけません。
落ち着きましょう。
テンションが振り切ってちょっと天国が見えてました。
女官風情がと皇太子様はおっしゃいましたが、主人に代わって発言をするのも女官の務めです。
ただし、注意しなければならないことがあります。
この世界において、女官の命はワタアメぐらい軽いんです。
盗みのような罪を犯せば当然連れていかれます。
仕事でなにか失敗をしたら割とあっさり連れていかれます。
濡れ衣を着せられてそれを晴らせなくても連れていかれます。
どこへ?
刑場へ!
ちなみに衛兵や門番も同じぐらいのライフレートになっております。
女官よりレートが低いのは下男あたりですかね。
数も多いので、かなりお安めの設定のようです。
貴族や将軍や王子なら少し高いライフレートですから、しばらくは牢で過ごすこともありますが。
でも結果的に刑場へ行くとか、牢屋で毒を盛られてさようならとか普通にあるんですけどね。
命軽いよね!
そこがゲームではよかったんだけどね!
リアルで自分がその立場に置かれたらちょっとどころかかなりビビるよね!
でもだからってここを引くわけにはいきません。
遠慮なくいかせていただきますよ。
だってこのフラグをへし折らないと退場させられちゃうんですから!
「先ほど5日前とおっしゃいましたが」
「そうだ。風の強い日だった」
「はい、たしかにたいそう風の強い日でございましたね。実はその日、お嬢様は将軍様の招待を受けておりました。ですから階段から誰かを突き落とすことなどできないのです」
「なに?」
ああ、驚いたようなそのお顔も美しい。
素早く脳内に別名で保存します。
「それは……まことなのか?」
「ああ。その証言は俺が保証しよう」
そう言ってくださったのはソースで胸元が汚れている将軍でした。
請け負ってくださった将軍はこちらを見て笑いかけてくださいます。
日に焼けて浅黒い肌がまた健康的でいいんですよね。
当然、脳内に別名で保存です。
「な、なぜそのようなことを……彼女は私の婚約者だぞっ」
「うむ。キツネ狩りに誘ってみたのだ」
「だから私の婚約者をなに狩りになんか誘ってるのだと言っている!」
「いやいや。勘違い召されるな。俺が誘ったのは女官の方だ。お嬢様はおまけだ」
「お、おまっ。言うに事を欠いておまけだと……ありえないだろうっ」
「はっはっは。すまんすまん」
将軍はちょっぴりガサツだけど、本質的にはいい方なのです。
そもそも淑女を狩りに誘うか?と思うんですけどね。そういうズレたところが将軍の売りでもあるので。
なんというか、痛し痒し?みたいな。
「まあ、いい。それについてはまた話し合うとしよう」
皇太子様はこめかみをほぐしておられます。
ああ、いいですね。
そのイラつきポーズもゲームで見られました。
即脳内に別名で保存しておきます。
「だがドレスの件はなんとする。淑女の召し物を傷つけるとは不届千万であろう!」
「たしかに非道な行いだと思います」
「それをそなたの主人がしでかしたと言っている!」
「ではお嬢様が行ったという証拠をご提示ください。使用した凶器も添えていただけるでしょうか」
「ぐむ……」
「……ないのですね?」
「む、むむむ……」
「そもそも自作自演の可能性も考えるべきではないでしょうか」
「か、彼女がそのようなことをする、とは思えん……の、だが……」
とても歯切れが悪い。
そのでっち上げをした人が誰か予想がついてしまいますよ?
ほら、あそこの輪にいるお一人がさり気なく視線をそらしています。
「ですがドレスが台無しになってしまったのはなんとかして差し上げなければなりませんね。どうしてもご入用ということでしたらいつでもご相談ください。幸いなことに、私にはこの国で一番の大商人に伝手がございます。あの方に用意できない品はありません」
「その通りです。皇太子殿下。私がいつでもご用意いたします」
褐色の青年は大商人のご子息です。
ゲームにおける私の親が彼の一族に雇われているんですよね。
だからこのキャラクターがすっごく尊敬している人物で、ご主人様と呼んでいます。
ちなみにゲームでは隠し攻略対象でした。
そんなキャラを仲人プレイで意中の相手とくっつけるのがいいんですよねえ。
「くっ……そ、それでは怪しげな行動についてはどうだ!」
「ぼんやりと怪しげな行動と言われましても困るのですが……」
「中庭だ! そこで怪しい行動をしていたと複数の人間から聞いている! なんでも細い糸のようなものを持って空を見上げていたそうではないか!」
「それでしたらただの遊戯です」
「……なに?」
「なんでもどこか遠くの国の遊びなのだとか。詳しいことは宮廷魔術師様にお聞きください」
話を振ると、イケメンはメガネをクイツと上げた。
それそれ! メガネキャラ定番のポーズですよね!
光の反射具合でしょうか。レンズの奥にある目が見えないのが実にいいです。芸術的です!
「い、今の話は本当なのか?」
「はい。実は僕も書物でしか読んだことがなく、よくわからない代物だったのですが。資料によると空高く飛ぶとあったのですが何度やっても上手くいかない。あれこれ試行錯誤していたのですが、そこにたまたまロザモンド嬢たちが通りかかりまして。悩む僕にそこの女官がアドバイスをしてくれたのですよ。長い尻尾のようなものをつけたらどうかとね。半信半疑で試してみたら驚くことに見事に飛んだのですよ! いやあ、あれはよい体験でした。ああ、そうです。よければ殿下も今度一緒にどうですか。楽しいですよ」
「い、いや……よい」
どこか疲れたような表情をなさっておいでです。
あ、でもこの表情も味わい深くていいんですよねえ。
脳内に別名で保存しておきましょう。